その4 僧侶の道程
『バイフ大霊山脈地帯』はガルダ大陸の西端に連なる、クァズーレ最大の霊峰群だ。
この山脈を越えた先に未開の大陸があることはクァズーレの人びとには知られていない。人族でバイフの秘境奥地へ赴き生還した者は未だ嘗て存在しないからである。
生物の存在を易々とは許さない過酷な高山地帯であるが、敢えて住み着く者達がいる。
自らを律し鍛えるべく苛酷な環境に身を置く彼らは、志の似通ったもの同士寄り集まって寺院を作っていた。
バイフに点在する寺院は、いずれもこのようにして出来上がったという。
見渡す限り岩、切り立った断崖といった険しい地形。人里たる寺院に辿り着くにも、人の足なら一ヶ月は要するであろう。
「あと30分で目的地に到着します」
「――さすがルア様。わずか半日でこの酷道を踏破するとは」
前面に見渡す限りの岩肌山岳地形広がるフロント・ウィンドーを注視する女神ルアに、タエルが賞賛の言葉を送る。
少女は二つで対になったグレープフルーツ大のコントロール・デバイスにたおやかな両五指を添えている。
「もしや移動神殿とはこうして使うものだったのか、ルア様よ」
「はい。
いま一行を乗せて山道を走っているのは、現代の乗り物に喩えるなら巨大トラックに似た外見の“車輌”だ。
『ラズギフト・ハーフ』と名付けられたこの形態は戦闘能力を持たない純粋な移動モードであり、操作はルアが単身で行っていた。
四つの車輪からはカギ爪状のスパイクが飛び出し、車体が岩山に吸い付くようにして爆走している。
車内には大男三人と少女一人が充分に立ち座りできる充分な空間が設けられており、その気になればこの中で生活することも可能であろう。
「いつもこんなのに乗ってたのか?」
壁にもたれ、床に足を投げ出して座ったキハヤが問う。ペラギクス帝国を経って未だ一日。かつて敵対したことをまるで気に留めていないかのような自然体だ。
「いや。今までは徒歩だった。タエルがこの移動神殿を引きずっていってな」
「こんな便利な形になれるのに?」
「神殿が形を変えられることだって、つい最近知りましたからねえ」
「タエルがずっと神殿と呼んでいた形態は『バリア・フォート』と言います。完全防御形態です。ですけど……“神殿”で良いです。その方が、えっと、“愛着”があります」
自身の感情を確認するようにルアが言う。
ミネル曰く、人格プログラムを構築するにはAIに人間との会話を重ねさせることが必要。
タエルが日夜積み重ねた妄想により基本的な会話教育は既に完了しているものの、インプットされた感情を馴染ませるプロセスは複数の人間との接触が重要なのだ。
このような事情から、ルアは会話を通して自身の感情を再確認し、それと共に人間らしさも増していた。
以前は平板だった声の調子も、今では少女の外見に相応しい抑揚のついたものになっている。
「このまま“北の大陸”を目指す?」
壁に設けられた覗き窓に流れてゆく岩肌を眺めながら、キハヤがルアに問う。
事前に行き先について示し合わせていた筈だが、一行を送り出すマンコの話が長かったため彼は途中から聞いていなかった。
「現在の目的地は“ミケ寺院”に設定しています」
「ミケ寺院?」
「――私の故郷です」
「ふぅん。タエルの家か。どうして?」
「……いちおう、これから死地へ向かうのです。思い遺すことが無いようにしておきたいじゃないですか。少々寄り道になりますがご容赦下さい」
キハヤは特に興味もなさげに「そうか」と頷き、再び窓の外へ目をやった。
*
「タエル!? タエルじゃないか!」
山岳斜面に貼り付くように建てられた寺院の傍にラズギフト・ハーフを駐車して、一行がバイフの地面を踏んだときだ。
巨大な
十名に満たぬ僧侶はみな男性。いずれも禿頭に剃髪し、タエルが身につけているのと同じ山吹色の胴衣に身を包んでいる。
「元気そうだなお前、一年も何やってたんだ?」
「ばかみたいに大きな荷台だな! 出て行くとき引きずってた“神殿”はどうしたんだよ」
「
口々に話しかけてくる僧侶たちにタエルはひとつひとつ丁寧に返事をする。皆、親しげに砕けた口調である。
