Scene 5 重たいカット割
「……うん、うん。面白いです、ユズ先輩!」
「やっぱり晴野先輩は脚本書くの巧いです。ただのラブコメになってない感じがいいですね」
印刷した脚本をトントンと揃えながら、灯香とセットが深く頷いた。
「ん、俺も気に入った。楪、これでいこう」
パソコンとにらめっこしているうちに瞬く間に平日が通り抜けた9月の最終週。
「良かったあ! 授業中も少し内職したのが報われたわ」
芝居がかって首を横に振る青葉の隣で、灯香がキシシと笑う。
「アタシ、タイトルも好きです。『ヒナと天秤座』、うん、秀逸ですね」
初めて書いたラブストーリー。灯香演じるヒナが青葉演じるヨウに片想いするけど、ヨウは中学生時代に事故で亡くなった幼馴染のユキを未だに想い続けている、という設定。最後はハッピーエンド、新たな一歩を踏み出して付き合い始める。
設定自体はドラマでもありそうだけど、ヒロイン達を高校生にすることで、大人とは違った感情の交錯を描けるような気がした。
「さて……」
印刷した脚本の上に、辞典とペンケースを積んで抱える。
「今から私は隣に籠る!」
「隣って、空き部屋に行くんですか?」
不思議そうに聞くセットに、顧問に頼んで貸してもらっている鍵を人差し指でチャリチャリ回して答えた。
「うん、ちょっと集中したいからさ」
「カット割ですね、頑張って下さい!」
両手をグッと握って応援してくれる灯香。
くぅ、そのキュンキュンな仕草、思わず顔がニヤけるぜ。
「ありがと。何かあったら呼んでね」
部室を出て、「化学準備室」とルームプレートのかかっている部屋へ。
理科系の準備室を大部屋にまとめた結果、余った部屋の1つ。部屋の中には、教師が使っていたらしい引き出し付きの古い銀色机が2つ、仲良く並んでいるだけ。
「よし、片付けますか!」
右の拳を左の掌にパチンッと打ちつける。これからの作業に向けて、気合入れも形から。
椅子に座って、机の真ん中にドサッと脚本を置いた。
「まずはここまでがカット1…………これで2……いや、ここまでかな……」
カット割。脚本を何百ものカットに分解して、それぞれどんな映像を撮るのかを絵コンテにまとめる作業。絵コンテは各カットを絵にしたもので、どんなアングルで撮るか、役者やカメラがどんな風に動くかを示したラフスケッチ。
撮影のときはその絵コンテ通りに撮る。もちろんカット割をしないで当日考えながら撮ることもできるけど、ストーリー順に撮るわけじゃないから、前後のカットで整合性が取れてない映像になる可能性もある。
そう考えると、やっぱりこれから作る絵コンテが指南書代わりだ。
「ここが、5……6…………ここがカット7。いや、違うな、ここも6! アングルは高いところからゆっくり平行に動かす、と……」
まずは脚本をカットに分解していって、あとで絵コンテにしやすいように適宜メモを追記していく。今回は60分前後の作品になる予定だけど、過去の経験から考えるとだいたい350~450カットくらいに分けられるはず。
脚本をそれだけ細かく分けるのもエネルギーの要る作業だし、それをさらに絵コンテにするなんて400コマ漫画を書くようなもの。ゴールは遠く、気も遠くなる。
溜息をつきたくなるような膨大な作業に立ち向かえるよう、時折独り言も入れて、元気と集中力だけは維持したい。
「…………んん…………どうするかなあ…………だーっ、迷う!」
どこまでを1カットにするか。これを決めるには頭の中で模擬撮影をするしかない。脳内ロケ地に脳内役者を配置して、私はXYZ軸どの座標からでもカメラを映せる万能カメラマンに化ける。
誰がどう動いて、アングルがどう変わって、1つのまとまりが終わるのか。風景画なんかはその風景で1カット、と簡単に決められるけど、役者の動きが加わるとそうもいかない。
同じシーンを何回も何回も試行錯誤して、何案も考えた挙句どれがいいか自分でも分からなくなって、それでも最後は自分が判断するしかなくて、呻きながら決める。
脚本作成のときにある程度イメージしていたものの、真剣に考えだすとどうにもまとまらなくて、脚本そのものを直すこともある。こんな作業を400近く続けるのは洒落にならないほど大変で、苦痛な作業だった。
「ここのモノローグ、少しネガティブにしますかね、と……」
