その2 ようこそ奇荒大陸へ

 巨大な湖のほとりに、樹木や皮革と石をでたらめに組み合わせた掘っ立て小屋が点々と集まっている。

 小屋を出入りする者は一様に竜人リザードマンであることから、ルアはここが竜人どもの『集落』であることを理解した。


 植物のツタで後ろ手に縛られた女神の少女は、周囲よりいくらか大きな小屋の前で乱雑に降ろされる。

 口々に何事かを発してくる竜人たちを見て、ルアは翻訳システムを起動。


 暫くして、竜人の言葉が意味のある口語に変換され始めた。


「おまえ なんだ!」

「おまえ おれたちと ちがう!」

「そのひらひらしたものは、なんだ!」


 竜人は石オノや槍で武装しているものの、衣類らしきものは身につけていない。

 彼らはどうやら、文化的に、あるいは文明的に着衣の概念を持たないようだ。


 そういったルアの分析はおおむね正確であったが、ちょっとしたが口を挟んだ。


「おれ しってる! このひらひらしたのは メスの 『服』だ!」

「服?」

「服! 服ーッ! 服ーッ!」


 幾人かの竜人がけたたましい声で騒ぎ始める。


 分類できぬ興奮に駆られた竜人たちは、ルアの身につけたケープとワンピースに手をかけ力任せに引き千切った。

 下着の一部も巻き添えにほつれ、タイツも伝線し所々に穴が開く。


 白い柔肌を晒した少女を、鱗の怪人達が取り囲み。


「おまえ メスだな!?」


メスだ!」

メス!」

メスは タマゴ 産む!」

「タマゴ!!」

「おれたちの タマゴ 産む!」

「たくさん タマゴ 産む! おれたち 増える! つよくなる!!」


 ルアが読み取った竜人どもの感情は、そもそも感情と呼ぶには原始的過ぎるの滾りだ。

 思慮も道義もない抜き身の欲求を向けられて、少女の身たるルアは“恐怖”を覚える。


 悲鳴を発するルアの細腕を、両脚を、異形の怪人達が掴む。天資シングの特殊カーボンで作られた人造骨格が、みしりと軋んだ。


 辛うじて残されていた下着を剥ぎ取り、首に掛けていたペンダントも引き千切り、一矢まとわぬ少女の身体からだは異界のけだものたちの手に。


「みっともない真似をするな」


 不意に投げかけられた声に、竜人どもがぴたりと押し黙りふり返る。


 低く掠れているのに、なぜか聞き逃すことができない声。


 主は、女であった。

 上半身を覆うマントと足元まで裾が伸びるロングスカートは、どちらも墨に浸したような黒。

 唯一露出している顔は褐色の肌、真っ白い長髪の穂先を紐で括っている。


 闇色を湛える紫の瞳が、無法の蛮族を静かに睨んだ。


「なんだ おまえ!」

「あいつも メスだ!?」

メス! タマゴ!」

「つかまえろ!」


 一拍は黙った竜人たちが再び騒ぎ出す。

 その様を見て、女は短くため息をついてから、ドスの効いた低音掠声ハスキーボイスで呟いて。


「……お仕置きが必要だな」


 女が袖に忍ばせていた柄だけの何かを宙に振るうと、シャキンと音を立てて銀色の棒が伸長。現代日本の我々が知るところの、特殊警棒である。


 マントの裾がフ、と翻って、黒尽くめの影が竜人集団へ踏み込み先制。

 気配を遮断した挙動は、目の前に捉えていながら予測が難しい。


 竜人どもが慌ててルアを地面に放し得物を構える頃には、既に女の振るった棒の先が脳天にめり込んでいた。


「グエーッ!」


 の竜人が、大の字になって地に倒れた。

 続いて女は、脳天、脳天、側頭部、眉間、次々と警棒を叩き込み蹴散らしていく。


 殺害には至らぬまでも、行動不能にする痛手を負わせて竜人の包囲を突破。

 無造作に地面に転がされた全裸の少女を抱き起こし、手首の戒めを解く。


