その3 変わりなき夜

「王都の皆さん、ごきげんよう。実況の姫騎士ルツィノです」

「解説のタエル@女神ルア信徒です」

「さて、いよいよ始まります卓上大相撲・オストリッチ場所。今回の見所はどこでしょうか」

「世界の横綱を標榜する力士タメエモンと、ギルドの注目株オークヒーロー・ゲバの取り組みですね」


「どちらも実力派ですが、タエルさんはこの一番をどう見ますか」

「ただの相撲であればタメエモン有利でしょうが、今回は“卓上相撲”ですからどう転ぶかはわかりません。相撲だけにね」

「なるほど。タエルさんワンアウトです」

「これは手厳しい……ところで、ギルドの皆様は卓上相撲をご存知でしょうか?」


「知らなーい!」

「そもそもお前ら何やり始めてんの!?」


 ギルドラウンジの一角、飲食スペースのテーブル席。隣り合って座るタメエモンとゲバを向かい側のルツィノとタエルが眺めている。

 そして彼らを取り囲むようにして、居合わせた冒険者達が騒ぎ立てる。


 ルツィノが正式に姫騎士となることが決まり、ギルドでは前祝いの宴が開かれていた。

 かしこまった席ではなく集まった者達が思い思いに酌み交わしていたのだが、ほろ酔いのタメエモンがゲバに「相撲をやろう!」と言い始めたのだ。

 あろうことか秘かに舞い上がっていたゲバもそれに乗ってしまった。


 酔客が取っ組み合いをすることは珍しくない場所であるが、タメエモンとゲバの力を知る素面しらふのタエルはブレーキをかけた。


 だが、ただ止めるだけでは勢いのついたタメエモンたちと周囲の酔っ払いは侭ならない。

 興味の対象を逸らすことで落着させようと。タエルが咄嗟の智恵を絞った結果、『卓上相撲』は考案されたのである。


「ルールは簡単。卓上土俵タンバリンの両端を二人が指で叩きます。土俵に置いた二つの紙製力士のうち、どちらかが倒れるか外に出された所を決着とします!」


 周囲からウオォォォ、と雄叫びじみた歓声が上がる。何かにかこつけて騒げれば、もはや内容などはどうでも良かった。


「どら、ひとつ胸を貸してやろうか」

「ハ。まさか此処でお前とやり合うことになるとはな」


 隣り合ったタメエモンとゲバが、お互い赤ら顔で視線に火花を散らす。

 なお、現時点で二人はともに大ジョッキ8杯のエール酒を摂取済みである。


「両者、にらみ合っております!ねえタエル。あの紙製力士、二人にそっくりね」

「お褒めに預かり光栄です。先ほど五分で拵えた甲斐がありました」


「やっちまえー!」

「早く始めろー!!」

「おネーチャン、こっちにピッチャー二つ追加!あとピクルスも」


「そろそろ制限時間いっぱい!両者、自分たちの分身である紙製力士を土俵に置きます!」


 乗りに乗ったルツィノの美声がギルドラウンジに響く。


「はっけよい、のこった!」


 卓上トントン相撲・王都オストリッチ場所、遂に開幕ッ!



 二人の男がタンバリンの幕を叩く。

 タンタンシャンシャン、リズミカルな音と共に紙力士が小刻みに振動を始めた。


 振動に命を吹き込まれ紙力士、徐々にその身を重ね合う。


「両者、動きがかみ合いました!」

「場合によってはどちらも明後日の方向へすれ違いますからね。うまくいっています」


 もつれ合う厚紙代理のタメエモンとタエル。

 指先三寸の紙駒に命運託した二人の男はひたすらに卓上土俵を叩く叩く。


 両者の振動は互角。土俵の中央で指先力士はがぶり四つの膠着姿勢だ。


「いくぞゲバ。横綱を目指す以上、相撲と名のつくものに負けるわけにはいかん」


 宣言と共に、土俵を叩くタメエモンの右腕の筋肉が隆起して。

 筋肉の隆起おこりと共に指先が小刻みに震え出し。

 タンバリンの土俵はタンタンシャンシャンからタタタダダダダシャシャシャシャシャと速度を増した鼓動ビートを刻み始めた。

 

「これは――『獣露駆煉死矢じゅうろくれんしゃ』!!」

「知っているの、タエル!?」

「文書の知識だけですが!」


 タメエモンの鬼気迫る指使いと鳴り止まぬタンバリンの音色に、タエルの薀蓄が添えられる。


――かつて東国アオイタツに存在した部族ファ・ミコンの戦士メイジンタカハシ。

 彼が一日一時間の弛まぬ鍛錬の結果編み出したのが獣露駆煉死矢じゅうろくれんしゃである。

 その威力たるや凄まじく、僅か一秒の間に16回の刺突を繰り出しハイスコアを次々と塗り替えていったといわれる――

 (ペラギクス国立図書館所蔵 ミネル=カパック著『戦士に告ぐ』より)


 勢いを増したタメエモンの紙力士があっという間にゲバを土俵際まで追い詰めた!


