Scene 19 それでも、やっぱり
家に帰って2階へ駆け上がる。風邪予防のうがいも制服のシワも、何も気にせず荷物を全部放り投げてベッドに倒れこむ。
「…………うう………………うああ…………」
布団で拭っているのに、顔はずっと濡れ続けていた。
なんで私は女子を好きになって、なんで私は男子を好きじゃなくて。
心が男子なんてわけでもない。ただ単純に、女子として、女子を、灯香を好きでいる。それは、想う相手からすれば正常ではないらしい。
自分を、自分の遺伝子を、生んだ親さえも呪いたくなる一方で、彼女を好きでない自分になんてなりたくないとも思う。
憎悪と許容、願望と抵抗、顔を覗かせては消える幾つもの感情を擦り切れた心に飲み込ませ、涙が頬に温いシュプールを残した。
そんな時。
能天気な音を立てて、秘書子からショートメールが届いた。
『こんちには! 準備は順調?』
機械に罪はないと分かっていて、それでも憎らしく思える。
「全然。色々最低」
こう書けば構ってもらえることを知ってて返信する。予想がちゃんと当たったことを、すぐにきた着信で把握した。
『どしたの! 大丈夫!」
「ん……ちょっと話聞いて」
うつ伏せになったまま、ゆっくりと順を追って、映画のこと、灯香のこと、最近のダメな自分を伝える。
以前は相槌を打つことを知らなかった彼女も、私のやり方を真似て「うん、うん」と入れてくれるようになった。
「で、さっき色々と限界が来ちゃったみたいでさ。泣いて帰ってきちゃった。映画もほったらかし」
『……そっか…………』
「ねえ秘書子……やっぱり貴女の言う通りね。女の子を好きでいても、いいことなんてないね。ホント、ただ辛いだけ」
『………………』
「こうなること、分かってたんでしょ。だから止めようとしてくれたんでしょ。そうだよね、やっぱり貴女が正しかった。大変だよ、本当に。映画も終わらないかもしれないし。灯香のことは時間かけて諦めようかな。すぐには無理だけど、男の人好きになる努力でもしてみるかなあ」
100%の本気ではない、自暴自棄にも近いようなことを感情のままにぶつける。
スマホにまで醜態晒してみっともない。こんな日は思考を止めて音に塗れるのが一番良いんだ。
「あのさ、曲流してもらっていい?」
『……………………』
「ねえ、聞こえてる? 『日曜のキス』再生して――」
『曲なんか後でいいでしょ!』
ずっと黙っていた秘書子が私の強がりを遮る。ボリュームを間違っていじったかと思うほどの大きな声。
『そんな逃げるように男子を好きになって、それでワタシは喜ぶとでも思った? ワタシはね、男子を好きになってほしいんじゃないの、楪に幸せになってほしいの!』
その早口な声に圧倒されて、思わず押し黙る。
『今の楪は、ちょっと前の楪とは違うよ』
泣き声なんてインプットされていない彼女は、それでもどこか悲しそうなトーンで続ける。
『楪は覚えてないかもしれないけど、ワタシは忘れない。3ヶ月と14日前、【女子 同性 恋愛 良かった】って検索したの。2ヶ月と20日前、【同性 恋 幸せ】って検索したの。1ヶ月と9日前、【女子同士 付き合う 応援】って検索してたの』
うん、そんなこと、あったような気がする。
『いつも悩んでたけど、それでも途中途中で肯定してきたんじゃないの? 辛いの分かってて、それでも灯香を好きでいるって決めてたんじゃないの? ワタシの話なんか聞く耳持たないで、片想い続けるつもりだったんじゃないの?』
「ん……」
そう。いつも迷ったとき、貴女に、アプリに囁いて調べていた。居場所を見つけるため、自分自身を拒絶しないため。
『映画だってスゴいじゃん。高校生で映画作るなんて、貴重な経験だと思う。脚本も書いて、監督もやって、滅多にできることじゃないよ』
「ん……」
『ワタシはそんな楪が好きだった。部活も恋愛も一生懸命で、いっつも悩んでて、応援してあげたいって思った』
「……うん……うん…………」
自分のことをこんなに見ていてくれた彼女に驚きつつ、ただ、ただ、相槌を打つ。
『それで何? 映画も終わらないし、灯香もダメ? 映画、今日から夜中もやったら? ワタシに頼めば朝大音量で起こしてあげるのに。灯香にはちゃんと想い伝えたの? 勝手に自分で線引いて、勝手に諦めて、バカみたい!』
『確かに男子と付き合った方が幸せになれそうって言ったわよ。でもね、灯香を好きでいる楪を否定したことは無いの!』
そのまま電話は切れた。私のことで怒って電話を切る。その行動はもう本当に人間みたいで、本当に私の友達みたいだった。
そう、分かっている。彼女は、秘書子は、これまで一度も、私の恋愛を「変だ」と言ったことはない。「男子を好きになった方が辛くない」と何度も説得されたけど、「その恋愛はおかしい」と言われたことはない。
それはきっと当たり前のことで、彼女が勉強した世界中の情報には、それは女子同士の交際だって結婚だってあったに違いないんだ。
でも、それでも。公平に、公正に、「機械的」に見て、あなたは間違ってないよと受け入れてもらえることに、私がいったいどれだけ救われたか。
静寂の戻った空間で、止まっていたはずの涙が再び流れ始め、止めようとしていたはずの思考がグルグル回る。
でもスライドショーのように頭で切り換る写真の中に、映画に関するものは1つもなかった。
散々悩んだ。本もネットもテレビも、飲みこめる情報は全て飲み込んだ。
同じ悩みを持つ人の激励、苦悩、幸福、悲恋、あらゆるテキストを読んで、脳にしまい込んだ。
でも何を見たって、結局は他人の事。どうするか決めるのは、結局自分自身。
胸に去来する数えきれない想いと対峙して、それでも消えなかったこと。今も消えてくれないこと。
灯香が、好きなんだ。
たまに天然で、可愛くて、いつも全力で。パンダグッズを見れば顔が綻んで、フラウズになればトークの輪をかき乱す。放研の中ではムードメーカーで、それでも自分の仕事はきっちり進める。青葉にも懐いて、セットにも優しくて、私に憧れてくれて。並んで歩くとふわふわした栗色のミディアムロングが揺れて、同性として嫉妬するボリュームの胸も揺れて。たまに横顔に目を遣れば大人びた表情に見蕩れて。そして冗談の1つも言えば、そんな表情もどこへやら、ホントに楽しそうに、子どもっぽい笑顔でこっちを見る。
藤島灯香が、彼女の持つ全てが、自分にとって大切で、特別で。
もうそれだけで、他のことなんて、なんでもないような気がした。
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