Scene 6 彼にだけ伝えたこと
年下の同性が気になる、という重い悩みを1人で抱えられず、私は今年の春、ただ1人、青葉に打ち明けた。
高校2年になるまで、恋愛らしい恋愛をしたことがなかったこと。
男子にちっとも興味が湧かず、不思議に思いつつ周りについていけない自分に焦っていたこと。
そんな自分が、漫画や小説で得た知識で脚本に無理やり色恋沙汰を混ぜていることが何となくちゃちに思えて嫌だったこと。
2年の春に灯香が放研に入ってきて「かわいい子だな」と思ったこと。
常に一生懸命な姿勢に刺激を受けつつ、天然の会話に脱力していたこと。
一緒に映画を撮りながら、去年うず祭の準備をしながら、彼女がとても大事な存在になっていったこと。
それが先輩後輩としての感情でもなく、友情でもないことに気付いたこと。
動揺して狼狽して、自分がおかしいのだと思い悩んで泣いたこと。
それでも、どうしても感情を否定できなかったこと。
そんな全てを話すと、青葉は軽く微笑んだ。
「そか」
その軽い返事が逆に嬉しくて、「そんな悩み、大したことないよ」って言われてるみたいで、心が軽くなった。
「んで、どうしたの?」
「ああ。パンフレットに載せる紹介文と絵、チェックしてもらっていいか? 絵は藤島が描いたよ。文は勝手に俺が考えたけど」
「ん、お安い御用」
200字ピッタリでキレイにまとめられた企画紹介に、擬人化されたビデオカメラがラジオブースに座っている絵。相変わらず、灯香の絵はセンスあるわね。
「うん、バッチリだと思う」
「サンキュ」
渡した紙をクリアファイルに入れた後、ドアが閉まってることを確認して、私の隣に座った。
「楪、どうするんだ?」
少し小声で、おどけもせずに言う。
「何を?」
「藤島に言わないのか?」
「……簡単に言わないでよ」
「簡単に言ってるつもりはないけどさ。うず祭終わったら引退だし、最後のチャンスだろ」
「そんなの分かってるけどさ。ただの告白じゃないんだから。ハードル高いのよ」
そう、このハードルはどうしようもないほど高い。
相手が異性なら今みたいなシチュエーションはかなり上出来だ。同じ部活で毎日顔を合わせて一緒に文化祭の準備ができるなんて、漫画で頻繁によく見る光景、即ち幻想の具現化。私が想い人より下学年なら、先輩男子に憧れる後輩女子という完璧な設定にすらなり得る。
でも現実はこう。相手は同性、自分を恋愛対象として見るなんてこと自体がほぼ有り得ない。
まして私は先輩。カッコいい女子の先輩に惚れるならまだしも、ふんわりしてる後輩を好きになるなんて、向こうからしたら一番反応に困るに違いない。
この先、何がどうなるなんて過度な期待はしてない。私が何も言わなければ、1人の良い先輩として終わることになるだろう。でも。それでも。
「でもこれからお前、ずっと悩まされるんだからさ」
青葉の、柔らかくて重い言葉が刺さる。
私が女子を好きである以上、ひょっとしたらこれからも同性しか好きになれないかもしれない以上、このハードルはずっと私の前に
高い方が
飲み込んだ細い溜息が喉の奥に潜って心を揺らす、完全な恋煩い。
「まあとにかく! 今の私はカット割が先! やることやらなきゃね!」
「あーあ、『私と仕事どっちが大事なの!』って聞かれて失敗するパターンだな」
「うっさい!」
どりゃあ、とノロノロのパンチを肩に当てる。でも、こうしてからかってもらえることもなんだか嬉しい。まるで私が、普通の恋愛をしてるみたいじゃないか。
「ごめんごめん、冗談だって。んじゃ隣にいるから、迷うカットがあったら相談しに来いよ」
後ろを向いたまま手をヒラヒラ揺らして部室に戻っていく。
はあ、そうだよね……今年の文化祭終わったら引退だし、会う機会減るんだなあ。やっぱりそのタイミングで……でもあと2週間しかないなんて心の準備が……。
ダメだダメだ、映画に集中しないと!
