その2 精霊術

「……いきなり無礼者ときたか。悪いが、俺はおたくが何者だか存じ上げないんでね」


 突然上段からの言葉を浴びせられたゲバは、戸惑い半分呆れ半分で依然自分を睨んでくる少女を改めて観察した。

 言葉の調子からすれば身分の高い者――まだ娘だ、若さからして個人の実力でなく家柄に由来する身分肩書きを持つ者か。

 

 そこらの街娘にはそうそう居ないレベルで眉目秀麗の容姿は、貴族的な匂いを感ずる。

 ふと、身に着けたマントの襟元、鳥の翼を象った金糸の刺繍が目に留まったところで、ゲバは目の前の少女が“何処から来たか”程度の察しがついた。


「王都の貴族関係……か?」


 呟くゲバに、金髪の少女はまっすぐ通った鼻梁をフンと鳴らして肯定。


「関係も何も、このモア王国で貴人といえば私よ」

「ん、ゲバ。どうやらこの娘は有名人らしいぞ」


 割り込んできたタメエモンが周囲を示すと、掲示板に向けられていた衆目がいつの間にかゲバと少女に集中していた。

 ゲバは、自分たちが注目されていることを意識して耳を傾けてみる。


「あのオーク、姫に何やったんだ」

「なんか、姫様に触ったらしいぜ」

「痴漢オークか。そいつはご愁傷様だな」

「ちょくちょく居るんだよな。何も知らずにちょっかい出す馬鹿がさ」


 聴こえてきたのは概ねこのような呟きだ。


「おたくは姫って呼ばれてるのか。一体どういう意味だ?」

「そのままの意味に決まっているでしょう」

「あ……?」

「もう!肝心な所で鈍いのね!」


 苛立ちを露わにする“姫”なる少女が、ゲバの顔を見上げながらも堂々と自らを名乗る。


「私はロストバド=エフ=エイヴィス=ルツィノ。ロストバド=モア=モミズ=エイヴェス=ジャント四世の娘にして、筆頭騎士よ」


 毅然と名乗った少女ルツィノは厳しい表情を崩さぬままゲバの反応を窺う。


「長い名前だのう。さすが貴族様だな」

「タメエモン、ちょいと面倒なことになりかねん。口のきき方に気をつけとけ」


 相変わらず能天気な感想を述べるタメエモンとは異なり、この土地について多少なりの知識があるゲバはルツィノの名乗りが意味するところを理解している。

 期待通りの驚きの表情に、ルツィノは片方の口角を少しつり上げ「フフン」と得意げに微笑んだ。


「ジャント四世『国王陛下』の娘ってことは、おたく、いや、あんたはお姫様ってことか」

「そうよ。皆から姫って呼ばれてるじゃないの」

「だが、筆頭騎士って言っただろう。その辺がよく分からん。悪いが説明してくれないか」


「何を説明するって言うの?そのままの意味!私はモア王国の姫にして、筆頭騎士。この辺りでは王都の『姫騎士ルツィノ』で通ってるわ」



「ゲバ、何だ姫騎士って」

「……俺に聞くな」


「モア王国の伝統よ。第一子が女子の場合、騎士団の象徴シンボルとして前線に立つ任を負うの」

「そいつは立派だ。まだ若いのに大変だな」

「王族ですもの。当然よ」


 タメエモンの合いの手もよくよく礼を欠いた物言いであったが、ルツィノは大して気にしていないようだ。


「私の立場、理解して頂けたのなら良いの。必要以上にかしずかれるのは好きじゃないし」

「いやあ、できたお人だ」

「そんなことないわ。さっきは無礼者なんて言ってごめんなさい。あの時はちょっと、その、びっくりしちゃったから」


