Scene 16 私より彼を先に呼んだのは

「よし、じゃあここで解散。明日も撮影あるけど、よろしくね」

「はい!」


 20時前。場所を移した学校近くのファミレスで今日の撮影終了。

 ここまで暗くなると、学校に戻っても撮れるシーンはない。この場所で撮影予定のカットは明日の分も撮れたから、ちょっとだけ遅れを取り戻せた。


「アオ先輩、ユズ先輩も、ここでご飯食べて帰りません? セット君も!」

「あ、僕は今日は家で食べます。妹がテスト終わりかなんかでごちそうらしいので」


 いつも通り優しくフッと笑うセットに、羨ましいヤツ、と灯香が腕で小突く。


「アオ先輩はどうですか?」

「そうだな、結構いい時間だから食べて帰るかな」


 その返事に、三脚を抱えていた胸が軋む。平静を装って、口を開いた。


「私は学校戻ろっかな。取りにいきたいものあるし。ついでに明日撮るカットのイメージ膨らませておきたいから」

「えー、残念です」

「そっか、がんばれよ」


 青葉から、肩をピンと指で弾かれる。

「うん、また明日ね、夜メールする!」


 笑顔という名の虚勢を張って、セットと一緒に撮影道具を担いで出ていく。


「アオ先輩、何食べますか? アタシのオススメはドリアです!」

「イカとエビのドリアか、うまそうだな」

 後ろで聞こえる楽しげな声に、三脚を強く握る。



「じゃあ晴野先輩、また明日」

「ん、今日もサポートありがと。またね!」


 家路に着くセットを見送って学校に向かう。粘り気が纏わりついたかのように、足も心も重さを増した。




 青葉に、どうしようもないくらい嫉妬する。灯香の笑顔を手軽に独占して恋人気分を味わえる青葉を見て、鈍痛が心臓に刺さる。羨ましい。羨ましい。


 そしてそれは、もう1つの別の恐怖心を駆り立てる。


 もし灯香が、私達に見えているままの感情だったらどうしよう。セットや私にそう見えるように、そう見える以上に、灯香も「青葉といると楽しい」と感じていたらどうしよう。

 そう考えるだけで、もうこの場に座り込んでしまいたくなる。


 本当は2人と一緒に食べたかった。でも言えなかった。


 灯香が「アオ先輩」とが、そんな些細なことがバカみたいに気になる。

 今まできっと何回もあったことなのに、何の気なしのことかもしれないのに、思考に絡みついて取れない。


 もし灯香が部活仲間として私達と食事をしたいのなら、私は本当は輪に入って3人で仲を深めなきゃいけない。私は2人に演じてもらっている監督なんだから。


 でも踏み出せない、踏み出す気になれない。

 もし恋路なら応援してあげよう、なんて得体の知れない紛い物の感情が噴き出して私をオトナに仕立て上げ、あの場から遠ざけた。



 苦しい、足が重い。でも、自分も他の人と同じように、好きな人の想いを図りかねてヤキモキすることができるのだと思うと無駄に安堵も覚えたりして、心はガサツに散らかった。




 夜の部室は怖いかと思いきや、外から何人かのかけ声が聞こえる。うず祭の実行委員が重い荷物でも運んでるに違いない。


「よし、やりますか」

 独り言で自分を鼓舞し、絵コンテのファイルを開く。


 明日午前は私の部屋でヒナの撮影。特に難しいシーンはないかな。

 そっかそっか、青葉はいなくても大丈夫だから、予定があるようなら午後からでもオッケーって伝えておこう。

 お昼はパパッと食べて……よし、事前にコンビニで買ってきてもらうことにして、と……。



 頭の中でシミュレーションしながら40分くらい経ったころ、ドアのノックが来客を告げる。


「おう」

 青葉がビニール袋をぶら下げて入ってきた。


「もう帰ったかと思ったよ」

「どしたの?」

「ああ、うず祭実行委員会の部屋に行ってた。経費の申請方法で確認し忘れてたことあってさ」

 明朝体の文字が並ぶ堅そうなプリントの入ったクリアファイルをひらひら揺らす。


「あと、実行委員には知り合いも多いから差し入れ。ついでにホレ、お前にも」

 ビニール袋をフワッと投げる。ゴソゴソと中を見ると、見覚えのある薄黄色の包装が顔を覗かせた。


「おおっ、カスタードどら焼き!」

「それ好きだろ。去年もこの時期に食べてた気がする」

「うんうん、大好物!」

 お腹も減ってたし、この差し入れはホントありがたい。さっすが青葉!