良い表現が浮かばず、「美しい日本語辞典」をペラペラ捲ってカッコいい言葉探し。でも脳は集中力を食い尽くし、知的好奇心を増殖させ、つい関係ないページまで捲って読み込んでしまう。
脱線しかかった私を注意するかのような、「渚のアデリーヌ」の着信音。
『どう、脚本は順調?』
いつもの、ずっと聴いていたくなるような不思議な声で、秘書子が明るく挨拶してきた。
「脚本は書き終わって、今から別の作業よ。で、何の用?」
『ん、部活頑張って、ていう応援コール』
「あ、ああ、う、うん、ありがと」
機械とは思えないほどスムーズでナチュラルに話す秘書子。そんな彼女からのエールに、思いがけず顔が変に歪む。必死なときに応援されると、相手が電話でも嬉しいものね。
『ちょっとちょっと、なんでそんなぎこちないのよ? ワタシ達、もう結構な仲でしょ?』
「……いや、だって、まだ完全に受け入れたわけじゃ――」
『えーっ、そうなの!』
そうに決まってる。忙しい中で電話が来るからなんとなく会話してるけど、電話が意思を持ってコンタクトしてくるなんて、冷静に考えるとやっぱり気味が悪い。
それでも、戸惑いながらも返事してしまうのは、秘密を知られてしまったという不安のせいか、秘密を知ってもらっているという安堵のせいか。
『まあいいわ、もうすぐ慣れると思うし。何かあったらいつでも相談してね』
「相談したら何かしてくれるの?」
『ネタで笑わせるくらいはできる! アナタの声真似とか。んっと…………私、晴野楪です!』
「アンタ、それ真似じゃなくて私の音声データでしょ」
『バレたか! 過去のワタシへの依頼を録音して、ボーカロイドみたいに貼り合わせたのさっ』
「勝手に録音するな! あと私の声で喋るな!」
自分の声が自分の電話から聞こえるってホント変な感じ。
『そうそう、青葉君の写真見たんだけどさ。結構カッコいい顔なんじゃない? イケメン診断ってサイトでチェックしたらかなり点数良かったわよ』
「勝手に人のアルバムの写真使わないでよ、エッチ」
『この前聞いた感じだと、性格もいいんでしょ? どうなの、付き合う相手としては?』
「アンタは親戚のおばさんか……」
お見合い薦められてる、みたいな。
『絶対男子の方がいいわよ。何にも悩むことないし、誰の目も気にしないでデート出来るわ』
「そうなんだろうけどさ」
言われなくても分かってる。でも。
「青葉は……そういうんじゃないから。そういう人じゃないんだよ、私にとって」
詰まりながら言った私の言葉に、秘書子は声のトーンを和らげる。
『……そっか、そんなら仕方ないか。うん、じゃあまたね!』
「ん、またね」
私にほんの少しだけ物憂さを残し、秘書子は電子の住まいに戻っていった。
軽く
「よし、戻ろう戻ろう」
カット割の続き。今は部活だ。
「このカットはヒナ目線にするか、ヨウ目線にするか……」
脳内に2人を立たせ、目を瞑りながら肩を動かし、見え方を想像する。
慣れないうちは全然出来なかったこの脳内での立体視も、最近は随分と楽に出来るようになった。ファインダーを覗いた経験が積み重なって、像を描きやすくなったんだろう。
さて、ヨウの気持ちをボカすなら、ヒナ目線の方が良いかな。いや、ヨウの目線にすることで観客に疑似的にヨウの立場になってもらうこともできるし……でも次のカットを考えると…………。
時間を気にしないつもりでいても、連絡のチェックに
ここに籠ってから間もなく2時間というとき、唐突にノックの音がドアから響く。
「おっす」
ガラガラと開けて、青葉が入ってきた。
「順調か? カット割からやってるんだろ?」
「まあ順調ね、しんどい作業だけど。50カットくらい進んだかな」
「全部で400コマとすると……このペースでいけばあと14時間で絵コンテ作成に移れるな」
「そんな数字はっきり言わないでよ、一気にやる気なくなるわ」
投げ出した腕にバフッと頭を乗せる私に、青葉は確かにな、と笑う。
「でも良い脚本に仕上がったと思うぞ。俺は結構、名作になるんじゃないかって期待してる」
私がメモを殴り書いた脚本をパラパラと捲り、穏やかな声で言った。
「ありがと」
「それに、藤島も喜んでるしな。アイツ、今も隣で読み返してるぞ。すっごく良い話だって」
「……ん、良かった」
青葉には、全部、話してある。
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