「落・と・せ!落・と・せ!落・と・せ!落・と・せ!」


 観客から荒々しい野次が飛び、ゲバ(紙製)はあっけなく土俵から転がり落ちた。


「ウォォォォーーー!!」

「ごっつぁんです」


 誰からともなく渡された大ジョッキを一息に飲み干すタメエモン。うなだれるゲバ。

 最高潮に盛り上がった場所千秋楽のギルドラウンジに、人垣を割って一人の男が姿を見せた。


「む、新しい挑戦者か?」

「勝ったらタダにしてやるって言われた」


 3メートルに及ぶ褐色の偉丈夫が、素朴な少年の表情でタメエモンを見下ろす。

 

「食い気に釣られたか少年!その意気やよし!」


 キハヤは招かれるままにゲバの掛けていた場所に座ると、タンバリン土俵の端に見よう見真似で指を添え。


「はっけよいのこった!」


 ルツィノの掛け声で、キハヤの指に力が篭る!


 そして紙の力士が跳んだ!八艘跳びか?違う、“真上”だ!


「!?」


 キハヤの操る紙製力士は、取り組み開始の合図と同時に真上へ打ち上げられた。

 天井の板の間に挿さった厚紙の力士を、一同はしばし唖然と見上げるばかりであった。


「難しい」


 キハヤが朴訥に呟く。

 彼の指は、タンバリンの幕を突き破っていた。



 宴の果てたギルドラウンジ。宿泊施設になっている二階の更に上、屋上に登った大男三人。


「綺麗な夜空だ。星が


 夜風にあたるタメエモンが満天の星空を仰ぎ見て溜息をつく。


 クァズーレの夜空に輝く星々の中には、虹の如き七色に明滅するものがある。

 それらは周囲の星よりも大きく、夜空をゆるやかに流れるようにして動いていた。


「まるで川面かわも灯火ともしびが泳いでいるようだ。夢のような夜空じゃないか」

「……詩人のまね事かよ。星空なんざ、野宿してりゃ珍しくもないだろうに」


 冷やかすゲバの傍らで、タエルの面持ちは神妙だ。

 幾ばくかの思案の後、意を決したタエルがタメエモンに問う。


「タメエモン。ですか」

「ん?そうだな、こうして些細なことが妙に珍しく思えることがあるのだ」

「珍しいですか。こんな“ありふれた星空”が」


 真顔で問うタエルに、酒が入り浮ついたタメエモンも思慮の引き出しを開けるに至った。


「――ああ。ワシにとっては珍しい。いや、記憶に新しい、と言った方がいいか」


 横で聞いていたゲバが首をかしげる。

 タエルは蒼い眼を巨漢力士から逸らすことなくじっと見て、次の言葉を待つ。


「ワシは、一年より昔のことを憶えておらんからな」


 力士は己の出自を語る。あっけらかんと、己の出自がなき事を語る。


「気がつけば、あの“金属柱ぼう”と一緒にシヤモ国のタンニに立っていた。分かっていたのは自分の名前と、相撲のことだけだ」

「記憶喪失、ですか。以前から、あなたが妙な所で物を知らないのが不思議だった。なるほど、そういうことでしたか……」


 彫りの深い顔面にいっそう陰を落とすタエル。何事かとりとめのつかない思案思慮が、彼の脳裏を駆け巡っては霧中に霞んでいく。


「で、お前はそれで不便してるのか」


 二の句を継げないタエルを尻目に、酔い覚まし半ばでしゃっくり混じりのゲバが事も無げに切り出した。


「特に不便はないな。それどころか、見る物聞く物が新鮮で楽しいくらいだ」

「そりゃ結構なことだ」


 言って、ゲバは石造りの屋上で大の字になる。このまま眠りにつくつもりだ。


 未だ釈然としない様子のタエルの肩に、タメエモンの分厚く柔らかな右掌がポンと置かれた。


「人が持っているモノだからと言って、自分にも必要とは限らんということだ」


 間近でそのように語るタメエモンは体全体が酒臭い。タエルは「そうですか」と頷きながらも、釈然としないものが胸につかえたまま一夜を明かすのであった。

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