その6 戦士の日常、とくと見よ

 遥か下方で新たなる輝機神ルマイナシング『ゲバルゥード』が産声を上げたことに、姫騎士ルツィノは気付かない。

 彼女は全身のあらゆる感覚を両掌に巡る精霊力アウラに集中させている。


 首もとにまとわりついた少女を振り落とさんと、ドラゴンは空を縦横無尽に飛び回り。

 ルツィノが鱗に手を掛けひたすら耐え始めてから、数十分が経過していた。


「姫嬢ちゃん、よく持ちこたえてるな!」


 ゲバルゥードが上空を見上げる眼は、胴体に大きく三つ、縦に並んでいる。

 人間で言う頭部にあたる部分は存在せず、胴体にカギ爪の両腕と逆関節の両脚を持つ異形の五体だ。


 三つの眼がドラゴンの姿を拡大・注視する。鋭く細かい牙の生え揃ったアギトが開き始めるのが見えた。


「……まずい。お前ら、耳栓しとけ!」


 足元のタメエモンとタエルに言うのが早いか、ドラゴンが吼える。


「■■◎×☆%■△△■■■■▼△△▼ーーーーーッ!!!」


 耳栓も無く鱗を掴んでいたせいで耳を塞ぐ手段の無いルツィノは、ドラゴンの咆哮――大音量の圧縮言語を間近で浴びせられた。

 轟音が鼓膜に叩きつけられると共に、人間の脳が処理できない情報量が無理矢理注ぎ込まれる感覚。


 めまいどころか吐き気すら覚えたルツィノの意識が混濁する。

 気がつけば、少女の両手は何も掴んでいなかった。金髪が風に揺れ、姫騎士ルツィノは抜け落ちた羽根のごとく大空に投げ出された。


「姫様が落ちたぞ!」

「ゲバーッ!」


「オオオオオオ!ゲバルゥード!!」


 オークが吼え、ゲバルゥードの逆脚が矯められ、伸びて、跳躍。

 深緑の巨体が青い空の真ん中へ躍り出て、落下するルツィノの影と重なった。



「あ――私、どうなって……地面?無事、なの――?」


 ドラゴンの咆哮に揺さぶられた意識が朦朧とする中、不意に自分を受け止めた冷たい“地面”の感触にルツィノは虚ろなエメラルドの瞳でどうにか前を見る。


「しっかりしろ、姫嬢ちゃん」


 目の前にはあまりにも巨大な三つの眼。無機質に光る機械眼球レンズの眼差しの奥から聴こえてくるのは知った者の声だ。


「ゲバ……?私、は……」

「無理して喋るな。ちょっと休んでろ」

「しっかりする、のか、休んでる、のか……どっ、ち――」


 薄れゆく意識の中。姫騎士ルツィノは抱かれた鋼鉄爪アイアンクローの冷たく硬い感触に、絶対的な安心と頼もしさを感じるのだった。



<<星光力エネルギー充填率プール60%>>

「……腹六分か。それだけあれば三日は戦える」


 着地してルツィノを降ろすや脳裏に響くルアの声。

 ゲバは独り言で応えると、ゲ左手のクローを根元からグルグル回転させる。


「タメエモン、タエル。嬢ちゃん頼むぞ」


 気絶したルツィノを担いだタメエモン達が後退するのを見届けて、緑の巨体は二度目の跳躍。


 こちらに旋回してきた翼を掴もうと試みるが、ドラゴンは赤鱗の巨体を空中でよじってこれを回避。緑と赤がすれ違う。


「逃がすかよ」


 ゲバルゥードは空中で上半身だけを180度回転させて左クローを射出。

 本体と金属索ワイヤーで繋がれたカギ爪が、後ろからドラゴンの右翼に食い込んだ。


 着地したゲバルゥードがワイヤーを引き寄せる。

 姿勢制御の自由を奪われたドラゴンは、半ば墜落同然に大空から山肌へと引きずり降ろされた。


<<敵性魔者マーラの使用言語、解析完了。同時翻訳を開始します>>


「な、なにさ!南に行けばやりたい放題のハズじゃないのかい!こんなヤツが居るなんて聞いてないよ!?」


 ヒステリックな中年女の声が聞こえてくる。

