第28話 レナスの正体

「……ありがとうイーザー。さっきは助け舟を出してくれて」


 閉会となったのちアレクはすぐにイーザーの元へ駆け寄り、礼を言った。

 もちろん、先ほど壇上でアレクについて証言してくれたことへの礼である。


「ふん、礼を言うくらいなら詫びてほしいところだ」


 しかしイーザーは顔をしかめ、ふんとそっぽを向いた。

 確かにそうだ。礼よりも先に、彼から旗を奪ってしまったことを謝るべきだったのかもしれない。

 アレクは反省し、頭を下げた。


「そうだったね……本当にすまない。あんな優勝目前のところで旗を奪ったりして。でもできれば許してほしいんだ。今回の勝ちは私にはどうしても必要なことだったから」


「………そうじゃない」


 だがイーザーは首を横に振った。

 そしてなぜか突然、大声でこんなことを言う。


「そうじゃない! 俺に黙ってこんな荒っぽい大会に出たことを詫びろと言っている! お前、これで怪我でも負っていたらどうするつもりだったんだ!!」


「は……?」


 アレクは呆気に取られる。

 なんだかよく分からないが、どうやらイーザーの変なスイッチが入ってしまったようだ。


「なんだその気のない返事は!! 俺は本気で心配しているんだぞ!! お前の顔に傷でも付いたらどうするつもりだったんだ!!」


「いやそんなことを心配されても……」


「全く、これだからお前は放っておけない! やっぱり俺が貰ってやるしか――」


「ちょ、ちょっと……ここで変なことは言わないでくれ!!」


 アレクは焦り、イーザーの口を塞ごうと手を伸ばした。

 今しがたローゼンバーグ家の子息と名乗ったばかりなのだ。

 ここで女だとばれて皇帝陛下を騙した大嘘つきの称号をいただくことは、なんとしても避けたかった。


「言うならせめて人のいないところで――」


「はっはっは。なんだ、随分と仲がいいのだな貴殿たちは」


 そのとき突然穏やかな笑い声が聞こえ、アレクは驚いて振り返った。

 するとそこには呑気な顔で手を振っているエスティードの姿があった。


「エスティ……!?」


 イーザーの求婚まがいの言葉を聞かれていたのではないかと、アレクは焦る。


「……い、今のは違うんだ! 気にしないでくれ!」


「今の? ふむ、何のことだ?」


 エスティードは不可解そうに首を傾げる。

 良かった、どうやら聞かれずに済んだようだ。


「聞こえてなかったんならいい。本当になんでもないから……」


「そうかそうか。いやしかしアレク、上手く優勝できたようで良かったぞ。俺の策もちゃんと役に立ったようで何よりだ」


 労うような言葉と共にエスティードが手を差し出してくる。

 アレクはその手をしっかり握り、握手を交わした。


「ああ。それについては改めて礼を言わせてくれ」


「なに、あれくらいのこと、礼には及ばんさ」


「……ちょっと待て、君たちは一体どういう間柄だ」


 そのとき、にこやかに談笑するアレクとエスティードの様子を見て、イーザーが怪訝そうに唸った。


「俺たちは友人だが?」


 答えたのはエスティードである。


「なんだと? どうして没落貴族のこいつと騎士の貴殿が友人なんだ」


 イーザーはますます不審そうに眉間にしわを刻む。

 しかしアレクとしては、むしろイーザーとエスティードが知り合いなのが驚きだった。

 十二騎士の者同士であれば同じ円卓につくことになるから、きっとその関係で顔を合わせたことがあるのだろう。


「二週間前にたまたま知り合ったんだが、ついさっき城の中で再会してな。せっかくの縁だからと、ちょっくら友人になってもらったのさ」


「二週間前にたまたま知り合った……?」


 エスティードの説明に、イーザーはますます怪訝な様子になる。


「ああ。何か文句でもあるのかね、ジスカール家の次期当主殿」