 ふくよかな外見と人当たりのタメエモンが緩衝材の役割を果たしたのか、ルツィノは一時の剣幕を収めつつある。

 上目遣いに詫びの言葉を述べる姿は、これをされて許さぬ男はなかろうという程に可憐であった。


「しかし、姫騎士ってのはこんな駆け出しの仕事までやるのか。ご苦労なこった」


 ゲバは労いの言葉をかけることで、訪れそうだった嵐を完全に回避しようと試みた。

 見下ろすほど体格差のあるルツィノの表情が硬いままなのは、やはりオークに緊張しているからだろうか。


「……ええ。それが、私の務めですから」

「殊勝な心がけだ。なあ、姫騎士殿下。殊勝ついでに割のいい仕事は庶民にまわしてくれよ」

「それとこれとは別!民を困らせるドラゴンは、私が討伐します!」


 ルツィノがそれでも依頼を譲ろうとしないのを、ゲバはこの少女が生真面目な責任感を抱くがゆえなのだと解釈した。


「肩の力抜けよ。何もあんたが直接やる必要はないだろ」

「……ッ!私がやらなきゃ……駄目なの!!」


 再びキンと鋭い声がラウンジに響く。

 一時は態度を軟化させつつあった姫騎士の細い眉がまたつり上がっているのを見て、ゲバはようやく何やら少女の逆鱗に触れてしまったことに気付いた。


「表へ出なさい。どちらが依頼にふさわしいか決めましょう。ここ冒険者ギルドの合理的なやり方でね」


――ギルドの合理的なやり方。つまり、実力うで比べの決闘のことだ。

 大股でラウンジを出て行く臙脂色のマントと、首をかしげて白髪頭を掻き毟るゲバを交互に眺め、タメエモンは苦笑い。


「お前さんの言った通り“ちょいと面倒なこと”になったな、ゲバ」

「……口のきき方には気をつけてたつもりだったんだがな」



 ギルドラウンジに面した大通りでオークと少女は対峙し、周囲を野次馬冒険者がぐるり囲む。

 冒険者同士の諍いはこうした私闘で結論を出すことは珍しくなく、騒ぎを見た大通りの通行人の反応は「一瞥して通り過ぎる」「野次馬に加わる」のどちらかだ。


「まったく、困った嬢ちゃんだ。なるべく気をつけるが、ケガしても文句言うなよ?」

「姫騎士はこの宝剣と共にあり。たとえ命を落とそうとも、運命さだめとして受け入れましょう!」

「ガキが売った喧嘩にしちゃ大仰なことだ」


 最後の一言はルツィノに聞こえぬようぼそりと呟いて、ゲバは身を包んだフードつきマントを脱ぎ捨てた。


 肩鎧と手甲、すね当てだけを帯びた筋骨隆々の緑体躯に幾何学縞模様ダズルパターンの刺青奔る、亜人勇者オークヒーロー出現あらわる

 腰に提げた両刃斧の巨大さと、何よりゲバの逞しすぎる巨体に野次馬はどよめいた。


「暗器の類は隠していないようね」


 半裸同然のオークの体を見て、ルツィノは緊張を隠しつつ言う。


「どうだかな。ああ、こいつは俺が勝手にやったことだ。姫嬢ちゃんが合わす必要は無いぞ」

「また馬鹿にしたわね!決闘なのだから、当然フェアな条件でやるに……決まってるじゃない!」


 一拍、躊躇するような間を置いて臙脂色のマントが脱ぎ捨てられると、再び野次馬からどよめき。だが、ゲバに対するものとは似て非なる色を帯びるものだ。


 彼女の言葉通り、姫騎士ルツィノは装備の上では殆どゲバと“対等おなじ”であると言えた。


 ルツィノの武器は背に負った鞘無し抜き身の宝剣。柄頭から剣先まで一体になった銀色半透明クリアシルバー天資シング両刃剣ソードだ。各部にモア王家の象徴シンボルである鳥の翼をかたどった装飾が入っている。

