三 信じる神は何処に

 私が必死に梅子の治療をしている間に、先生は白蛇の剖検ぼうけんを行なっておりました。私に対する信頼といえば聞こえはよろしくありますが、先生にももう少し人間らしい共感性の心を持つようお願いしたくもなりました。

 むろん先生に言わせてみれば、それこそが病をうちはらう最も確実で早い方法であったということになりましょう。それは私にとってこれ以上の医学的探求の余地が残されていなかったのに対して、先生は未だ諦めていなかったことを意味してもおりました。


 これは後で聞いた話ではございますが、先生もすぐに梅子の元に向かおうとした様子でございます。しかしそこで私たちが昨晩『神の足跡』に入ったことを知った萩野ぎんさん率いる一団と悶着もんちゃくが起きたそうです。とはいえ、幸いにして白蛇かみを殺して持ち帰ったことは知られていないようでした。

 ぎんさんたちは禁忌きんきを破り『神の足跡』に入ったことで、これまで以上の大厄災が村を襲うのではないかと恐れていたようであります。先生はしばらく村人たちの話を聞いたのちに、むしろこの訴えを一蹴いっしゅうしたといいます。


「私は『神の足跡』で神にまみえました。神は御岳山より皆様を見守り続けておられる。これすなわち! ふもとに降りて病をなす者とは異なるということでございます。神が病をなすなどという不敬を申し、神が村を苦しめるなどという世迷言よまいごとを申す者がいるなら、まずその者こそ『神の足跡』へ行って神にひざまずくべきであります」


 田舎村人が弁舌で先生に勝るはずもございません。その後いくつか聞かれた反論も、先生が口から出るに任せて様々のことを述べ、ついに村人たちを言いくるめてしまったそうでございます。先生曰く、何としても白蛇の亡骸なきがらだけは見せるわけにはいかなかった都合、そこで村人を引き止め追い返すより他に術はなかったとのことでございます。

 ようやく村人を追い返した先生でしたが、その調子ではいつ村人が忍び込むか知れたものではございません。貴重な検体を無駄にするくらいならば、一刻も早くそれを解剖するのが何よりも優先されるとご判断なされたそうでございます。先に申し上げた「私を信頼していた」とは、このときのことをお話になったときの先生の弁にございます。とは申しましても、先生が信頼していたのはむしろご自身の教育力だったようでもございますが。


 ともあれ、先生はいよいよ白蛇かみ剖検ぼうけんを行う運びとなったのでございます。私も梅子が落ち着いた後になってそれを見させていただきました。神々しいほどに白い皮が剥がれ、細長い内臓が取り出され、ひどく傷ついた赤い眼球は確認できなかったものの、小さな脳や胃の内容物まで全てが丁寧に並べられておりました。

 そうしてわかったことはあまりに常識的で、こう言って差し支えなければ、科学的なものでございました。私はその結論にあまりに拍子抜けさせられ、そして喜一郎を笑った自分をいくらか恨めしく思いました。

 すなわち、この蛇はただの白い蛇に他ならなかったのです。ただ私たちのおそれの気持ちが、この蛇をして神と誤解させていただけのことでございました。これほどに屈辱的で人を馬鹿にしたような結論があったでしょうか。


 それでも得るものがあったのも事実でした。この蛇には数日前にものを食べた痕跡こんせきがある他、体内にも菌が生きていたのです。他からやってきたことも考えられますが、もしあの『神の足跡』が生まれたときその中にいたのなら、すなわち蛇だけが奇病の魔の手を逃れたことになります。


 このことを聞いて、私はいよいよ梅子に聞いたこの病のまことの姿を先生にお伝えいたしました。病を運ぶは紅播牙くばんが。おそらくはこの地の修験道しゅげんどうに伝わる紅播権現くばんごんげんこそ、私たちの敵に違いないと。梅子はその目で、神が病をなす様を目にしたに違いないのだと。

 しかし先生はそれを聞いてもなお、ただ目をつむって考え込むばかりでございます。しばらくして先生は今日は寝なさいと私に命じ、明日になれば確かめなければならないことがありますと言い置きました。私は今一度梅子のもとに向かい今日はそちらで眠りますと伝え、宿所を後にいたしました。

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