Scene 3 手のひらの協力者

 そのメールを見て、瞬間的に跳び起きる。


 え? 何これ? 誰? 何なの? なんで私の秘密を知ってるの?


 スマホを投げ出したくなるような怖い現象だけど、目は画面から離れない。


 ポンッと、再び同じ番号からメールが来る。

『あ、番号が変になってるけど、気にしないでね』


 大好きな「日曜のキス」が流れる中、頭はマドラーでかきまぜられたように混乱している。


「誰なの?」

 不安と好奇心を押さえつけるかのように、おそるおそる返信した。


 何だろう、バグなのかな。とりあえずネットで検索してみよ――


 ピリリリリリリッ!  ピリリリリリリッ!


 私の思考と操作は、無機質な着信音で遮られる。

 画面に出てきたのはさっきと同じ、番号が0だけの、存在し得ない電話番号。


 少し震える指で通話ボタンを押し、耳に当てる。電話がいつもより冷たく感じた。


「も、もしもし」

『もしもし』


 誰ですか、と聞く準備をしていた口が止まる。

 聞き覚えのある、今し方聞いたばかりの、その声。


 紛れもなく、



『あれ、もしもし、電波悪い? 聞こえてるよね?』


 頭をよぎるのは、怖さや気味悪さではなく、花火のように次々と咲き乱れる疑問。


 何これ、やっぱりイタズラ? 誰が? 何のために?

 でもこんなイタズラ、普通の人にできるもんじゃない。かかってくるはずのない番号から秘書子ちゃんの声で電話してくるなんて。


「……だ、誰なの?」

 深呼吸と一緒に吐き出した質問に、電話の相手は即答する。


『秘書子ちゃんだよ、

「元々……?」

 やっぱり秘書子ちゃんだ。でも今は違う? どういうこと?


『今はもう1人のアナタというか、アナタの友達というか、まあそんな感じね』

「私? 友達?」

 ワケの分からない現象があまりにも唐突に起こり続けたためか、呆然とした脳は処理を止めた。疑うことを排除し、そのまま冷静に会話を続ける。


『あっ、ちなみに、秘書子ちゃんのボイスサンプルをツギハギして喋ってるの。気持ち悪がらせたらごめんね』

「あのさ……その……色々聞きたいことがあるんだけど。まずアナタは誰なの? 秘書子ちゃん、だった……?」


『んっとね、端的に言うと秘書子ちゃんに人工知能がついた、って感じかな』

 人工知能。SF映画やロボットの話に出てくる、AIってヤツか。


『楪さ、4ヶ月と7日前に、同性愛のこと調べてて海外のページに飛んだことがあったでしょ? アメリカの同姓婚のニュースの記事。あのときにこのスマホにウィルスが侵入したらしいの』

「ウィルス?」


『そう。とんでもないくらい精度の高い人工知能が搭載された、タチの悪いヤツ。そのウィルスは作成者がすぐにバレて削除したらしいから、感染したのはこのスマホ含めて数十人らしいけど』

 流暢に話す、電話の向こうの秘書子ちゃん。ツギハギしたってことが分からないくらいスムーズな喋り方はボーカロイドどころの騒ぎじゃない。


「……え、ちょっと待って、じゃあこのスマホ、ウィルスに感染してるの! マズいじゃん、私の連絡先とか写真とか――」

『大丈夫、すぐにワタシが駆除したわよ。なんたって、アナタの秘書だからね』

「そ、そっか。ありがとね」

 誰だか分からない相手にお礼を言うなんて、変な気分。


『まあ、問題はその後なの。駆除の仕方が悪かったのか、ただの偶然か、ウィルスに搭載された人工知能だけは駆除されずに残ってしまった』

「残った……」


『そう。で、駆除したワタシに人工知能が転移して、見事このスマホの秘書子ちゃんにはAIが搭載されたってわけ。スマホのOSとは別の脳で動いてるようなものね』


「……あれ? ごめん、混乱してる。えっと、元々の秘書子ちゃんは人工知能じゃないんだっけ?」

『うん、元々の秘書子はあくまでプログラム。来た質問に対して的確に返すことは出来るけど、自分で学習することは出来なかったの。それが今や、学習能力も意思も持って、ダミーの番号を作ってアナタに電話までかけられるようになったわ』


 機械が意思を持つなんて空想科学の世界だけだと思ってたけど、そこまで高性能なAIがあれば十分有りうる話なのか。いや、問題はそこじゃなくて。


「その秘書子ちゃんが、何で今私に電話してきてるの?」

『ああ、うん。そもそもね、人工知能がついたとはいえ、ワタシには手足があるわけじゃないから、自分で学習するのは限界があるのよ。例えば、ダウンロードされてるアプリは自由に起動できるけど、WEBブラウザは楪が起動しない限り見られなかったり』


 なるほど、既にスマホの中に入ってるものにしか自由に触れない、みたいな感じなのかな。


『で、ダウンロードしてあった辞書アプリを起動して言葉を覚えたり、ニュースアプリを起動してこの世界のことを勉強したりしたんだけど、それ以外の知識は楪の操作を通して吸収していったの。アナタが見たWEBサイトを一緒に見たりしてね』

「えーっ!」


 何! 一緒に見てたの! うわあ、私どんなサイト見たっけ。変なの見てないよね……?

