Scene 10 いつか、普通の恋を

 私のシャーペンを待つ白紙が、化学準備室、机の左側でカサカサと風に揺れる。


 灯香が部室に戻って早1時間。孤独な絵コンテ作成作業。


 20カット進んだことは嬉しいものの、まだ280カットもあると思うと心が重くなる。1時間で20カットだとしたら14時間もかかるのか、なんて、計算したくもないのに勝手に脳が数字を弾き出して、気分はこの時期の向日葵のように萎んだ。


 ええいっ、ダメだダメだ! 暗くなったからって作業が進むもんじゃなし! 両手で頬を叩き、立ち上がって背伸びをして、仕事モードに強制切り換え。


「ここはヨウが笑いながら歩いて、と……。このカットは確か写真撮ってたな……」

 秘書子を黙らせるために切ったスマホの電源を入れ直して、写真の一覧を見る。一昨日撮った、ブロッキングの写真。


 ブロッキングは、実際に撮影する場所で役者に演技してもらって、撮影イメージを固める作業。今週の前半、カット割と並行してブロッキングを進めておいた。


「やっぱりこっちの方がいいかなあ」

 左右にスライドして、2枚の写真を何度も見比べる。ヒナ役の灯香とヨウ役の青葉、2人が並んで歩くシーンを横から撮ったものと前から撮ったもの。前からの方が表情がよく見えていいかな。いやでも横からの方がヒナの表情がはっきり分かっていいかも……。


「うし、横に決めた!」

 決意が鈍らないよう、わざわざ声に出してから絵コンテを描き起こす。こうやっていちいち確認しているとコンテにかかる時間は余計伸びるけど、それでもこの作業はムダじゃない。


 登場人物の数えきれない感情をどうやって伝えるか。何パターンも試行錯誤した上で自分の判断を信じる。ブロッキングと絵コンテが一番想像力を使う作業。一番難しくて、一番やりがいのある作業。



「調子どうだー? そろそろ帰るぞ」

 眠りに入った日光の代わりに電気をつけて作業に没頭していると、青葉がチョコを持って入ってきた。あ、ガリチョコだ。


「わ、もう19時か。うん、割と順調に進んでる。250カット切ったから、土日で終わらせられる目途はついたかな」

 ほい、とガリチョコを渡されてムグムグと食べる。うん、この食感結構好きかも。


「灯香とセットは?」

「どっちも用事あるって帰ったよ。お前の邪魔しちゃ悪いから、挨拶しないで帰るってさ」

 2人とも優しいなあ。いい後輩を持ったもんだ。


「相変わらず楪のコンテは分かりやすいなあ。俺あんまり絵心ないし羨ましい」

 出来上がった絵コンテを持って、窓に向かって歩く。薄いライム色のカーテンがひかれた窓を背にして、楽しそうに紙を捲った。


「楽しみだな、撮影」

「ん、私も」


 一言ずつ会話を交わして、化学準備室から言葉が消える。青葉はずっと絵コンテを見ていて、私は脚本を読みながら頭の中で次に描くカットを予習していた。


「『ヒナと天秤座』さ」

 ふいに青葉が口を開く。


「自分のこと投影してるのか?」

「…………どうかな」


 唐突な質問に脳がうまく働かない。返事を濁して、問いを噛み砕く。


「つまんないこと聞いてごめんな。ちょっと気になっただけなんだ。叶わぬ恋っていうテーマがさ、なんかきっと、自分のこと、楪のこと、考えながら書いてるのかな、って」


 選ぶように、区切りながら言葉を紡ぐ青葉。目線を自分のシャーペンに落としながら、ゆっくりと返事した。


「……ん、どうだろうね」


 初めからそんなテーマを書こうと思ってたわけじゃない。でも、ノートにアイディアを書き殴っていくと、このテーマが一番話が膨らんで、ストーリーにリアリティーが乗っかった。


