その4 往時の英雄

 魔者マーラの中には人間にほど近い知性と身体的特徴を具えた種族もいくつか存在する。

 彼らは『亜人』と称され、土着の人族と時に敵対、時に黙認、時に交流まじわり、そうしてクァズーレで世代を重ねてきた。


 いまタメエモンを取り囲む緑肌の大男たちも、そういった亜人の一種。『オーク』と呼ばれる、亜人の中でも最も数が多く最も人族との関わりが深い者たちである。


「おい人間、痛い目を見ないうちに出ていけ」


 包囲オークのうちタメエモンの目の前に居る者が手斧を振りかざして威嚇する。

 人族のタメエモンからすると、彼らオークの顔は区別がつかず老若もいま一つ分からない。だが振る舞いと気配から、このオークがまだ若者なのだろうと察した。


「なに、鍋を借りに来ただけだ」

「鍋ぇ?ふざけてんのか」

「深刻だよ。飯時まで時間が無いのだからな。借りたら必ず返しにくるから心配するな」

「ダメだ、帰れ!」

「どうしてだ?」

「どうしてもだ!」

「もしかして、お前たちは料理をせんのか?」

「するよ!亜人だと思って馬鹿にしてんのか!?」


 殺気立つオークの若衆に囲まれているというのに、タメエモンは日常と変わらぬ口調で話を続ける。

 その様子が、血の気が多いオークたちを苛立たせた。


「お前、俺達を舐めてんだろ!」

「こいつは痛い目みないと分からんやつだ!」

「やっちまおう!」

「やっちまおうぜ!」


 包囲オークが口々に怒鳴り手斧を構えた。静かな森に殺気が澱む。

 タメエモンは身構えたが、それは年若いオーク達の殺気に対してではない。彼らの奥に控えた者の気配に対して身構えたのだ。


「お前ら、下がれ。やるなら俺がやる」


 森の奥から出てきたオークは、タメエモンが見ても“他とは違う”ことがよく分かった。


 ただでさえ大柄なオーク達の中でもひときわ大きくがっしりとした体格。反り上がった大きな鼻と上向きの犬歯がはみ出した大きな顎は種族特有のものだ。

 白髪は蓑のように伸び放題だが、額に植物の蔓や石で作った装飾を巻き、首にも色とりどりの珠で拵えた首飾りをかけている。首飾りの中央で輝く青い宝玉などは、猪との合いの子のようなオークの面構えの下では殊に目立った。

 緑色の屈強な肉体の至る所に幾何学模様の入れ墨が入っている。これは迷彩だとかの実用的な意味もあろうが、何より彼らの美意識に基づく伊達ファッションなのであろうとタメエモンは解した。


「ですがゲバ隊長」

「俺はコイツがただ鍋を借りるだけってんなら貸してやりゃあいいとも思うがな。酋長は余所者入れるなって言うから、そうするしかない」


 ゲバと呼ばれたオークの隊長が、腰に提げた斧を手に取りゆっくりと胸の前へ構える。他の若衆オークが持つ手斧など比べ物にならない両刃の巨斧だ。刃渡り一メートルはあろうかという分厚い鉄の塊を、ゲバは片手で軽々と扱っている。


