彼女に対する裏切りのような気もして
Scene 4 祭の足音
「ようしっ、やるとしますか」
「おっ、楪、やる気だな」
週明けの月曜、放課後。部室の隅に壁に向かうように配置された、教室に置いてあるものと同じタイプの机椅子に座る。集中して作業するための個室もどき。
「土日思うように進まなかったのよ。だから今日は頑張らないと」
自分に言い聞かせるように宣言して、鞄からノートパソコンを取り出す。画面に映るA4横の原稿用紙は、40ページ目で止まっていた。
「んん……うん、これでヒナが…………うん、そうなるよね…………」
構想メモを見ながら、独り言多めにカチャカチャとキーボードを叩く。うん、ここまでの展開はオッケーね……だけど……。
「…………違うかなあ。なんか違う気がしてきたなあ……ううん…………」
読み返しては首を
またイヤなループに陥ってしまった。働いているはずの脳は「今はクリエイティブな気分じゃない」と反抗するかのように自信とアイディアを捨てていき、次第にキーを打つペースが落ちていく。
「映画脚本」というファイル名だけが、やたら仰々しく、カッコよさげに見えた。
「……ダメだ、ここは直そう」
今の状態じゃ何書いても進みが悪いよ、むしろ家の方が集中できるんじゃないかな、という天使もどきの悪魔の囁きが耳元でチラつく。
自分が都合良く生み出した悪魔の言いなりになってたまるか。自分を律しつつ、それでも悪魔の言うことも一理あると思いつつ、バックスペースキー多めにノートパソコンを叩いていった。
「うっわ、時間早っ」
大してページも進まないうちに、開け放した窓から見える空は昼間の色ではなくなっている。
2階からでもグラウンドの声はよく聞こえ、ホイッスルとバットの音が部屋の中までスッと入ってきた。
気にならないときはちっとも気にならないのに、今日はハズレの日。集中力が、外に抜ける風に乗っかって飛んでいく。
「だいじょぶですかユズ先輩?」
「大変そうですね……」
「ううむ、あんま大丈夫じゃないかもー」
灯香とセットに心配され、カッコつけるでもなく、グデーッと机に突っ伏す。
今回上映する映画の監督は私。そして脚本と演出も私。全てワンマンで仕上げるという初めての経験。「1人でやってみる!」と宣言して、これまた初めてのラブストーリーにチャレンジしてみたものの、筆はなかなか思い通りに進まない。
もっと前から始めれば良かったかも、と反省するものの、8月末までコンテスト用の別作品を作っていたので、実際問題そんな余裕はなかっただろう。
「進み、よくなさそうだな。まあ俺も脚本書いてるときはそんな感じだけどな。書いては消して、牛歩だよホント」
青葉が隣でやんわりメンタルケアをしてくれる。昼のラジオでは一人称を「僕」にしてるせいか「俺」って聞くと素の青葉を見られた感じがする。
「ありがと。ね、なかなか進まないなあ」
「ここで捗らないなら、家やファミレスで書いてもいいからな」
「うん。でもいつも家で書いてるから、ここの方が新鮮な気分で書けるのよ」
そう言って、もう一度画面に向かう。打っては消し、消しては打ち直し、牛歩どころか牛寝と呼びたいくらいの進み具合。たまにさくさくと半ページ進んだかと思えば、10分後にふと読み返してそのうちの半分を書き直す。
「あーっ! ちょっと気分転換!」
「いってらー」
「いってらっしゃい!」
3人に送り出されて、廊下に出た。この階は部室で使ってる教室が少ないので、うず祭が迫っているもののそんなに騒がしくはない。
座り作業で固まった体を伸ばしながら窓の外を覗く。立体感のある夏の入道雲が懐かしくなる、歯ブラシで歯磨き粉を擦りつけたような薄い雲。風が凪いだ空で、右にも左にも動かず、じっと校舎を見ている。君も体固まってるんじゃないかな。
2、3回深呼吸し、戻ろうかと思ったタイミングで、ポップな破裂音とともにショートメールが飛んできた。送信主には本人が勝手に登録した「秘書子」の文字。
『今、何してるの?』
友達のようなメールにガクッと肩を落とす。
「部活で映画の脚本執筆中」
高速でフリックして返信すると、今度は「渚のアデリーヌ」の着信音が響く。アイツ、勝手に着信音まで設定してたのね……。
「もしもし」
『私、秘書子さん。今、アナタのスマホにいるの』
「メリーさんかアンタは」
全然怖くないんですけど。
「あのさ、部活中は邪魔しないでって言ったでしょ」
『そんなこと言わないでよ。ワタシは親友なんだぞっ! 電話の中に友人だって作れちゃう。そう、スマホならね』
「そういうギャグはどこで身に付けたの」
呆れ声でツッコむ。電話中の相手に、違う、電話の中の相手に。
この週末、脚本執筆に向けて放出したアドレナリンは、度々この秘書子からの電話に吸収された。『楪達のことをもっと色々教えて!』と言われ、うず祭のことや映画の監督を担当すること、それに青葉や灯香、セットのことを教えた。
特に青葉達については、何度切っても「顔と名前以外のことも知りたい!」と懇願され、性格から始まり好きな食べ物まで教えてあげた。どんどん私のバックアップ化が進んでいる。
『ところで楪、ワタシ進化しました。自分でWEBを調べることができるようになりました!』
「ホントに? 学習能力ってスゴいわね……」
『これで高校生の男女が如何にデートで青春してるか調べて、アナタを説得するんだから』
「そんなの大体知ってるから要らないわよ」
周りにサンプルがいっぱいいるんだから。
『で、今日はこのリサーチ結果をお届けします。これを聞いて男子を見直してみよう。彼氏がカッコいいと思う瞬間ベスト3!』
「結構ですっ」
男子にそんな興味ないんだってば。
『まあまあ、とりあえず聞いてみなさいって。まずは第3位、スーツが似合っているとき!』
「…………ん?」
『続いて第2位、車を運転しているとき!』
「……うん」
『そして栄光の第1位! お会計でサッとカードを出して支払うとき、でした! どう? 楪もそういう仕草にキュンと来ない?』
「ピンと来ない!」
せめて高校生に合わせたリサーチにして!
