第二章 王国の姫騎士
その1 王都オストリッチ
タメエモンとタエルがミンゴ村を発って三日。
整備された街道をひたすら歩き、辿り着いたのは視野の端から端まで拡がった城壁である。
「ここがモアの中心か」
「ええ。王都『オストリッチ』。モア王国どころか、このガルダ大陸で最も大きな
二人が歩いてきた街道の先には城壁に設けられた巨大な門が見える。
門の大きさたるや相当で、象でもゆうに通過できるほどの幅と高さだ。
「でかい門ですな。これなら、こいつの移動神殿だって通れる」
タメエモンは巨大な城門に侍る数名の衛兵のうち、近くの一人に声をかけた。
衛兵は後ろのタエルが牽いてきた女神ルアの神殿を見上げると、無表情で首を横に振る。
「ダメだ。こんな大きなものは通せない」
「通れるではないか」
「寸法の問題ではない。城下にこのような得体の知れぬものを入れられるか!」
「うぬう。ならば……」
「よしてください、タメエモン。王都の衛兵は村の子供とは違います」
諫めたのは神殿の『持ち主』であるタエルの方だ。どうやら、このようなやりとりは今が初めてではないらしい。
「衛兵どの、お勤めご苦労様です。決まりとあらば『移動神殿』はこちらに係留させていただきます」
「それなら構わない。これほど大きなものと、お前たちのような特徴ある者なら特定は
「ご厚意に甘えます。あ、そうそう。くれぐれも、係留してある神殿には近付かれませんよう」
「……何故だ?」
「ええとですね、適当な小石でも神殿へ投げつけてみてください」
僧侶の思わぬ申し出に首をかしげつつ、生真面目な衛兵は言われるがままに足元の手ごろな石を拾い上げ、既に城門の傍にペグとロープで固定した移動神殿へ投げつけた。
結果、石は神殿の白磁の外壁に到達することなく、バッタの羽音に似た音と黒煙をあげて力なく地面に落ちたのである。
「私が戻るまでは“この通り”ですので。それでは、よろしく」
突然の
*
「さすがオストリッチ。かなりの賑わいですね」
深い眼窩の奥で青い目を輝かせるタエルは、よく見れば気分が高揚していると見える。
一方タメエモンは、ずらりと建ち並ぶレンガ造りの街並みと行き交う人波に珍しく圧倒されたように小さな目を丸くしている。
「天下の人びとが皆ここに集まったようだ。タエル、今日はここで祭りでもあるのか」
「ハハ、大袈裟ですよ。王都の
「こんなに人が居ては、いちいち腕っ節を尋ねて回るわけにもいかんな……」
「それなら、そういう“連中”が集まる場所へ行けば良いじゃないですか」
「そんな所があるのか?」
タエルは、達観しているようでいて妙な所で物を知らないタメエモンに言い様のない違和感をおぼえたが、今は他に優先すべきことがあるため追求はしない。
「“冒険者ギルド”のラウンジなら、腕やら剣やらを自慢する連中がひしめいていますよ」
「そいつは都合が良いな。ひとつ覗いてみよう!」
「ええ、行ってらっしゃい」
「ん、タエルは来んのか」
「私は私で“目的”がありますので」
言いながら、タエルは神殿から持ち出した荷物を大通りの道端に広げ始めていた。
折りたたみ式の机に、大きな事典ほどある箱をいくつか取り出してきぱきと並べる。
最後に、木箱から恭しく取り出した女神ルアの『本尊』を即席
大通りに小さな女神が現れるや、道行く人びとの視線が徐々に集まってくる。
「すごい細工だな……彩色も、まるで生きてるみたいだ」
「新手の物売りか?しかしまあ、売ってるモンと売ってる奴のギャップすげーな」
「お母さん、あれ!おんなのこ!かわいいね!」
通行人たちはまず女神像の精微な造形、可憐な姿に目を奪われ、続いて後ろに控えた筋肉僧侶に気付き、奇妙な雰囲気に足を止めざるを得なかった。