 目を引くのは美しい刀身と装飾だけではない。宝剣は小柄で細身の少女が振るうにはおよそ適さない大業物であった。


 そして宝剣よりもいっそう野次馬の関心の中心となったのは、彼女の“鎧”だ。

 装甲が覆うのは両肩、四肢の末端、それ以外には腰と胸の限られた面積だけ。鎧と呼ぶべきかどうか大いに迷う、極小軽量鎧ビキニアーマーである。

 日の光を反射する鮮やかな朱色の鎧はよく見れば透き通っている。これも天資シングの鎧だ。


「おおーッ!姫様の天資鎧シングアーマーだ!あれが見れるなんて今日はツイてるぜーッ」

「うおっ眩しい!相変わらずメチャクチャ光を反射するな。だが俺は負けないぞ。たとえ目が潰れても焼き付けるんだ!あの光の向こう側を!」

「も、もうちょっと……もうちょっとで……ぐわあああ!目が、目がーッッッ!」


 野次馬たちのバカ騒ぎもどこ吹く風と、背負った剣の柄に両手をかけるルツィノ。だが毅然とした騎士の表情を崩さぬ頬には、鎧に負けぬ朱が差していた。

 姫騎士などという尋常ならざる立場に身を置いている少女もまた、通常の乙女としての機微が備わっているのだ。


「大丈夫か、お前。正気か?色んな意味でだぞ」

「正気よ!仕方ないじゃない、姫騎士はこの神器を身に着ける決まりなのだから!!あっ、あまりジロジロ見ないでよね!!」


 かくして半裸のオークと半裸の美少女の立ち合いは開幕した。



「“いつも通り”さっさと終わらせるんだからッ!」


 宝剣を肩に担ぐルツィノが口中で何かを唱えると、肌も露わな総身は淡い燐光を帯びた。


 ゲバが身構えるや、突風の如き速度で踏み込んだ少女の打ち込みが迫る。

 紙一重でかわした初撃の剣先が石畳を打つと、衝撃で半径一メートル分の石畳が跳ね上げられた。


 手にした、或いは身にまとった天資シングの性能が発揮されたのであろうか。そうではない。


「『精霊術アウラ』だな。そりゃそうか。お前みたいな人間の娘が大剣を振るうなら、当然そうするな」

「そうよ、精霊術アウラ!人族だけが操れる精霊力アウラ、受けてみなさい。筋力ちから任せしか能のない亜人オークなんかに遅れはとらないわ!」


――精霊術アウラとは。

 クァズーレに流転せし万物には目に見えぬ力が宿ると信じられており、その熱量をして精霊力アウラと呼ぶ。

 転じて、精霊力アウラの流れを操り種々の現象を引き起こす方術をも精霊術アウラと称するのである。


 ルツィノが行使したのは、精霊力をもって自らの肉体を強化せしめる術であった。


「何の騒ぎですか」


 女神像の頒布を終えたタエルがやってきて、ゲバと見知らぬ少女が対峙する光景に顔をしかめた。


「なりゆきでああなった。なかなかやるな、あの女子おなごは」

「何がどう成り行ったらあんな状況になるんですかね」


 タメエモンと並んだタエルも、二人の決闘をゆるりと見物することにした。


「せやぁっ!」

「ち……!」


 初撃をかわされた姫騎士の剣が翻り、下から上へと逆袈裟を薙ぐ。

 ゲバは両刃斧を盾代わりにした刃筋を逸らしバックステップ、間合いをとった。


「どうしたのかしら?反撃しないの!?」

「クソ、無駄に強ェじゃねえか。これじゃ手加減できん……!」

「ええ、手加減無用!筆頭騎士の剣、迂闊に受ければ怪我では済まないわよ!」


 姫騎士ルツィノは石畳を抉るほどの打ち込みを何度も放つが、全てかわされいなされゲバの緑肌にかすることすらなかった。

 その間、ゲバが攻勢に転ずることも一切なし。

 自分も相手も傷つかずにいる為に、防戦に徹することにしたのだ。


「あのオーク、押されっぱなしだな。見かけ倒しかよ」

「ルツィノ様が強いんだろ。むしろよく持ってる方じゃね?いつもだいたい瞬殺ワンパンだろ」

