Scene 18 そして2人に線が引かれる

「よし、今撮ってきたファイル取り込んで、次に進もう。今日中に150カットくらい進めないと間に合わないわ」


 1カットの編集が1分で終わったとしても、150カットで2時間半かかる。もちろん編集に悩んだり撮り直したりすればそれ以上の時間が積み重なる。編集には慣れていないので、セットと一緒にやるしかない。


 この部室に何時まで残ることになるのか、掛け時計の短針が8に向かおうとしているのを見て、存分に気が滅入った。


 そして、さらに心を沈ませる、横から聞こえる会話。


「アオ先輩、ふぇすらじなんですけど、ここってどう進めればいいですかね? ブースから声かけて人が集まると思えないんですけど……」

「んん、そうだなあ。せっかく楪がいるんだから、楪にブース任せて、藤島がちょっとブース飛び出したら?」

「えっ、このタイミングでブース出ちゃうんですか!」


 驚きと期待の入り混じったような声に、思わず動画から目線を移す。灯香が青葉の隣に椅子を寄せて、並んで台本を見ていた。


「ああ、そうすれば人も集めやすいだろ? 立ち止まって聞いてる人も何人かいるだろうし」

「確かに! そっかそっか、その手がありましたね。ありがとうございます!」

 元気に頷きながら、ふぇすらじの台本をペンで汚す。



 私が直した台本に、私が贈ったペン。それでも、質問の相手は私じゃない。


 わかってる、今の私に質問をさばく余裕なんてない。当日のサブパーソナリティーとして私が関わらなきゃいけない部分も当然あるけど、それ以外で青葉に聞けそうなところは青葉に聞く。