「よし、カット53はヒナが出ていくまでで…………54でヨウの表情をアップで……いや、先に校庭の風景挟んでからアップ入れた方がいいかな」
意識して口を動かして、作業にのめり込む。手と口の共同作業で「ヒナと天秤座」の下ごしらえ。地味な作業だけど、悩みを掻き消すには打ってつけだった。
「ユズ先輩、ホント良い脚本書きますね。アタシちょっと泣きそうになっちゃいました!」
「そう言ってもらえるとホッとするわ。演じる人に気に入ってもらうのが一番大事だからさ」
いつもより早い帰り道、灯香と2人で公園前の交差点まで歩く。まだ街灯のつかない道路に少し冷めた風が吹き、ブラウスの袖の中を泳いでいくのが心地いい。
灯香は、ショルダーバッグにつけたパンダの缶バッジをトントンと小気味よく叩いていた。パンダグッズ、好きなんだなあ。
「ふぇすらじはどう?」
「大体企画案は固まってきたんで、大まかな流れを考えてるところです。あんまりイメージが湧かないんですよね、当日の。ラジオの公開録音は見たことあるんですけど、その時は完全に囲まれた部屋でやってたんですよね。壁で区切られてないブースでやるとどんな感じなのかなって」
「イメージ湧いてないのは私も一緒よ。普通のラジオじゃこんなことやらないから。想像力膨らませて、灯香が形作っていかないとね」
「うん、そうですよね。アタシがオリジナルで作るんですもんね」
むむう、と唇を軽く掻く灯香をまじまじと見つめた。うず祭が終われば、私も受験勉強が始まり、彼女は新体制の放研で動き出す。こうして一緒に帰ることも少なくなるんだろう。
ふと寂寥感に襲われて頬に寒さを覚え、巻きつく風がやけに暖かく感じた。
ダメだ、一緒にいると青葉に言われたことを思いだしてしまう。
ううん、うず祭終わったら言ってしまおうか……。
「どうしました? 先輩も何か悩んでます?」
ちょっと俯いていた私を覗き込む灯香。上目遣いと胸元に変に照れて、思わず目を背ける。
「う、ううん、ちょっとカットのこと考えてただけ」
「そかそか、カット割、結構進みました?」
「うん、100カットくらいかな。どんなに遅くてもあと2日で終わらせないとだから、家で続きやるよ」
「うっわ、映画ってホント大変なんですね」
天を仰ぐ私の腕を、ポンポンと叩く。
「悩んでる部分があったらいつでも相談して下さいね! 全力で聞きますから!」
「えー、聞くだけなの?」
アドバイスも頂戴よ、と笑ってみせる。
ホントに悩んでること、アナタに相談してもいいのかな。
聞くだけでもいいから、笑顔で聞いてもらえるのかな、なんて。
『また準備? 宿題やったの?』
「宿題はないの」
夜の挨拶メールを送ってきた秘書子に、「親気取りか」とツッコみながら返す。
夕飯もお風呂も終えて、あとは自分の部屋での作業時間。机の上には脚本が扇のように開かれ、私が汚すのを待っていた。
『準備、大変なんだね』
「まあね」
いつもTシャツでいたこの部屋で、今日は長袖を羽織る。気温が落ちてきたなあ。
『そうそう、楪にプレゼントがあるの』
そのメールに続いて、何枚も画像が送られてくる。最近の男性アイドルと、イケメン役者達。
「……何これ?」
『そういうの見てると、男にも興味出るかなあって!』
「そんな単純じゃないの!」
なんて短絡的な発想なんだ。
『あと、女のイヤなところをまとめた掲示板があったけど、リンク送ってもいい?』
「結構です!」
『その〈結構〉は機械的に解釈して〈オッケー〉の意味で取ってもいいかな? 実際機械だし!』
「要りません!」
なんで電話とメールで漫才しなきゃいけないんだ!
「あのね、恋愛観なんてそう簡単に変わるもんじゃないの。男の人の写真1枚見たくらいで変わるなら、みんな苦労しないわよ」
『そっかあ、面倒なんだなあ。損得だけで考えれば、男子と恋愛した方が障害も少なくて楽そうなのに』
そう。損得だけで動けるなら、苦労しない。私だって、苦労したいわけじゃない。
『電話には性別ないからよく分からないなあ。あ、でも敢えて言うなら男かな、タップするし!』
「……
なんてしょうもない。
『まあでも、画像でも何でも欲しくなったらいつでも言ってね』
「はいはい、分かったわよ」
ぶっきらぼうに返事するけど、顔はそんなに険しくなってない。実際、隠し事一つない、何でも話せる相手だと思うと、気が楽だった。
風を通そうと窓を開ける。黄色がかった白色の光が、水色の長袖を輝かせた。
「月も星も綺麗」
気がつくと、自分から秘書子にショートメールを送っていた。こんなの、彼女に言うようなことでもないのに。
それでもすぐに、秘書子は返事を送ってきた。
『月と星? あの天体の?』
「そう、ちょっと待ってて」
一面に塗りたくられた黒に点々と光る星。あの一番目立つ星は何等星なんだろう。
そして、その星達を上から眺めるように、綺麗でイヤに明るい三日月が空高く居座ってこの街を照らしていた。
写真に撮る。スマホで撮ってるからか、目で見るよりなんだか寂しい画になってしまったけど、添付で送ってみる。
「これ。少し小さいけど」
時間を置いて、ポンッポンッと通知音が弾けた。
『ああ、綺麗かも』
『ただの秘書子の頃は、そんなこと感じもしなかったけど』
『アナタが撮ってた色んな写真を見たから、なんとなくだけど分かる、かも』
連投されるメールに、心がじんわりと温まる。
「そか、良かった」
ロボットに感情を教える、なんていうのとはちょっと違う、不思議なやりとり。
少しお節介でズレたところもあるけど、秘書子は私から学習したオリジナルの感情を宿して、そばにいてくれている。
『綺麗。うん、綺麗ね』
愛でるように、確認するように、彼女は続けた。準備頑張って、と締め括られた最後のメールに、キリッとした表情の猫の絵文字を返し、布団にスマホを投げる。
「んじゃ、やりますか」
LEDと月明かりに照らされた部屋で、ブツブツ呟きながら脚本にボールペンを走らせ始めた。
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