二 梅子の発病

 白蛇かみを殺したことで、病は収束するのかもしれないという淡い期待は、翌日にはすぐに裏切られてしまいました。それも私にとっては最もえ難い形でその事実と直面させられることになったのです。


 蛇の亡骸なきがらを持ち帰った翌朝のことです。私たちのもとに姿を現したのは、父でありました。私はその焦りと不安、恐怖の入り混じった顔に覚えがありました。そして次に父が何を言うのか私は直感いたしました。それで父が口を開くより先に、私は梅子と叫んで宿所を飛び出しました。

 もしも神殺しの罰があるとすれば、それは自らに降りかかるのではないのかもしれません。それは私自身をたやすく殺しはせず、ゆっくりと一人一人私の大切に思う人々を奪っては、私の心をなぶり殺していくものなのでしょう。私はその朝に初めて本当の意味で神の実在を信じる気持ちになり、自らの罪深さを思ったのであります。


 私が梅子の家にたどり着いたとき、やはり梅子はやせ細っておりました。ほとんど骨と皮ばかりが残り、あの美しく柔らかい表情はどこかに消えてしまっておりました。それでも、そこに寝ていた女性は私にとってやはり梅子でありました。私はすぐにその細々とした手をとって、梅子に力強く説きました。


「案ずるな梅子。私がなんのためにこの村に来たのかゆめゆめ忘れるな。己の力と私の力を信じよ。蛇の神が何をしようと、人の力に打ち勝てるものではない。私たちで抗ってみせようではないか、頼んだぞ、お前は私の妻なのだからな」


 私がそう梅子に声をかけると、梅子の瞳から涙がひとつ滴りました。すぐに私は湯を沸かしてかゆを作るよう梅子の母君に頼み、自分は梅子の脈をとって説明を始めました。


「すぐに先生も来る。先生の見立てでは、水を飲みかゆを喉に詰まらせなければ生きる望みは十分にあるとのことだ。しかし私の見立てでは、それではひとつ足らぬものがある」


 それは体の中に住まうという細菌のことでありました。いかなる術にてそれを再び体に取り戻させるのか、そのときの私にはたったひとつしか術が浮かびませんでした。とはいえ、それは口に出すのははばかられる手段でありました。

 私は母君が持ってこられた水を梅子が詰まらせぬように、一滴ずつ梅子の口に注ぎました。母君も心配そうに梅子の手を握って声をかけておりました。続けて母君がかゆを持ってきたときには、本当なら先生や父、あるいは他の人々が見舞いに来てもおかしくないほど時が経っておりました。しかし私はといえば目の前の我が妻を救わんということに必死になり、そのことを全く気にもせず母君に嘘の頼みを申しました。


「このうえ千振せんぶりが必要でございます。いまひとつを摘んではいただけないでしょうか」


 母君ははいと言って慌てた様子で部屋を飛び出していきました。その実はただ人払いをしたかっただけなのでございます。私は母君の用意したかゆを自らの口に含んで熱をとると、驚く梅子の口に直に私の口をあてがいました。

 脂肪をほとんど奪われてもなお、梅子の唇は柔らこうございました。水と同じように、私が舌を使ってほんの少しのかゆを差し出せば、梅子はかろうじて残された力で精一杯にそれを受け取って、喉に詰まらせぬよう目をつむるほど必死でそれを飲み込みました。

 それは私の賭けでございました。私の体の菌が移ることで、梅子の弱った体に感染症を起こすことも考えられました。それでもいまはそれ以外に梅子の体をもとに戻す術を知りえなかったのでございます。


 二人だけの秘めたる治療ののち、幸運なことに、梅子は少しずつ息を強く取り戻していきました。その日の夜には、梅子は私にささやくように次のことを申しました。それは病に打ち勝った者だけが伝えることのできる、この病のまことの姿でございました。


「蛇では、ございません。病を運ぶのは、おおかみ紅播牙くばんが様でございます」

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