「お初にお目にかかります、皆様方!こちらは“我ら”が信奉する女神ルア様のご尊像であります!」
腹の底から出した声が筋骨全体を響かせて、大通りの隅々にまで音を届ける。
幼い頃からの修行に加え、このような行為を続け各地を行脚をするタエルに自然と身についた発声法であった。
「女神ルア?新手の神様か」
「へえ、可愛い女神様じゃないか。それで、女神ルア様ってのはいったい何をしてくれるんだ?」
「我々がルア様より賜るご利益は、家内安全、五穀豊穣商売繁盛、そして何より“天の智慧”であります!」
言ってタエルは、女神像の耳の部分――
「この女神角は天の智恵を象徴しています。女神ルア様は白磁の神殿と共に、
「どんな啓示を受けるんだい?」
「その者が求める答えです。私の場合は旅の行き先を示されています。信心をもって求めるならば、人生の行方、気になるあの娘の本当の気持ち、明日の天気、期末テストの問題、あらゆることを明らかに見通せるのです!!」
青い瞳がグルグル同心円を描くタエルの弁が熱を帯びるごとに、聴衆は一歩二歩と後ずさった。
小さな子を連れていた母親などは「あまり見ちゃいけません」などと我が子に言い聞かせながら足早に立ち去っていく。
「今ならこの女神ルア様のご尊像、あなた方の手元に届くチャンス!こちら『組立式 複製尊像 女神ルア』を特別に19
「19
「いや待て、これだけの造形なら妥当じゃないか?」
「なにぶん数が用意できないもので。複製と言っても細工に手は抜いていませんよ」
「組立式ってどう言うことだい?」
「色の違う髪や衣服などを別々の
聴衆の質問に答えながら、タエルは積み上げてある木箱の一つを手に取り中のものを見せる。
先の説明通り、女神ルアの髪、衣、四肢や装飾などが色や形状に従い何点かの部品に分割され納められていた。
「うへえ、なかなか細かいな。俺は不器用だからこういうのムリだ」
「追加でお布施を頂ければ、組み立て代行も致しましょう。しばらくは王都に滞在しておりますので」
「ううん、迷うなあ。だけどこんなの持って帰ったらカミサンにどやされるかも」
「そこは付属の木箱が飾り棚になりますので、
隙のないアフターフォローを謳うタエルに、聴衆の一人が神妙な顔で質問してきた。
「……なあ、これ、服は全部“別”になってるのか?」
「!?」
その問いに、大通りの一角が空間を切り取られたかのような歪んだ気を帯びた。
タエルと、最前列で質問を投げ合っていた
誰かがゴクリと生唾を飲み込んだ。筋肉僧侶と彼の持つ木箱に、男達の視線が注がれる。
「……全て、別になっておりますよ。各々で衣裳を用意して頂くのも良いでしょう」
付け加えた一言は方便だ。「ほら俺ってお洒落にも関心あるからさ、専属モデルの代わりだよ!」あるいは「イイ感じのデッサン人形が欲しかったんだよね」などと言った欺瞞は、クァズーレにも通用した。しなかった。
だがタエルは実直な男であり、方便の名を借りた欺瞞を許せぬ男であった。ゆえに、男達の心を掴む一言を最後に付け加えるのだ。
「──造形には心血を注ぎました。“普段は見えない部分に至るまで”、完璧に再現されております」
その日タエルの準備してきた木箱は、一時間足らずで全て配布を終えたという。
*
タエルが“布教活動”を始めた頃、タメエモンは別行動に移っていた。
「たのもーう!」
「いらっしゃいませー」
簡素な木製のスイングドアを押し開くタメエモン。
それなりに野太い声を張り上げたのだが、彼に注意を払う者はカウンターの向こうに居る受付嬢だけであった。
ここ『冒険者ギルドラウンジ』は、それだけ賑わっていた。依頼の掲示板に各種手続きを行うのであろうカウンターだけでなく、武器や道具が並べられた売店、集まった者たちが飲食できる酒場のような施設まで同じ空間に詰め込まれている。