 ルアはようやく、彼女の顔をきちんと視認し得て声を発することができた。


「あ、あなたは……!」

「ん……どこかで会ったか?」


 どちらかが言葉を継ごうとする前に、遠くからルアを呼ぶ叫び声が聴こえてくる。

 変態的な嗅覚と勘により、GPSも使わずに最短距離での追跡行に成功したタエルとタメエモンだ。


 タエルは、ようやく視界に入ったルアのあられもない姿に気付くや、血相を変えて駆け寄った。

 そして、自分の着ていた防寒着コートを脱ぎ、少女の肩にそっとかける。


 ここまで全力疾走で息の乱れたタエルの口からは、くっきりとした白い呼気が漏れている。


「タエル、私は大丈夫です。人造義体アンドロイドは、人体よりも寒さに耐性が」

「いえ、着てくださいッ!」


 ルアの言葉を遮るタエルは、彫りの深い眼窩に涙を溜めていた。

 彼がこの時ルアを抱きしめなかったのは、僧侶として身につけた自制の習慣ゆえだ。


「おまえは、ラムダ」


 タメエモンが女の名を呼ぶ。

 元女剣奴ラムダは、タメエモンたちが自分を警戒していないことを察し、並び立つ。


 向こうに回した竜人たちは、すでに警棒による痛手から復活しつつあった。


「あいつら、いったい何者だ」

竜人リザードマン――ここの住人だよ」


 立ち上がってタメエモンたちを見た竜人が、何事かを呟き合ってうろたえる。

 ルアは彼らが口にするを翻訳し、タメエモンとタエルの脳裏に思念送信テレパスした。


「あいつらも服を着てるぞ。じゃあ、あいつらもメスか……?」

「タマゴ 産むのか?」

「おれ イヤだ! あいつらの タマゴ イヤだ!」

「おれも!」

「イヤだ!」


「やかましい! 一人ずつ張り倒してやるから、そこへ並べい!」

「覚悟はいいですね? あなた方は、直々に折檻です」


 大男二人、片や憤怒の形相。片や静かな深い怒りの眼刺まなざし。

 ラムダも冷徹な気配をまとい特殊警棒を構え直している。


 明確な敵意が威圧感をもってぶつけられ。力の差を直観した蛮族が怯んだ。


「ティラノさんを呼べ!」


「ティラノさーんッ!」

「こない!」

「ティラノさんは もう呼んだ!」

「忘れてた!」


「ブロントさんは 呼んだか?」

「ブロントさんは 呼んでない!」

「ブロントさんを呼べ!!」


「ブロントさーんッ!」


 けたたましい竜人リザードマン声が湖にこだまする。しばらくすると湖が呼び声に応え、海原のように泡立った。

 風でわずかに波打つ程度であった湖面が揺れる。大きく大きく揺れる。


 ゆっくりと首をもたげ姿を表したのは、全長にして100メートルの超巨竜である。

 湖底を踏みしめる四脚歩行、遠目には緩慢に見える。


 しかし、ふと気がつけば、人間たちは天を覆う巨体を見上げていた。

 遠近感も速度感も惑わされるほどのサイズ差なのだ。


 巨竜の威容に圧倒されかけたタメエモンたちであったが、竜人どもに対する怒りが思考の尻を叩く。


 鱗もつ塔のような四脚足下、竜人どもがまたも退散を始めていた。


「あいつら、また逃げるつもりだ!」

「待ちなさいッ!報いが済んでいませんよ!」

「まったく、情けないことだ」


 文字通り尻尾を巻き遁走する竜人。タメエモンとタエルはその背に怒鳴り、ラムダは冷血な軽蔑の視線を向けている。


――この中で最も冷静で冷酷なのは、ルアであった。


 ルアは少女の姿をしているが、戦闘マシンの行動端末である。

 機械の眼差しは戦場を見渡し、思惟は目標達成への最善手を導き出す。


(キハヤトゥーマ、戦闘終了コンバット・オーバーを確認――!)