バイフ寺院の話を多少は聞かされたこともあるタメエモンは、彼ら僧侶とタエルとのやりとりは日々寝食を共にし家族同然に過ごしたことによるものだと理解した。
「後ろに控えている方々とはどういう関係だ?」
「旅先で知り合った仲間です。特に、皆様に紹介したいお方がいらっしゃいまして」
「紹介したい方、って――――!?」
僧侶のひとりが、並んだ大男の中に異彩を放つ少女の存在に気付くや、息を呑む。
次々と他の僧侶たちも驚きに押し黙り。
――彼らはその少女に見覚えがあった。
「まさか『女神ルア』!?」
少女の姿は、“ありし日”のタエルが黙々と石を削り出して作り上げた『女神像』に瓜二つであった。
タエルが自ら作った少女の像を女神と称し、脳内設定を夜な夜な喃々と語り続けていたこと、ミケ寺院に知らぬ者は居ない。
おとうと弟子が異様な執着を見せた女神の名こそ『ルア』と言い。
かの妄想の産物がまさに目の前に立っていることに、ミケ寺院の僧侶誰もが唖然。
しかる後、歓声である。
「マジかよ、こいつマジでやりやがった!」
「とんでもねえなあ。どうやって引っ掛けてきたんだ」
「か、かわいい……」
「あ、あの……ええと、初めまして。女神ルア、です」
ルアがぺこりと頭を下げると、歓声ふたたび。
今まで取り囲んでいたタエルをそっちのけに、兄弟子たちの興味はルアに集中。
出身地から始まり好きな食べ物、趣味、異性のタイプ、家族構成、行きたい場所、好きな球団、取得資格に職務経歴、おまけに持病と必殺技――根掘り葉掘りの質問攻めが始まった。
背景に広がる山脈の一部と化したタメエモンと、呆然と僧侶たちの喧騒を眺めるキハヤは、彼女に助け舟を出すこともなくなりゆきを見守っている。
通常のマルチタスクとはまた勝手の異なる状況に、ルアは最善な
1024ものタスクを並行処理可能な超技術コンピュータは、生まれて初めて
後ほど、ルアはこの時の感情が“困惑”なのだと認識した。
「う、えっとですね。皆さん、私は、ううん、なんて言うか……!」
「何を騒いでおる!」
結局、彼女を救ったのは最後に寺院の堂から出てきた住職の一喝であった。
あれほど騒いでいた僧侶たちが水を打ったように静まり、バツが悪そうに視線を落とす。
山吹色の衣に鮮やかな紫の袈裟は、それを身に着けた者がこの寺院に於ける最高序列にあることを示す。
産毛も剃り落とした禿頭、胸の中ほどまで伸びる白い髭を蓄えた老僧侶は、雪が積もったような白い眉の下に鋭い眼光を放ち。
「――タエルか。何用じゃ」
見た目相応にしわがれているが、芯の通った威厳を伴う声は、聴く者の背筋を否応無く伸ばす。
中でも名指しで呼ばれたタエルは、頭皮に冷や汗すら浮かべていた。
「お師匠、お変わりなく……」
*
その夜、一行は塩漬けと乾物を添えた粥を振舞われ、武道場のような板の間に薄い布団と毛布で設けた床を借りた。
過酷なバイフの山寺にあってはこれが最上級のもてなしであり、実際彼ら、特にルアは僧侶たちに歓迎されていた。
夜も更ける頃である。住職ニ=ヤンの部屋を訪ねる者があった。
“蛍雪”の
向こう側に、大柄な人影が丸い頭をくっきりと浮かび上がらせている。
日課である経文の書写の手を止めた老僧は、人影の正体を察し声をかけた。
「遅かったのう、タエル」
ニ=ヤンの言葉がいまの時刻を指したものか、それとも今日に至るまでの月日を指したものなのか、名を呼ばれたタエルは解釈に悩んだ。
僧侶タエルが生まれ育ったミケ寺院を飛び出してから、ちょうど一年が経過している。
孤児であったタエルはミケ寺院で育ち、当然のように僧侶となった。彼には
周囲からも期待をかけられ修行の日々であったが、ある日落雷を伴って出現した
若き僧侶は
男ばかりの寺院で育ったタエルは、初めて直接聞いた女の声にひとり悶々と想いを馳せ、天と山を繋ぐ女神ルアを創作するに至る。
当然、師匠ニ=ヤンは若さゆえの惑いと嗜めた。だがタエルの“妄想”は、周囲が理解していたよりも、ずっと深く鮮烈であった。
否定されればされるほど彼の妄執は燃え上がり。遂に件の
それから一年。ともかくタエルが無事に生還したことは、育ての親でもあるニ=ヤンにとって喜ばしいことだ。
しかしながら一方で、かつて目をかけた愛弟子は、いち宗教家が受け入れるには苦々しい事実を連れて帰って来たのだ。