ギルドラウンジとは、およそ冒険者が必要とするものが全て揃えられた施設であった。
「賑やかなものだ。タンニの賭場を思い出すな」
喧騒に包まれたラウンジを見回していると、各々個性的な装備に身を固めた屈強な冒険者達の中、掲示板の前に見知ったフードつきローブの“大男”が目に入った。
「おお、ゲバ。こんなすぐに会えるとは。奇遇だな」
「……まあ、あの村からなら距離的に王都を目指す、か……」
声をかけてきたタメエモンを見るなり、ゲバはフードの下で軽くため息をつく。
「路銀稼ぎか?」
「いや、ここなら相撲の相手が見つかるかと思ってな」
「そうかい。ま、その辺のテーブルでくだ巻いてるヒマ人を見繕うことだな」
「ゲバは何をやっておるのだ」
「仕事探しだよ。あのな、ギルドラウンジは基本的には仕事探しに来る所なんだよ」
「あすこでイッキ飲みに興じてる連中もか?」
「ありゃ一仕事終わった打ち上げだろ、多分。違うのも居るかもしれんが」
「そうかそうか。お、あのテーブルには亜人も混じっているな」
「冒険者は実力主義だからな。能力があれば亜人だろうが何だろうが気にしない」
「なるほどな。すると、お前さんを受け入れてくれる仲間も見つかるかもな?」
何気なく放った一言に、ゲバはマントの襟元に顎を埋めうつむいた。
「……その気は無い。俺ァ他人とつるむの向いてないんだ。この前、話したろ」
*
「『21番通りの屋敷裏 ガチムチ募集中 経験種族問わず。 当方170*86*54短髪白髪混じりの熊系』……こいつはどうだ、種族問わずらしいぞ」
「……見なかったことにしとけ」
掲示板に所狭しと貼られた依頼票は内容も玉石混淆。
ゲバは、多少の危険はあれど見返りが大きく、なおかつ力任せで片のつく依頼を探していた。
「得意なのは獣系魔者の狩猟なんだがな」
「害獣駆除か」
「小銭稼ぎにゃなるが……探してるのはそんなちまちましたのじゃなくて」
「お、『王都近郊のドラゴン討伐』というのがあるぞ。こういうのか?」
「……ドラゴンだ?この辺、そんなモン出るようになったのか……まあ、小手調べには丁度良い」
ようやく見つけた目当ての求人票。
無造作に手を伸ばすと、同時に同じ札をとろうとした手に触れた。
緑がかった肌の太くごつごつとしたゲバの手とはまるで正反対の、繊細でたおやかな白い指、女の手である。
手と手が触れるや、白い指はびくりと引っ込められ、続いてゲバの胸の下辺りから小鳥の
「あっ、すみません……ひあぁ!?」
白い指と小鳥の声の主は、自分を見下ろす大男のフードに奥を――オークの顔を見て思わず悲鳴を上げた。
すぐに、身を包んだ
「驚かせて悪かったな、嬢ちゃん」
指先が触れただけで悲鳴をあげた“少女”に対し、ゲバは軽く詫びの言葉をかける。
ゲバと同じくドラゴン討伐の依頼を受けようとしていたのは、人間の少女であった。
首から下をマントで隠しているが、身長や指の細さからして屈強という枕詞はつきようもないだろう。
輝く金髪をポニーテールにまとめ、指同様の白い頬には桃色がさす。どこか高貴さを漂わせる美少女だ。
「嬢ちゃん、その細腕じゃドラゴンの鱗は抜けないぞ。こういうのは馬鹿力向きなんだ」
ゲバとしては、オークを見て悲鳴をあげた彼女は冒険者としては
だが、どうにも彼は無意識に舌禍を招くきらいがあるらしい。
少女は、細い眉の下、長い睫に縁取られた大きな目を吊り上げ、エメラルドのような美しい瞳できっと睨む。
「無礼者!!」
小鳥を思わせる声が、キンと鋭い響きをもってゲバの大雑把な耳に突き刺さった。
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