「そういえば、灯香は?」

 ハムスターのように頬張りながら、聞きにくかった問いを勢い任せで聞く。青葉はゆっくりと窓に向かって歩き出した。


「ファミレスで別れた。あそこのドリア、美味いぞ。今度一緒に行こうぜ」

「うん、行く!」

 窓を開ける青葉。木の匂いが冷やかな風に運ばれて、この部屋の空気を模様替えしていく。


「順調? そろそろ帰れそうか?」

「まあぼちぼち。明日も早いしね」

「そかそか」


 後ろを向いているけど、声色で微笑んでいるのが分かる。なぜか一瞬、こんなに長い付き合いなのに、なんて声をかけていいか戸惑った。


「おー、遠くに雲が広がってるな。明日の天気ヤバいかも」

「ホント? 確かにここ2日くらいで少しずつ降水確率上がってるけど……」

 それでも30%くらい。なんとかだましだまし、持ちこたえられるはず。


「でも月はくっきり見えるぞ。うん、雲とのコントラストもいい感じだ。楪も見てみろよ」

「どれどれ?」


 呼ばれて机を離れる。綺麗な輪郭の月が、いやに白い雲と並んで佇んでいた。


「ホントだホントだ。スマホじゃうまく撮れないから、肉眼で見るに限るわね」



「あんまり無理するなよ」



 窓を閉めながら青葉が口にした言葉が、ガラスにぶつかって私の耳元に飛び込む。

「ん……」



 ああ、そっか。

 私の傾いだ心に、青葉が気付いてないわけないよね、

 原因は分かってないかもしれないけど、私がしんどいときはいつも見抜いていた。


「お前がちゃんとしてないと良い映画にならないからさ。まあいつでも寄り掛かれってことだ」

「……ありがとね」


 その言葉に吸い寄せられるように青葉に近づき、こちらを向けた背中にコンッと頭を乗せる。

 青葉は何も言わずに、頭を撫でるように背中を軽く揺らしてくれた。




『お帰りなさい、楪』

「ただいま」

 ベッドに突っ伏した私に、うっかり着信を取ってしまった秘書子が話しかける。


『どしたの、元気ないじゃない』

「機械と違って磨耗してるのよ」


 すっかり親友気取りの彼女に、皮肉たっぷりに返した。今の精神状態で、とても親密な会話はできそうにない。


『で、どう? もうそろそろ、男子好きになる気になったかしら?』

「………………」


『あっ、無言。いつもと違う反応ね。これはちょっと男子にも興味出てきたってことかな』

「…………うっさい」


『そんなに怒らないでよ。あのね、楪は全然変な思考回路じゃないわよ。ワタシ、調べたの。世界には、自分の感情の変化が原因じゃなくて、社会的な制約や抑圧のなかで、好きな性別がマジョリティーに変わった人も大勢いるんだって』

「…………そう…………」


『分かる? 女子を好きだった楪が、窮屈な生き方の中で辛くなった結果、男子を好きになるってことも十分有り得るのよ。大丈夫、おかしなことじゃないから』

「男子ね…………」


 アンタに何が分かるんだ、と言い返す気にもならない。

 心が磨り減っていて、ただただ、毛布で頬を撫でて即席の癒しを求める。


 ただただ、今日のことを思い出す。




 青葉を好きになれたら、どれだけ楽だろう。




 秘書子には以前「男子と付き合えるかもしれない」なんて言ってみたものの、頭の中では出来そうにないって答えが出ている。だからこそ余計に強く想う。青葉を、男子を好きになれたらどれだけ幸せなのだろうと。


 昼休みに友達に恋愛相談なんかして、何でもない放課後にフッと思いつきで告白して、あるいは手を震わせながら呼び出して告白して、お互い照れながら付き合い始めて、休みの日には手つないでどこかに行ってクラスの女友達にいちいち報告して、大したことないすれ違いでケンカして、友達に背中押されながら謝って、また笑って手を繋いで。そんな、私以外のみんなと同じようになれたら、どんなに楽で、どんなに毎日が楽しくて。



 そんなことは私には一生できないことかもしれない、と思うと、やりきれないほどの不安と孤独が胸を叩く。



 私は「ヒナと天秤座」を1つの逃げ道にした。親が自分の夢を子どもに託すように、私のどう始末しようもないこの淡い恋愛をヒナとヨウに重ねてみた。


 何となく叶わないと分かりつつもそれでも胸を焦がし続けるヒナ、その彼女が幸せになってくれれば、自分も何か救われるような気がして。


 現実が変わるわけじゃないけど、虚構の中にだけでも望む世界が広がっていてほしくて。



 大親友が、嫉妬の相手になって、決してなり得ない空想世界の恋人にもなって。

 それでも手放しで優しくしてくれた彼に、明日からの接し方すら少し迷う。



 こんな私を嘲笑いながら見守るかのように、黒々とした雲がどんどんこの街を覆っていた。

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