 当然の判断。でも、自分には辛かった。



「アオ先輩は狙ってる模擬店あるんですか?」

「んー、柔道部が毎年出してるチョコバナナが意外とおいしいらしいから食べてみるかな」

「そういえば柔道部はチョコバナナでしたね! もうそのギャップが面白い!」



 灯香が離れていってしまうような、青葉のところに行ってしまうような。

 好き放題に生まれた寂寥感がかさを増していき、無理やり飲み込むかのように編集作業に戻った。




「さすがにこの時間になると結構寒いわね」

「うん、そうですね。帰って温かい紅茶飲もうっと」


 灯香と一緒の帰り道。結局22時を回って、もう道路に人の気配は少ない。お腹も減ったし気力も0に近い。


「ごめんね灯香、ふぇすらじ全然手伝えなくて」

「いえいえ、大丈夫です。アオ先輩にサポートしてもらってるんで。ユズ先輩はまずは映画頑張って下さい!」

「……ありがと」


 そのままほとんど言葉も交わさず、適当なやりとりをして別れる。風が落ち葉をガサガサ揺らして、静けさのなかで一瞬の騒音を演じる。



 灯香が気を遣ってくれているのも本気で応援してくれているのも分かる。


 それでも、「ユズ先輩がいないと、ふぇすらじ考えるの難しいですね」って、お世辞でも何でも聞きたい。

 身勝手な願いと乖離する現実に、石を蹴って帰った。



「検索。女の子同士 恋愛 諦める」

『検索結果を表示します』


 部屋に戻って秘書子にお願い。初めて検索する組み合わせ。


『どしたの、急に? ついに男子にシフトチェンジ?』

「別に。ちょっと気になっただけ。もう寝るね、おやすみ」


 すぐに来たショートメールにババッと返信し、電話を投げる。釣り針を途中で引き上げるような、自己中な会話。


 なんでこんなこと思いついたんだろう。明日の編集を危惧して、そして口をついたその検索の意味を考えようとして、布団に入ってもちっとも寝つけなかった。




 木曜日。もう明後日が本番。部室では昨日と同じように編集作業。ただ、その空気は昨日よりピリッとしている。


「セット、次はカット132ね」


 昨日目標の150まで進まなかったどころか、今日の18時になってもまだ辿り着いていない。

 本当に完成するのか、土曜日から上映できるのか、私の焦りが部室を侵食する。


「これどうですか」

 2人で静かに動画を見る。画面の中では、ヒナがベッドで本を読んでいた。


「……私、このテイクでOKしたんだっけ? 別のテイクも見せてもらっていい?」

「その1つ前が、と……これですね」


「あー椅子で読んでるバージョンか……うん、こっちにしよう」

「分かりました。で、後ろは2秒切って……」

 そのままベッドで読んでいる動画を編集しようとするセット。


「だから違うって、椅子で読んでる方を使うの」

「あ、すみません」


 セットへの言い方にも、ついトゲが出てしまう。

 後輩の前で、灯香の前で、こんな余裕をなくした自分がカッコ悪い。そう思うと余計にその腹立ちが他人に向いてしまう。完全な悪循環。



「晴野先輩、ここら辺のシーン、僕がまとめてやっておきましょうか?」

「ありがと。でも一応私もチェックするよ、監督だしね」


「そうですか? でも風景のシーンだけでも――」

「いいから。こんなこと話してる暇あったらやっちゃおうよ」


 部室の空気が冷えていく。自分のせいだと分かっていて、それをどうすることもできない自分に嫌気がさす。



 向かいの席でふぇすらじの打ち合わせをしている2人を見ると、途端にやり場のない想いが募る。

 冷静に見ればうず祭の打ち合わせをしているだけ、ただそれだけ。

 それでも、這いつくばっている今の自分から見上げると、やたら楽しそうに見えて仕方がない。


 溜息が部屋に充満して息苦しい空間で、フィルムを切り貼りしていく。

 観た人にメッセージを感じてほしいなんて崇高な目的は頭の外、今はただ完成させるためだけに編集していた。



「よし、一旦休憩しよ」

 カット200が見えてきた20時。疲れがピークに達したので、休みを入れる。カフェインを求めて缶コーヒーを飲み干していると、灯香が近づいてきた。


「あの、ユズ先輩、忙しいところごめんなさい」

「ん、大丈夫よ。どした?」


「ふぇすらじの台本、アオ先輩にアドバイスもらいながら作ったんで、チェックしてほしいんです。そんな細かく見なくてもいいんで、流れだけでも」

 十数枚はあるインクに染められた紙。


「……うん、わかった。見とくね」


 先輩として、後輩の面倒を見ないわけにはいかない。それでも、正直言えばほんの少しだけ、呻き声をあげたくなった。


「これ、2時間の内容全部書いてあるの?」

「はい、前にユズ先輩に見てもらった土曜日分の台本をもとに書きました」

「そっか、頑張ったわね!」

「はい! でもユズ先輩とアオ先輩のおかげです!」



 あまりにもまっすぐな灯香を目の前にして、今の自分は本当に見劣りするように思える。

 不安、自己嫌悪、嫉み。負の感情が、落ちものパズルのように積み重なる。


 いっそくっついて消えてくれればいいのに。何からどう処理していいか、もう分からない。



「何か気になってるところはある?」

「ううん、構成はあんまり問題ないと思うんですけど、オススメ企画をどこにするか迷ってるんですよね」


「パンフレットの原稿コピーもらえたのか?」

 灯香の分厚いクリアファイルを見ながら青葉が言う。パンフレット本体が配られるのは明日。事前に実行委員に頼んで、コピーをもらう予定でいた。


「はい、もらえました。実行委員もオススメ企画紹介してるんで、それを参考にしつつオリジナルで目ぼしい企画探す感じですかね」

「そっか、完全に被っちゃうのもアレだしね。実行委員はどんな企画推してるの?」


「ライブとかダンスとか、ステージの企画が多いですね。来場者にも配るものだから、割とオーソドックスなもの紹介してます。変わったところだと……あ、文芸部推してましたよ。今年は『百合特集』ってことで、部員がオリジナルの小説とか書くみたいです!」



 ガンッと胸を殴られたように、その言葉に呼吸を妨げられる。



「へえ、面白い企画ですね。藤島先輩、そういうの興味あるんですか?」



 何ひとつ、いつもと変わりなく、セットが灯香に聞く。自分の表情が強張るのが分かるなかで、震えた叫び声が漏れそうになるのを必死で抑えた。



「うーん、特にないですかね。私はノーマルなんで、やっぱり普通のボーイミーツガールな感じの話が好きです」



 少し冗談めかしながら、何ひとつ、いつもと変わりなく答える灯香。

 さっき殴られた胸が、悲鳴もあげずにキュッと音を立ててしぼんだ。



「そっかそっか……じゃあこの台本、あとでチェックしとくわね」


 風邪でもひいたかのように、体がだるくなったような感覚。

 なんでそんなこと聞いたんだというセットへの自分勝手な怒りと、時間を戻してほしいという願望が泉のように噴き出す。


「ユズ先輩、あの、ホントに大丈夫ですか? なんか顔色悪いですけど。アレだったら、アオ先輩に見てもらってもいいので」



 そんな名前出さないで。

 青葉の名前なんか出さないで。



「……そっかな? 大丈夫よ、今日編集ひと段落したらちゃんと見るから」



 気分が悪い。気分が悪くて、どうしたらいいか分からない。

 助けて、助けて。誰か助けてくれてもいいじゃない。



「いや、編集大変だったら無理しないで下さい。ユズ先輩は当日見ただけでも対応できると思いますし、やっぱりアオ先輩に――」

「私が見るって!!!」


 奪うように灯香から紙を取り上げる。あっ、と小さく叫んだ灯香は、そのまま微かに笑って頷いた。


「……じゃあお願いしますね」

「うん、明日までに――」




 あれ、どうしたんだろう。




「――う――――」




 次の言葉が出てこない。



 しぼんだ心が無理に膨らもうとして波を打つ。



 その波が喉に伝わって声を揺らし、目に伝わって水滴を作った。




「ユズ先輩、どしたんですか!」

「楪……」



 声をあげるでもなく、座り込むでもなく、表情が張り付いた顔に涙が溢れ出る。



 熱い。頬が熱い。止めたいのに、止めて「目にゴミが」って言わなきゃいけないのに、自分で制御できない。



「……ごめん、ちょっと帰る! 続き明日絶対やるから! ごめんね!」



 早口で怒鳴るように捲し立て、歪む視線で精一杯周りを見渡す。目についた自分の荷物を鞄に押し込んで部室を出た。




 帰り道を走りながら、腕で目を拭う。何の涙か、自分でもよく分からない。


 灯香に怒鳴ってしまったこと、青葉への嫉妬、いっぱいいっぱいな自分への情けなさ、そして灯香への一方通行な想い。

 色々なことが混ざって、もう心が耐え切れなくなった。


 ノーマル、灯香はそう言った。線が引かれた。


 私は、灯香からすれば、ノーマルじゃない。分かってたくせに。


 私は灯香とは違うカテゴリーで、決して交わることはない。分かってたくせに。


 でも、寂しい。寂しい。寂しい。



 涙に水分を奪われ、心を乾かしながら全速力で走る。





 寂しい。寂しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る