三 知られざる歴史

 私に左目があるではないかと仰せの方もいるでしょう。その秘密をただいまお話しいたしましょう。


 怪しげに光ったのち、かの宝玉は私の体の中へと光とともに消えてゆきました。そして私はまた、語るに尽くせぬ幻覚を見たのでございます。それは人の栄えるよりはるかに昔の光景でございました。「大いなるいにしえの者ども」とでも申しましょうか、紅播牙クウルパングア一柱にとどまらぬ数多の神々がこの地に跋扈ばっこしていた世界に、は生きておりました。

 独自の言葉を、文字を生み出し、優れたる数学や蒸気機関を凌ぐ様々の動力をもは生み出したのであります。しかしの繁栄はそれら「大いなるいにしえの者ども」、あるいは神々と意思を交わす術を見出したことにより巻き起こりました。

 …いえ、これ以上は申しますまい。このようななど、いずれ通常は狂気に属する世界であるとお思いでありましょう。私はあえてそのことをこれ以上は申し上げません。いずれ皆様がそれぞれに自らお気づきになる日を待つことといたしましょう。


 ただ申し上げるのは、その一連の幻覚ののち、私の左目は失われたどころか快癒かいゆしたということでございます。腕を失った先生とともに、無数の幻覚に卒倒そっとうした私も明け方までに救い出されたそうであります。


 私が目覚めたのはそれから2日目の午後になってからのことでございました。私はすぐに左目を確かめました。本来ならば空洞となるか無理に義眼をあてがわれているはずの左の眼孔には、しかし左目が元の通りに残されておりました。これだけでも奇跡と呼ぶにふさわしいかと存じ上げます。

 しかし驚くべきことに、もう一つの奇跡もおきておりました。通常ならば感染症で命を落とすはずの先生も、私の目覚めたときには隣に寝かされていたのであります。これは喜一郎の機転によるものでありました。すなわち、紅播牙クウルパングアが一切の菌を殺してしまった井戸の水を使って、先生の指示に従ってその傷を塞いで見せたのであります。とはいえそのあまりの苦痛に先生の歯は数本が危うく抜けかけているとのことでありました。


 私は意識を取り戻すと、せねばならないことがあると申してすぐに立ち上がり、宿所を出て御岳へと向かいました。見れば惨劇の起きたB集落ではまだ方々ほうぼうで人や家を焼く煙が上がっているようでありました。

 そのB郷の方から、一人の偉丈夫がこちらに向かって歩いておりました。とんだ不信心者が生き残って見せたようであります。


「よくぞご無事で」


 私が声を張ると、先方も同じ言葉を返しました。


「火を放ったあと、B郷の幾人かを連れて白蛇の祠にてやり過ごし申した。しかし、やはりかの宝玉を託したのは正解でございましたな」


 満足げに馬渕は笑ってみせました。一通り挨拶をすませると、私はすぐに本題を切り出しました。


「その白蛇の祠にて…」


 私が言いかけると、馬渕はそれを手で制します。


「他の者に聞かれるといけない。すでに囈言うわごとでかの言語を口走ったことを知っておる。再び行けば、読めるか?」


「もちろんでございます」


 すなわち、あの石櫃せきひつふたに書かれた文字のことでございます。私と馬渕は再び連れ立って、白蛇の祠へと赴きました。それこそがこの忌まわしき病を終わらせるために必要な最後の調査でございました。いったいいかなる契約を交わしたのか、これに終わらせる術はあるのか、その全てがかの石櫃せきひつに刻まれているはずでございました。


 しかし私はそこで自らの体がもはや人間でなくなっていることを思い知ることとなるのです。すなわち、私は暗闇でもものが見えるようになっておりました。私があまりに迷いなくずいずいと進むために、馬渕に呼び止められて初めてそのことに気がつきました。私がそのことを隠さず馬渕に伝えると、彼は次のように一つの危惧を伝えてくれました。


「この地に蛇人間のいたことはいよいよ確かである。その折に人間もまた共に生活していたこともまた確かである。これすなわち、この地の人に蛇人間の血が受け継がれているやもしれぬということ」


「そうだとしても、その血ははなはだ薄うございましょう」


「否。これが時折、色濃く出る。すなわち、この地には時に傑出けっしゅつした知能を持つ人物が生まれる」


 その言葉に、私はさすがに歩みを止めました。


「それが、私と言うのでしょうか」

「否。あるいは喜一郎やもしれぬ」


 全ては仮定の話でございました。どこからどこまでがの血によるものなのか、どこからどこまでがによるものなのか、もはや私にも馬渕にも判断のつけようがございません。私たちは論じるのをやめ、再びあの石櫃せきひつの間まで進んだのでありました。

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