「んんん、君が……君のことが…………」
秘書子とのしょうもない会話を終えて部室に戻り、台詞を考え始める。普通は口にしたら恥ずかしい言葉も、台詞と思えば椅子に座りながら難なく呟けてしまう。
「ユズ先輩、ちょっといいですか?」
上を向いてると、立っている灯香がニュッと覗き込んできた。真下から見える胸のボリュームが恐ろしい。
「どした?」
「忙しいときにすみません。『ふぇすらじ』のコンテンツ案考えたんですけど、ちょっと見てもらってもいいですか?」
渡されたノートは、まるまる1ページ箇条書きで埋まっていた。
ふぇすらじ、即ち「ふぇすてぃばる・らじお」。いつもやってるフライデー・ウズ・チャンネルの拡大版として、文化祭で放送する。
屋外にブースを設けてみんなが見てる前で話すという、公開放送企画。メインパーソナリティーは灯香、彼女の指名で私がサブパーソナリティーを務める。
ちなみに青葉は役者の他、部長としてうず祭実行委員会との窓口を担当。セットにはいつも通り、映画とラジオの裏方をお願いしている。
「この赤丸つけてあるのがメイン企画の案です」
「各部活のオススメ企画紹介か。まあ、オーソドックスだけど外せないわよね」
「問題はオススメ企画の情報をどうやって集めるかなんです。そもそもどんな企画があるか分からないし」
「ああ、それなら実行委員に頼めばいいわ。パンフレットに載せる紹介文の原稿があるだろうから、全部集まったらコピーもらいましょ」
「そっか、その中で面白そうな企画をピックアップすればいいんですね。で、特集組めそうならちょっとインタビューしてみたり!」
よかったあ、と笑ってパンダがついたボールペンでメモする。
ラジオではその天然の才能を如何なく発揮している灯香だけど、根はしっかりしている。他のコンテンツ案も面白いものが多くて、ちゃんと考え抜いてることがよく分かった。
「これ、面白いわね。模擬店の味比べ」
「グルメリポーターみたいなイメージですね。自腹で買ってきて食べるんでお金かかっちゃいますけど」
「まあ、たしかにそれには補助金は使えないな」
横で聞いていた青葉が、補助金申請書をひらひらさせながら笑った。
「ところで藤島、グルメリポーターなんかできるのか?」
「任せて下さいって!」
言いながら、ゆるいパンダの絵が描かれたノートを置いて隣に座る。
前屈みになったときに彼女の栗色の髪が頬をくすぐり、たったそれだけのことで体中の血液は速度を上げた。向こうは何の気なしなのに。
あーあ、こっちばっかり一喜一憂させられて、不公平だわ。
「じゃあ行きますよ。 見て下さい、この芸術的な見た目! まさに料理という名のアートです。それでは一口頂いてみましょう」
何もない机で一人芝居。箸で口に運ぶ仕草。
「うん、おいしい! 鴨の食感に柑橘系の爽やかなソースがマッチしますね!」
「カット」
「えー、なんでですかユズ先輩」
「灯香、今何食べたの?」
「鴨肉ソテーのオレンジソースがけです」
「模擬店って言ってなかったっけアンタ」
どこの調理専門学校なのよ。
「藤島先輩、もっと焼きそばみたいに現実味のあるメニューの方が……」
後輩のセットにまでツッコまれる。まともな後輩だと思った途端これだもんなあ。
「分かった、やってみる。 おおっ、見て下さいこの焼きそば! 麺が輝いてみえます! 具材のキャベツも……甘い、果物みたいに甘い! 甘すぎて塩が欲しくなりますね! 続いて麺は……わっ、舌にとろけて無くなりました! 紅ショウガも赤いルビーと見紛うほどの――」
「うん、藤島、それ以上やると嫌がらせだから」
青葉が冗談っぽく溜息をつく。逆に嫌味だっての。
「あのね灯香、まずは美味しいことを伝えればいいのよ。『びっくりするほど美味しいです』とか、分かりやすいコメントが一番ね」
「吐き気がするほど美味しいです!」
「言葉のチョイス!」
センスがなさすぎませんか。
「ううん、リポートって難しいですね。勉強しときます」
「まあでも、企画は面白いと思うから残しておきましょ。それから、この企画だけど……」
うず祭の土日両日の昼、校内を音で彩る今回のラジオ。灯香のステキな案出しのおかげで、良い番組になりそうだ。後は私が映画を頑張らなくちゃ。
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