「て言うか隊長が前へ出てどうするんスか」

「俺達にも手柄のチャンス下さいよ。指揮官は指揮するものスよ!」


 血気はやる若オーク達の言葉に、ゲバは戸惑いをみせた。


「だがな、こいつはお前たちじゃ」


 実を言えばゲバは、佇まいから一目見てタメエモンの力量をある程度は推し量れていた。目の前の人族にしてはデカい男は、部下たちが束になっても敵わぬだろう。

 それをどうにかして向こう見ずな若僧どもに伝えなくては。そう考えているうちに、当の部下はしびれを切らす。


「これだけ数が違えばどうにでもなりますよ!」

「うむ……う、うむ。それなら、やってみろ」

「はっきりした号令をかけてくださいよ」

「……かかれ!」


 指図を急かされたオークの隊長は、やむなく部下に攻撃の命令を下した。


 待ちかねたとばかり、包囲オークが手斧を振り上げタメエモンに躍りかかる。その数6人。


「やれやれせっかちな連中だ!」


 タメエモンは踵を返し、背後から迫るオークの懐へ一瞬で飛び込む。

 得意の張り手で顎先を突き上げ、のけぞるオークの背後へ駆け抜けた。


「さあ、“順番に”かかってこい」


 巨木を背にしたタメエモン、6人のオークをすべて視界に入れる。仲間に先制攻撃を入れられたオーク達は頭に血を昇らせまっすぐに突っ込んでくる。


 彼らの武器が手斧である以上、攻撃手段は斬りかかることである。経験が浅く冷静さを欠いたオーク達にはその特質が意味するところに思い至ることができなかった。


 タメエモンは突っ込んできたオークの斧を足さばきでいなし、足をかけて転倒させる。間髪入れず踏み込んできた二人目の顔面に張り手の一撃。三人目には頭突きを見舞う。


「お前ら、それじゃダメだ!もっとこう、あー、こうな!!」


 後方から若衆の動きに対して何らかを伝えようとするゲバだったが、肝心の的確な指示が喉をつかえて出てこない。意味不明な手ぶりが虚しく宙を切った。


 ゲバが言いたいことは「取り囲んで同時に攻めろ」だ。一直線に列をなして突っ込んでいくのでは、タメエモンにとっては一人を相手取るのとまるで変わらない。

 多勢を恃みにしていた筈の若衆オーク達は、まったく自らの利を活かすことなく戦いを挑んでいるのだ。


「どっせぇい!」

「ぬお!?」


 もどかしさをおぼえるゲバの目の前に、猛スピードで迫ってきたのは尻だった。タメエモンが投げ飛ばした四人目の部下の尻だ。

 思わぬ不意打ちにおくれをとったゲバは、緑の尻に顔をうずめた。部下が褌を着用していたのは幸いであった。


「うっぷ……お前ら、しっかり……うぶぁ!」


 残りの部下も次々のされては放り投げられ、ゲバはあっという間に出来上がったオーク六段重ねの下敷きになった。


「ワシの勝ちだぞ。分かっているとは思うが、いくさというのは勝者の言うことを敗者がきくものだ」


 うんざりした顔で重ねオークの下から顔を出したゲバを、タメエモンがにんまり笑って見下ろしていた。



「手勢の若衆、威勢が良いのはけっこうだが、ちと殺気立ち過ぎではないか?」

「この辺りは外敵が多いからな。油断すればたちまち喰われる側だ」


 勝者は即ち強者。人族よりも蛮性に富むオークたちはこの理にしたがい、タメエモンを自らの棲み処へと案内している。

 先ほどと変わりない気安さでゲバに話しかけるタメエモンの背を、後ろにつく若オーク達は張り手で打たれた豚鼻をさすりながら恨めし気に睨んだ。


「くそ、人間め……覚えてろよ」

「まともに部隊が動けてりゃ、勝ち目はあったんだ」

「そうだ、まともな指示で動けてりゃな」


 彼らの憎まれ口は、いつしか彼らの上司へと矛先が向いている。

 タメエモンはその口ぶりに少なからず思うところがあったものの、当のゲバが何も言わず先頭を歩くのを見て余分な口を差し挟むことはやめた。

 ここで部外者の自分が何か言うようでは、余計にこのゲバというオークの面子メンツが立たなくなるだろう――タメエモンはそう考えたのだ。


 獣道をひた歩くこと数十分。森の中唐突に開けた場所に出た。人族の建築物に比べれば幾分か簡素な住居が数棟に、独特の美意識のもと建立された柱のようなオブジェが頭上に松明を灯す。話にきくオーク達の集落だ。


「帰ったかゲバ……ん、なんだその人間は」


 帰還した戦士たちを迎えた老オークは、明らかな異物たるタメエモンを見るや顔中の皺を駆使して不快感を露わにした。


「酋長。コイツに鍋を貸してやってくれ」



「どうしても行くというのだな」

「ああ。この度の失態、言い逃れしようとは思わん。あいつらも、もっとマシな指揮さしずを受けたいだろうしな」

「そこまで言うならこれ以上止めはしないが、達者でな」

「……まあ、それなりにやるさ」


 オーク達に鍋を借りうけたタメエモンが「返さなくていいから二度と此処へ来るな」などと言われ追い出されるようにして集落を発つ折。

 唯一見分けがつき名前も知ったゲバというオークと、小柄で皺だらけのオーク酋長が何やら話している所に出くわした。


「おう、ゲバ。お前さん、また出掛けるのか」

 気さくに声をかけてきたタメエモンに対し、酋長は表情に不快さを滲ませた。

 目をそらすゲバは、テントか馬車の幌に使うような布のマントに身を包み、大きな肩に大きなズタ袋を担いでいる。


「旅に出るのか。奇遇だな」


似たようないで立ちで旅をしているタメエモンは、彼も同じ道を歩むところなのだとたちどころに察した。


「行くあてはあるか?無ければちょいとワシと一緒に来ないか。今からちょうど飯を振る舞いに行くところなのだ」

「……まあ、いいだろう」


 大鍋を担いだ力士と旅姿のオークは、連れ立って森のオーク村をあとにする。彼らを見送る者は、誰一人として居なかった。


「なあゲバよ。お前さんの旅は“片道”か?」


 いま来た獣道を戻る中、タメエモンが尋ねる。


「……そうだ。集落あそこへはもう、戻ることはない」

「“家”を捨てるとは、よくあの堅物ヘンクツそうな酋長おやぶんが許したな?」

「許すさ。向こうにとっちゃ、願ったりなんだからな。形としちゃ俺が集落を抜けたってことになるが、実際は追い出されたようなモンだ」


 ゲバは嘲り交じりに、反り返った鼻を鳴らし、三白眼でどこともなく遠くを見やる。


「どういうことだ?」

「ずけずけとよく訊けるもんだ……まあいい、暇つぶしに話そう。あまり楽しい話じゃないぞ」

「構わん」


 ゲバは、今に至る経緯を訥々と語り始めた。


「さっきはあんな無様を晒したが、これでも全盛期わかいころは集落で俺より勢いのある戦士は居なかった。いつも先陣きって戦場を駆けずり回ってな。周りからもオーク英雄ヒーローなんてもてはやされたもんだ」