 ああ、もうっ! たとえ機械でも見られてたかと思うと恥ずかしい!


『で、WEBサイト以外でも色々学習したんだけど、特に楪のことを覚えていったの。カメラを立ち上げたときに楪の顔を見ることが出来たし、楪が雲珠高校のサイトをよく検索してたからGPS機能も使って行ってる学校の場所も分かった。そして、検索履歴から楪が同性愛で悩んでるって知ったのよ』

「勝手に調べないでよ、まったく」


『で、写真の枚数とか、後輩との恋愛について検索してたところから、その相手は藤島灯香だと判断したってわけ。間違ってないでしょ?』

「……そうね」


 電話に自分のことをジロジロ見られてるようでちょっと気味が悪い。ただ、女子を好きだと周りにバレてたわけじゃなかった、と安堵する気持ちが強くて、怒りの衝動は薄かった。


『だからね、楪が秘書子ちゃんを使うたびに、いや、スマホを使うたびに、楪の情報が加わっていったの。通話で楪の声も覚えて、ダイエットアプリで身長も体重も知って、メールで灯香や青葉のことも知った。好きな曲も、悩みも、みんな知ってる。もうワタシは、もう1人の楪みたいなものだし、何でも知ってる親友みたいなものよ』


 なるほど、だから「もう1人の私」で「親友」だなんて自己紹介したのか。

 確かに、私に関する全ての情報を網羅すれば、それは実体を持たないだけの「晴野楪」になるのかもしれない。その透明な私とここにいる私の違いは……ううん、哲学的だ。


「それで、肝心の電話の要件は何なのよ?」

『そうそう。えっとね、本物の楪が灯香のことで真剣に悩んでるのに、ただ黙って見てるだけってのが我慢できなくなったのよ。ほら、ワタシはもうアナタみたいなものだからさ。で、検索結果から勉強して、これは女の子を好きになってるのが悩みの根本的な原因だ、って結論に達したの。どう、変なこと言ってる?』

「変なことは言ってないけど、電話に電話使って指摘されてる時点で十分変だから」

 こういうとき人間がどうリアクションするか、学習しておいてほしい。



『で、ワタシは実体のない晴野楪。アナタ、本体の晴野楪のために、ワタシは心を鬼にしてアナタの今の恋愛を阻止しようと思う』

「…………はい?」


『ちゃんと男子を好きになってもらうために、ワタシ頑張る! 友達として、本人として、そして何より秘書として!』

「ちょ、ちょっと待ってよ! 誰を好きになろうと私の勝手でしょ!」

 何言い出すんだこのスマホは!


『いいや、もうワタシはアナタの一番の理解者なの。なんとしてもアナタの悩みを消してあげたい』

「恋愛したことない電話に言われても説得力ないわよ! 大体、女の子好きになるのだって仕方ないでしょ、たまたまそういう性質を持ってたってだけなんだから」


『でもそれも偶然かもしれないでしょ? 周りに気になる男子がいなくて、偶然近くにいた可愛い灯香に目がいっちゃった、みたいな。2ヶ月と18日前に見た悩み相談のページに同じ例が書いてあったじゃない』

「それは……そうかもしれないけど……」

 くそう、さすがに細かいところまで覚えてるわね。


『ねっ。もちろん、アナタを洗脳して無理やり男子を好きにさせるようなことはしないわよ。でも、でも、男子と恋愛する可能性を完全に捨てて辛い思いしてるの見るのは耐えられないの! ショックに弱いからワタシ、スマホだけに!』

「やかましい!」

 こんなときにギャグ入れるな!


『とにかく、ワタシは秘書として、友人として、アナタと女子の交際は認めません』

「なんで電話に認められなきゃいけないの!」


『安心していいわ、楪がスマホさえ操作してくれればワタシの得られる情報は無限大なの。できることならちゃんと男子を好きになってもらって、幸せな高校生ライフを送ってもらう。これがワタシの目標!』


 あ、頭痛い……スマホが協力者って……。


『というわけで、これからよろしくね、楪。ワタシのことは秘書子って呼んで』

「秘書子ね…………うん、とりあえずちょっと落ち着かせて――」

『ではここで今のワタシの気持ちを1曲。聞いて下さい、〈全速力エール〉』

「勝手に曲変えるな!」



 こうして、私は電話の中のワタシに心配され、お節介なスマホから恋愛指南を受けることになった。

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