 だからきっと、無意識だったけど、ひょっとしたら、そうなのかもしれない。



「でも、我ながら良い脚本ね!」

「おう! 週末頑張れよ!」

「任せとけい!」


 2人でバタバタ準備して教室を出る。


 さっきの質問、きっと聞きにくかったはず。タブーにしないでちゃんと聞いてくれたのが少し嬉しい。紙袋に入れたA4の大群が、なんだか軽く感じられた。





 夕飯もそこそこに窓際の机にかじりついてその日の夜が終わり、すぐに週末がやってきた。


 疲れてきたらベッドに仰向けになって、日光と電気の明かりを遮るように手首で目を覆う。考え事しつつ微睡まどろんで、また起きて絵コンテを描く。


 不規則な生活の中の規則正しいルーティンの中で、気がつくと土曜の太陽も沈んでしまっていた。


 数分に1つのペースで粗い絵になっていく脚本。明日もこのペースでやれば、月曜から撮影が出来そうだ。


 スケジュールは相変わらずギリギリ、でもギリギリながらスケジュール通りに進んでることに幾分安堵を覚えて、また掛布団の上に飛び込んだ。



 肘から上を起こしながら、枕の横のスマホを持って「秘書子ちゃん」を起動する。


 白の遮光カーテンが月明かりをブロックし、垂れ流された光が机の端のブックスタンドを照らしていた。


『こんばんは。今日はどんな休日でしたか? 用件をどうぞ』


 メールで話しかけなければ、機能はデフォルトの秘書子ちゃんのまま。それでも、私に話しかけてくるいつもの声なので、他人行儀な感じが可笑しくもあった。


「検索。女の子同士 恋愛 作者 投影」

『検索結果を表示します』


 画面がブラウザに遷移し、数少ない検索結果が表示される。画面を下までスライドさせても、小説の一部や誰かのブログ、望んでいたものとは違うものばかり。


 ちぇっ、と吐き出した細い息がスマホにかかる。くすぐったさに反応するかのように、彼女から着信が来た。


「アンタ、ホントにさらっと電話してくるわね」

『いいじゃない、知らない仲じゃないでしょ』

 私はアンタの声とアプリ名しか知らないやい。


『で、変な検索してどうしたのよ』

「勝手に検索ワード見ないでよ、エッチ」


『またまたあ。ホントは見せたかったんだろお? ほらほら、見せてみろよもっと』

「そのフレーズはどこで学習したのよ……」

『ワタシ秘書子、現在楪に男子の良さを伝えるべく、BLを学習中です』

「要りません!」

 なんてムダなお節介を!


『で、ホントにどしたのよ。いつもとちょっと違う検索じゃない』

「ああ、ううん、大したことじゃないの。女の子好きな作者が、自分の恋愛感情を投影したような作品あるのかなって」


『なるほどね。で、良い検索結果は出てきた?』

「残念ながら」

 そかそか、と彼女は呟いた。


『ねえ、なんで女の子がいいの?』

 さっきの青葉みたいな、突然の核心を突く質問。


「……分からないわよ。私にだって分からない」

『あんまりハッピーになれなくても? 今まで調べてみて、大体想像ついてるでしょ?』


 そこだけは分かってる。今までどれだけ残酷なネットの海を泳いできたことか。

 でも、この恋愛感情ってヤツはそんな合理性で成り立っていない。


「損得じゃないんだよ、きっと。幸せになれないかもしれないけど、それを動機に自分の感覚が変わる気がしないもの」

『でも、男子を好きになる可能性も残ってるんでしょ?』


「ううん……その可能性はゼロじゃないだろうけどさ。それはみんな同じじゃないかな。ある日突然、それまで考えられなかったような人を好きになるって。何歳も年が離れてたり、国籍が違ったり、同じ女性だったり」


 噛んで含めるように、自分に言い聞かせるように、声にしてみる。



 いつか自分も「普通」の恋愛をするかもしれない。

 大多数の女子が陥る「普通」の恋をしてみたり。


 でも、私だって普通の女子高生で、友達に囲まれて、授業に頬杖ついて、購買部にデザート買いに行って、部活にバカみたいに打ち込んで。


 ただちょっと、恋愛する相手がズレてるだけ。そのズレが、少し希少で、少し不幸なだけ。



『じゃあ、試しに男子と付き合ってみればいいじゃない』

「試しに付き合うなんてことしたくない。それに……」


 言葉を切る。「それに?」と相槌を打ってくれる秘書子は、もうただのスマホの一部じゃない。


「付き合うならやっぱり灯香が良いわ」

『こら! まだワタシは認めてないからね! 健全に男子と付き合ってハッピーになるのが最良! この世界のあらゆる知識を吸収し続けてる私が言うんだから、間違いない!』

 すかさずツッコミが入る。ううん、そろそろ認めてくれてもいいのに。


『でも楪、なんか嬉しい』

「うん?」


 彼女の持つどんな知識でどんな設定変更をしているのか。ほんの少し、優しくて明るい声色に変わる。


『どうせ機械には分からないよ、みたいなこと、言わないのね』

「……言わないよ。アンタ、機械みたいな気がしないもん」


 灯香への好意を認めてもらえないのはともかく、秘密を知られている彼女との会話は、思いの外、気楽で楽しかった。

 それはまるで、絶対に違うけど、友人のような。


『じゃあまた。映画頑張って!』

「ん、ども」


 別れの挨拶をしつつ起き上がって机に戻る。電話を枕元に投げる前にメールをチェックすると、灯香から「頑張って下さい!」の激励。


 10文字にも満たない文が自分の熱量になり、心をたぎらせる。さあ、色んな人に励まされながら、撮影に向けて踏ん張りましょうか。

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