「だろうな」


 タメエモンは頷く。最初に感じた気配からすれば、ゲバは力量のある戦士に違いない。


「俺達の集落はネンコージョレツの縦社会でな。たまたま生き残っちまっただけの俺も、気が付いたら年長者だ。右も左も分からん若衆ヒヨッコを部下につけられた。それからがクソみたいな日々の始まりだ」


 普段はこれほど喋ることがないのか、ゲバは口中に溜まった唾を草むらに吐き捨ててから話を再開。


「ようは“向いてなかった”んだ。俺は一人で突っ込む戦バカで、それ以上のモンは何もないんだ。俺よりも指揮官さしずに向いてる同期やつらは大勢いた……だけど皆、とっくにくたばっちまってた」

「だろうな。先ほどの戦闘でも、お前さんがいつ“どけ、俺がやる”なんて言うか用心していた」

「ハ、そんな余裕があったんじゃあ、若僧どもが敗けて当然だな。まあ、俺の率いる部隊は毎度毎度“あんなふう”さ。もと英雄様の指揮する部隊だってんで余計な期待がかけられた上でアレだ。周りの連中がどんな風になっていくか、わかんだろ?」

「針のムシロ

「そうそう。若い頃になまじっか手柄を立てたお陰で持て余されて、すっかり老害ロートル扱いさ。上からはどやされ、下からは突き上げられ、な。そこへ持ってきて今日の一件さ。よりにもよってたった一人の人族に、6人がかりで大負け食らった。隊長解任の理由としちゃこれ以上ない“決め手”だったな。酋長じきじきに、若手の下で下っ端をやれとのお達しが来た」


「ひどいもんだ。面子もなにもあったもんじゃない」

「だからこそ、そうしたんだろうな。俺にも戦士の誇りプライドがある。そいつを逆なでされて黙っているワケにはいかない。酋長は、結果的に俺が集落を出ていくように仕向けたのさ」


 ひとしきり語り終えた所で、ゲバは深く長い溜息をついた。


「……なにもかも、今日できっかり終わったことだ。あとはまあ、それなりに生きて適当な所で土に還るだけだ」


 投げやりな言葉。だが、今のゲバは倦んだ日常の檻からようやく解放され晴れやかな面持ちをしていた。


「しかしまあ、ずいぶんと愚痴を溜めこんだものだな」

「……面目ない」


 ばつが悪そうに白髪を掻き毟るゲバのすっきりした面持を見て、タメエモンは彼の前途に救いを見た。


「お前さん、本当にアテがないなら一緒に来んか。見たところ、いい力士になるぞ!」

「リキシだあ?」

「四股名は大森林おおもりばやし、でどうだ」

「……遠慮しておく。戦士いきかたまで捨てるつもりは無いからな」



 ゲバを連れたタメエモンがミンゴ村へ戻ると、広場に再び人だかりができていた。

 人だかりの理由はそちらに目をやるだけで分かった。つい数時間前、即席の土俵で相撲をとった場所には奇怪な形の『堂』が建っていたのである。


「なんだアレは。この村にあんなものがあるなんて聞いたことがない」


 一軒家ほどの大きさがある“それ”を、ゲバは戸惑い気味に指さした。

 白磁のような色と質感の丸や四角のブロックがより合わさった複雑な形状だ。これまで森の木々に囲まれて生きてきたゲバには、目の前の“何か”を形容する言葉が思い浮かばない。


「ワシは今日来たばかりだが、さっきまではあんなものなかったぞ」


 さすがのタメエモンも首をかしげる。僅か一晩にも満たぬ間にこれほど巨大な建造物を完成させる手段も、理由も考え付かなかった。


「あ、タメエモンおかえりなさい!」


 人垣の足元をくぐって、ナモミが駆けてきた。


「その人誰?」

「さっき知り合ってな。今日から旅に出ると言うから、景気づけに鍋を振る舞おうと思って連れてきたのだ」


 紹介されたゲバは、マントについているフードを目深に被った。亜人オークの姿をいたずらに晒してはいらぬ混乱を招くと危惧したのだ。


「すげえ!でっかいなー!」


 ゲバの配慮は知らぬが仏か。ナモミは無邪気に目を輝かせ、目の前の大男二人を交互に見上げ始めた。


「なあナモミ。あの建物はなんだ?あんなもの無かったろう」

「うん、なかったよ!」

「じゃあ、なんだアレは」


「アレね、『移動神殿』って言うんだって!」

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