 曇天彼方、上空の光環から虹の柱が伸びたのを確認して、ルアが衛星軌道に位置する戦術電送艦へアクセス。


 砲撃指令を受けた閻環征門サタンフォースにより、天空から数条の光線が降ってくる。

 予想だにせぬ角度から回避不能の速度で放たれた光狙撃を受け、女神の純潔に手をかけた蛮族たちは残らず焼き払われた。


「私、これでも“女神”ですから。あなた方には“天罰”です!」


 女神は、消し炭の骸に淡々と言い放つ。

 ルアはいま自らが為した行為の源泉を“怒り”と名付けていた。



<<閻環征門サタンフォース、電送せよ>>


 ルアが電脳越しにば、空の光環より虹柱来たり。

 白磁にきらめく移動神殿――大日天鎧ソルアルマは、電送完了と同時に各機関ブロックを分解!機神構築ビルドアップだ!


<<スクナライデン――“はっけよいのこったコンバット”!>>


「おう、任しとけい!」

「ラムダ殿は巻き込まれぬよう下がっていてください」


 完成したスクナライデンが、曇天の下に白と金で彩られた巨体を燦然させる。

 問答無用で中枢機関へ格納されたタメエモンとタエルだが、戸惑いも抗議もない。もとより彼らも“そのつもり”であった!


<<彼我体格サイズ差4倍強。質量差に注意して下さい>>


「何を言うルア様よ。相撲は元々、階級クラスを隔てないのだ。小兵が巨漢と対峙することなど珍しくない」


 スクナライデンが蹲踞そんきょの姿勢からたいを前傾し、拳を大地につく。

 ブロントサウルスは、足元で身をかがめるが発する臨戦の気配を感じ取り、長い首を下方へ向けた。


 巨竜が発した威嚇の咆哮を合図に、輝機神ルマイナシングスクナライデンが大地を蹴る。

 同時に背部噴進機構ブースターを一斉点火!


 砲弾の如き初速でぶつかっていったのは、ブロントサウルスの脚だ。

 一本が塔のごときブロント四脚は、身長20メートルに達するスクナライデンから見ても大黒柱かなりおおきい


 とは言え、力士にとって“柱を打つテッポウ”は本領である。

 巨竜の前脚に、巨力士の張り手が響いく響く響く!


 一瞬で飛び込んだ輝機神の攻撃で、体をぐらつかせたブロントサウルスはようやく自身の“敵”をはっきりと認識。

 遠目には非常にスローに映る動きで、突っ張り受ける左前肢を持ち上げた。


「踏み潰すつもりか!」


 持ち上がってゆく眼前の柱。

 その場に留まれば圧殺確定の超面積ストンピングだ!


 スクナライデンの背中が再び火柱を曳いてスッ飛んだ。

 巨体の両脚を宙に浮かす推力で、ブロント踏み付けを回避!


 機体を宙に浮かせたことにより、ストンピング地響きの影響をもかわし。


 白金力士、転進!


 張り出した肩の装甲を突き出したまま、噴進ロケットの勢い緩めず巨竜の膝関節にショルダー・タックル!


 そして離脱!


 たなびく炎は、一筆書きの軌道で別の脚へ向かう!


 タックル一撃!


 そして離脱!


 一撃!


 離脱!


 一撃離脱!


 スクナライデンは、この戦闘に於いて自身が小兵こひょうであることを利用した。


 ブロントサウルスが捕捉できない速度で翻弄し、要所への痛打を積み重ねてゆくのだ!


「タメエモンはこういう戦い方もできるのですね」


 複座搭乗者サブ・ナビゲーターをつとめるタエルは、仲間の力士が始めて披露したヒット&アウェイ戦法に感心した。


――この男は、相撲だけではない。輝機神ルマイナシングを我が身そのままに扱い、性能を引き出してみせる――


 いつか抱いた嫉妬心がまたぞろ持ち上がるのを自覚し、タエルはかぶりを振って頬から呼気を吹き出した。


「あなたに並び立とうと言うならば――私も一層、精進しなくてはなりませんね」


 口中で呟いた彼の言葉を聴く者は無かった。

 ただ、搭乗者ナビゲーターのコンディションをモニターするルアは、この時タエルの士気高揚度テンションに微増を見た。


「そら、首長くびなが、ワシはここだぞ!」


 背後に回りこみタメエモン。

 外部スピーカー越しにブロントサウルスを挑発すれば、巨竜応じて長大な尻尾をひと振り。


 湖畔の木々をなぎ倒して迫る尾撃。その先端がスクナライデンの側方に迫る!