 声はドラゴンの口の動きに合わせて聞こえていて、これが目の前のドラゴンが喋っている言葉であることにゲバはすぐ気がついた。


「誰にそそのかされたか知らんが、上手い話に乗るのがマヌケなんだ」


 こちらから声をかけてみると、ドラゴンから明らかな反応あり。

 敵を目の前にしながらも、ゲバは頭の片隅で「まさかドラゴンと会話できるなんて思わなかったな」などと感心。


 当のドラゴンはゲバの一言がカンに障ったらしい。口元を陽炎にゆらめかせて、再び吼えた。


「おだまりよォーッ!」


 奇声じみた叫びと共に紅ドラゴンの喉奥から一塊の火球が発射される。

 対する射線上のゲバルゥード、無駄のない動作で右爪を握った斧もろとも高速回転。


 回転する斧の刃が真円の軌跡を描き、即席の盾が完成。着弾した火球は回転斧刃にかき消された。


「山火事になったらどうする!」

「こんちくしょう!爆撃してやる!この山が真ッたいらになるまでねェェェ!」」


 ドラゴンの開いた翼が再び空を掴むべく羽ばたき始める。


「逃がさねえっつってんだろ」


 赤鱗の巨体が僅かに浮上するのを見て、ゲバは淡々と右手の斧を振りかぶり投擲した。


 投げ斧は見事な放物線を描き、浮かび上がるドラゴンの肩口に突き刺さる!

 更に、投擲と重ねて射出していた右鋼鉄爪クローが斧の食い込んだ翼の付け根に到達。金属索ワイヤーを引き寄せる勢いで、大型旅客機のそれと同程度の片翼をもぎ取った。


 圧縮言語ではない単なる悲鳴の咆哮をあげ、隻翼のドラゴンが山肌にのたうつ。

 だがそこは魔者マーラ、痛覚を無視して体勢を立て直すのに要した時間はわずか数秒だ。


 もたげた首、細かく生え揃った牙の隙間から再び炎が漏れ出す。火炎放射の構え!


 山火事必至の予感にゲバルゥード、手にした斧を山肌につき立て両爪射出。

 ドラゴンの首を爪が掴むと同時に、ゲバルゥード跳躍!ドラゴンの頭上を飛び越えて真後ろへと着地する間も、金属索ワイヤーは爪と本体を繋いでいる。


「ゴハァ!?」


 ゲバルゥードの大跳躍に追随し、ワイヤーに繋がれたドラゴンの首が大きく天を仰がされた。

 エビ反りドラゴンの口から火柱が立ち上り、青空を焦がす!


 火炎打ち止めの頃合で、ゲバは巨大なオオトカゲに似たドラゴンの巨体を仰向けに引き倒してから両クローを引き戻す。

 右手にはついでに回収した斧が握られている。


「うぐ、うぐぐぐぐ」


 唸りながら裏返しになった巨体を元に戻したドラゴンは、これまで経験したことのない感覚を味わった。


――恐怖、そして絶望だ。


 目の前に、深緑の絶望が手にした大斧を高々と振りかぶっている。


「ムン!」


 野太い気合いの発声と共に、ゲバルゥードの斧が紅ドラゴンの脳天に打ち下ろされた。

 巨大な刃が赤色の鱗にめり込むや、衝撃を相殺し本体へのダメージを免れんと赤鱗が一斉に爆発。ドラゴンの頭部を中心に、黒色の爆煙が拡がった。


 もうもうとその場に滞留する黒煙を、折り良く吹いた風がさらう。


 中から出てきたのは、斧を振り下ろしたままの姿勢をとる深緑の異形巨人。

 斧の刃先は、首をもたげた紅ドラゴンの頭蓋を見事な唐竹割りに仕果たしていた。


 ゲバルゥードがドラゴンから斧を引き抜く。

 赤い鱗の巨大魔者ドラゴン――山の木々にドウ、と倒れ伏して、絶命。


 “獲物”の沈黙を確認して、ゲバルゥードは斧を高々と天に掲げた。


「ウオオオオオオオーーーーーーー!!!!」


 巨体が響かすオークの勝鬨。その身と同じ深緑の山々をビリビリと揺らした、揺らした。

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