「おーい、オークのおっさん!さっさと降参して謝っとけよー!」


 剣の心得がない野次馬の中には、立ち合いを一方的な仕置きと見る向きすら生まれていた。


「あれでは、そろそろちませんね」

「そうか?ゲバはうまく太刀をいなしとるじゃないか」

「ゲバじゃありません。あの姫騎士様の方がですよ」


 タエルの言葉から間もなく、ルツィノの呼吸は徐々に乱れ紅潮した素肌に汗がつたい始めた。


「あれ、内精霊術ネイ・アウラですから。短期決戦用の初歩的な方術ですね」

「あの女子が使う術を知っておるのか」

「それはもう、一応専門家そうりょの端くれですし。私は外精霊術ワイ・アウラですけどね」


「“あうら”には内と外があるのか?」

精霊術アウラというのは基本的に専ら内精霊術ネイ・アウラ、つまり自分自身の内なる力を行使するんです。これは当然、自分の持っている精霊力を使い切ってしまえばおしまいです」

「“外”は違うのか」

外精霊術ワイ・アウラは自分以外の、周囲の草木や大地、川から岩石に至るまで、あらゆる天然自然から力を集めて使うのです。これなら、ほぼ無限に術の行使が可能ですよ」

「便利だのう。なぜ皆はそちらを使わないんだ」

「難しいからですよ。外精霊術ワイ・アウラをやろうとするなら然るべき導師のもと最低でも5、6年は修行しなくては初歩も身につきません。あのの歳では、そこまでの功は積めていないでしょうね。スジは悪くないですが」


 タエルが即興の精霊術アウラ講座を終える頃、いよいよ姫騎士ルツィノは肩で息をするに至る。


「く……力が段々……!」

「そんだけ“飛ばせ”ば息切れも早いだろうな。なあ嬢ちゃん、ここらで手打ちにしねえかい?」

「なにを、ふざけた、ことをッ!」


 ルツィノは残された精霊力アウラを振り絞り、宝剣を振りかぶる。


 すると、攻防の舞台となったギルド前の大通りに「ぐぅ」と一声、何かが鳴いた。


「ん?」


 はたと気付いたゲバがルツィノの方を見れば、彼女はもともと羞恥に染まっていた頬をいっそう紅潮させる。

 眉目秀麗を真っ赤にして俯く美少女姫騎士に対し、ゲバはささやかな“反撃”を思いついた。


「なんだ。もしかしてハラが減ってるんで苛立ってたのか?」


 大斧を肩に担ぎ、上向きに尖った犬歯を見せてニヤリと笑い顔を作ってみせる。

 “腹の虫”が鳴くのを聞かれた乙女の肩がわなわなと震え始めた。


「ちっ、違う!違う……もん……!」


 必死に取り繕おうとする主の意思に反して、腹の虫は更に大きく「ぐうぅぅ~」と一声。

 二度目の“鳴き声”は最前列で見物していた野次馬連中の耳にも入り、どよめきは人垣の外周へと次々伝播していく。


――通常と何ら変わらぬ機微を具えた乙女心が限界を迎えた。

 赤面した姫騎士ルツィノの肩と唇は震え、目元に滲んだ涙の粒がみるみる大きなたまとなる。


「……あー、その、なんだ。すまんかった」

「う、ううううう~~~!」


 上目遣いにゲバを睨む少女ルツィノの目尻から、遂に大粒の涙が零れ落ちた。

 見物衆からは「泣かせた」「姫様泣かせた」「オークが姫騎士泣かせた」と、呟きと共に非難の視線がゲバに集中。

 

「わかった、わかった。俺の負けだ。完敗だよ」


 うんざりとした顔で斧を収めたゲバは、伸び放題の白髪をボリボリと掻き毟って敗北宣言。


「これじゃあワシでも勝てんな。文句なしの決まり手だ!」


 腹の帯を自ら打ってカラカラ笑うタメエモンを横目に、ゲバは「明日になったらもっと遠くへ行こう」と思ったという。

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