「怪しいな……騎士のくせにわざわざ没落貴族のこいつに近づくなんて、何か裏があるとしか思えない」


「ほう、これはなかなかの言いがかりだな」


「なら言ってみろ、なぜこいつに近づいたのか」


「ちょっとイーザー」


 またしても白熱しそうな雰囲気のイーザーを宥めるように、アレクはその肩を叩いた。

 しかしそのとき、さらに会話に加わってくる者があった。


「アレク様、帰りの馬車の手配ができました」


 アレクは慌てて振り返る。

 するとそこには、宿から取ってきた二人分の荷物を背負っているレナスの姿があった。


「さあ、そんなところで騎士様なんかと遊んでいないで、さっさと城に帰って二人っきりで遊びましょう」


「え、ああ……」


 アレクは曖昧に頷いたが、よく考えればイーザーたちの問答から解放される好機かもしれない。

 そう思って、これ幸いとレナスの方へと近づこうとした。

 しかしその途端、がしりと腕を掴まれる。


「おいちょっと待て! まだ話は終わっていない!!」


 腕を掴み、暑苦しいほどの大声で呼び止めたのはイーザーだ。


「いいか、俺はこの引きこもり軍師のことだけじゃなくそっちの執事についても聞いておきたい!! お前は一体、なんでこんな怪しげな男たちとばかりつるんでいるんだ!!」


「ええ……?」


 突然の問いにアレクは顔をしかめた。

 確かに二人とも怪しげなのは否めないが、イーザーもよく当人たちがいるところで言ったものである。


「お前は分かっていないようだからはっきり言うがな、自分から近づいてくる輩ほど怪しいものはないんだぞ!!」


「はあ……」


「いいか、頼る人間がいないのなら俺を頼れ!! こんな怪しい奴らではなく、ジスカール家次期当主のこの俺を!!」


「ふむ、これは随分酷く言われたものですねえ」


「はっはっは、アレクも厄介な幼馴染を持ったものだな」


「うるさい貴様ら!! 俺たちの会話に入って来るな!! さっさとどこかへ消えてしまえ!!」


 そうしてしばらく騒いでいたイーザーだったが、やがて側近の者たちに連れられて、喚きながらどこかへ去っていった。

 それを見送ったのちにアレクもまた馬車に乗って帰ろうとしたのだが、その直前になぜかエスティードに「内密の話がある」と言って呼び止められた。

 アレクは頷き、レナスと馬車を残してエスティードと共にその場を離れた。




「どうしたんだ、エスティ」


 馬車から離れ、歩くこと一分程度。

 徐々に解体されつつある観覧席からも少し離れた大きな木の下で、エスティードはふと足を止めた。


「……いや。少し忠告をしておきたいと思ってな」


 エスティードは腕を組み、こちらに背を向けたまま言う。


「忠告?」


「ああ。先ほどのイーザーの言葉ではないのだがな。アレク、お前はあのレナスとかいう従者の素性は存じているか?」


 突然の問いに、アレクは眉をひそめる。


「いや……実は知らない。彼が力を貸すと申し出てくれたから使っているだけだ」


「ふむ、やはりそうだったか……」


 するとエスティードはため息をつき、ようやくこちらを振り返った。

 こちらを見つめる思慮深い緑の瞳の中には、わずかに迷うような色が見て取れる気がした。


「本当にどうした――」


「実のところ、俺はあのレナスとかいう男を見たことがあるのだ」


「――え?」


 思わぬ言葉。

 アレクは目を見開き、エスティードの次の言葉を待つ。


「いつだったのかは覚えていない。だが、場所は恐らく社交界だったはず」


「しゃ……社交界って」


 だとすると、それは――。


「つまり奴は、貴族どもの集まる社交界に出入りできるような人物であるということだ」


「そんな……まさか」


 信じられない言葉に、アレクはごくりと唾を呑み込んだ。

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