「――熊蜥蜴ファラミーヌと要領は同じだ!」


 巨竜捕縛!


 振るわれたブロントサウルスの尾先は、白金の機械力士の脇腹にがっちりと抱え込まれた!


 スクナライデンの双眸、橙色に耀き。

 ブロントサウルスは尾に力を込めて、とりついた巨神を振り払おうとする。

 だが力士の重心はしかと大地に根を下ろし、もはや微動だにしなかった。


「むおおおおおーッ!」


 タメエモンの怪力ばかぢからが、相互伝達式格納宮フィードバック・コネクト・ゲルを通して輝機神ルマイナシングに伝達。

 半透明の装甲に覆われた両腕が、超越者でうす神力ばかぢからを具現化する!


 かいなちから加わって、巨竜の四脚ついに地面を手放して。


 ジャイアント・スイングである。捕らえられた尾の先端を中心に、巨大竜ブロントサウルスはこれまで経験したことのない浮遊体験を味わう。


 36周に及ぶ大回転の後、ブロントサウルスはスクナライデン渾身の超怪力をもって棲家たる湖に叩きつけられた!


 瞬間、湖がひっくり返される。にわか起こされた土砂降りが湖面に戻り、大波が沿岸をさらう。


 鱗皮の下、骨格と内臓を叩き付けによって粉砕されたブロントサウルスは絶命だ。

 主体を喪った体組織は、その本性に従って急速燃焼。からの、大爆発!


 白金力士が湖に背を向け、『心』の一字を宙に切る。湖面に、いま一度、大きな大きな水柱が立ち上がった。



 スクナライデンがブロントサウルスを打倒した頃、打ち棄てられた黒焦げの骸がぴくりと動き。

 炭化した表皮がパキリと割れて、中から白くふやけた竜人たちの体が現れた。


「ふん、ようやく“脱皮”したのか」


 復活を遂げたばかりの竜人たちに、ラムダがどこか呆れたような声をかける。

 未だ鱗柔らかなる竜人は怯え混じりに身構えるが、ラムダは無関心な眼差しで彼らを眺めるばかりだ。


「とっとと失せろ。そうそう、“こいつ”は諦めておけ」


 ラムダがぶら下げてみせるのは、骸状態の竜人から回収したルアのペンダントである。


「連中には“借り”があるのでな。こいつで返させてもらうんだ」


 言いながら、ラムダは細い眉を一瞬ひそめたが、竜人たちは彼女の言葉を聞き終えぬうちにこの場から退却していた。



「こいつら、喰えるかのう」


 岸辺に打ち上げられたブロントの肉片と、キハヤが引きずってきたティラノの死体を交互に眺めてタメエモンが何やら思い巡らす。


「食えないことは無かろう。煮炊きの燃料に使った方がよほど有用だがな」


 ルアにペンダントを渡したラムダは、胸から腹にかけてをズタズタに抉り散らされたティラノの亡骸を無表情に見て言った。


「ラムダはこの地に詳しいのですか?」

「……少なくとも、お前たちよりはな。私は元々、ここの出身だ」


 はたとラムダに注目するタメエモンとタエル。

 それまで未知なる竜の肉質に向けられていた興味は、一気に褐色の女へと向けられた。


「ここにもヒトが住んでおったのか!」

「ラムダ殿、私達は少しでもこの地について情報が欲しい。教えてください。ここはどういった土地なのでしょうか」


「ここか?ここは、そうだな……ひとまず呼び名は『奇荒大陸ゲ・ムー』とでも呼ぶがいい」

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