「よもやお前の方が正しかったとはな」
『惑い』と断じたはずの女神を信じ飛び出した男は、夢から醒めて過ち認めるどころか、
師匠として立つ瀬が無い、などという俗な思いがよぎらなくもない。
が、それよりもタエルの踏み外しが決定的なものとなったのではと案じているのだ。
そんなニ=ヤンの思いを知ってか知らずか。
当の出戻り若僧は、自らの主張が一応認められたというのに浮かぬ顔であった。
「……いえ、そうではありません。一年前、お師匠の仰った通りでした」
「――お前が気付いた事を言ってみろ」
タエルは、自らが最も信頼する師に、胸の内を告白する。
この告白を行うことこそ、タエルがミケ寺院へ立ち寄る最大の理由だった。
「“女神”は、居ませんでした」
これまで努めて心の隅に追いやっていた――しかし明らかに気がついていたひとつの事実を、タエルは遂に口にした。
黙って先を促すニ=ヤンに応え、タエルは言葉を次ぐ。彫りの深い眼窩に、“蛍雪”の
「私が思い描いた理想の“女神ルア”は、ああして共に旅をするまでになりました。ですが、彼女は本当の意味での女神ではありません。先日、明らかな事実を知ったのです――そもそも
神の奇跡と崇めた
その正体は衛星軌道上に待機する異界文明の産物、焦がれ求めた女神の天啓は
タエルはペラギクスを治める
理解したとき、彼の脳裏に去来したのは単純な当惑ではなかった。当惑ではなく――悩んでいた。
「そう理解できたと言うのに、私の中でルア様への“信仰心”が消えないのです。この矛盾が何なのか、あまりにも
「――なるほど」
溜め息交じりに頷く師匠ニ=ヤンの言葉に、タエルは聞き覚えがあった。
師の一言は、ペラギクスの女帝マンコ=カパックにかけられた言葉と同じ響きをはらんでいた。
「さもありなん」
「どういうことですか?」
「あの日からお前に芽生え、今なお萌えておるものは“信心”ではないということじゃ」
すべてを察した様子の師は、先ほどよりも肩の力が抜けている。
ニ=ヤンの意図に気付けぬタエルは、なおも神妙な面持ちで師の言葉を乞う。
「――その心は」
「その心もどの心もない。まったく、せっかく旅に出たと言うのに情けないのう。昔からお前は、才はあるのに肝心な部分で不出来じゃ」
「……返す言葉もありません。お師匠、どうかこの未熟者にご教授を」
白い髭を撫でる老僧の眉尻が、わずかに下がり。
もう一度溜息をついてから、ニ=ヤンは答えをくれてやることにした。
「お前が抱いているのは“恋心”じゃ」
「恋……!? 私は、恋を、していた……?」
「左様。お前は最初から、居もしない妄想の女神に恋焦がれておった」
雷に打たれたようにタエルが硬直する。
自他共に真面目一筋と認め、およそ『恋愛』の二文字こそ、自身に最も縁の無いものと思っていただけに。
だが、そう認めてしまえば全てが自然に身につく心持ちである。
身につき自覚した恋心は、より一層、心置きなく燃え上がる。若きタエルは、自らの胸に護摩より激しい炎を観た。
――愛弟子がようやく目覚めたのを見届けて、ミケ寺院の老僧ニ=ヤンも決意を固めた。
「破門じゃ、タエル」
タエルが再び凍りつく。
心当たりは無数にあるだけに、来るべき時が来たとさえ思えたのだ。
ニ=ヤンの言葉は絶縁の通告にあらず。
「一世一代、強烈な
“手向け”であった。
タエルが歩む
願わくば、愛すべき子が幸福な地に到れるように。
期待と祈りを込めて、ニ=ヤンは背中を押すことにしたのである。
「彼女をモノにしろよ!」
老僧は片目を瞑り、右手の親指を立て。
齢にしては珍しく生え揃った白い歯を見せ。
寺院の門弟でも目にしたことのない、爽やかな笑顔のウィンク&サムズアップで、ニ=ヤンはタエルを恋路へと送り出した。
俯いたタエルの肩が震える。
正座の膝に置いた両の握り拳を、数滴の雫が濡らした。
そして顔を上げたタエルは、師の最後の教えに応え。
ボディビルダーがポージングを決める時のような笑顔に、サムズアップを添えた。
「――子供は二人つくります!」
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