第3章 神の人をして病臥せしむ

一 邂逅

 神の足跡のたもとは実に奇妙な光景が広がっておりました。そこにはやせ細った鹿とからすが倒れ伏しており、しかしまったく朽ちる様子もなくただただ夜風にその亡骸なきがらさらしておりました。腐臭の原因は動物の亡骸なきがらとばかり思っておりましたから、それはまったく奇怪というほかない様子でございました。


「足元の葉を払ってみてください。見たこともないつるが走っています」


 先生に言われて足元を払えば、果たしてそこには見たこともないほどに太いつた状の植物が枯れておりました。私たちは靴を履いていたので気になりませんでしたが、とげはいくらか銀杏イチョウ絨毯じゅうたんを貫いて人の足を刺しているようでもありました。


「それで、先生はその白蛇の神というものには会われたのですか」


 私の目的はただそれだけでございました。しかし先生は静かに首を振ります。


「先生はどのようにお考えでしょうか。その白蛇の神をあやめれば、病はなくなるのでしょうか」


 いまになって思えば、これは気の狂った人の考え方でございます。つい2週間前には神が病をなすことなどあり得ないと笑ったその同じ人が、いまや神を殺せば病が治るとばかり考えているのです。その様子を見て、先生は静かに切り出しました。


「馬渕さんがおっしゃるには、蛇はかつて神であったようです。近年西洋の学者がcord marked pottery、索紋さくもん土器なるものを大森の遺跡に見出したと聞きます。索紋さくもんとは申せ、その実は蛇紋じゃもんではないかとのことです」


「しかし我が国古来の神と申せば、天照あまてらすに連なるみかどの神ではありませんか。蛇神へびがみなどいわば邪神じゃしんのひとつ…」


干支えとで蛇のことを年と申しますが、神に仕える巫女ふじょをなぜか巫女みこと申します。これも馬渕さんによれば…」


巳女へびこと書いて巳女みこと申すのですか」


神酒みきといい神子みこといい、まったく不都合な合致としか言いようがありません。考えてもみれば、十二支に神と同じ音を持つ動物はへびしか…」


 そこまで話すと先生は目を丸くして私の後ろに視線を釘付けにいたしました。私もすぐに何が起こったのかを悟りました。恐る恐る振り返れば、そこには真っ白なうろこおおわれ赤の瞳を輝かせた、一匹の大蛇が静かにこちらを見つめておりました。その背丈は神と呼ぶには小さく、膝ほどの高さまでしか首を持ち上げてははおりませんでした。しかしそれでも、今や私たちにとって大いなる畏怖いふを招き起こすだけの力を、その白蛇かみは持っておりました。


 わたしは先生の方に静かに後退り、ふところに忍ばせていたメスに腕を伸ばします。そのたなごころに汗がにじんで、指先は使い慣れたメスにも震えを生じているのがはっきりとわかりました。力んだ奥歯にこめかみがジンジンと痛み、しっかと睨みつけた眼球はいよいよ干上ひあががらんばかりでございます。


「先生、神殺しの罪はいかほどのものでございましょう」


 私は震えた声で先生に尋ねました。覚悟をしていたつもりでしたが、いざそれを前にすると膝が震えて歩みでる勇気がございません。先生は私の問いかけに答えることをせずに、ただ私の肩に手を置いて、もう片手で私の握ったメスを受け取りました。


おそれることはありません。あれはただの蛇でしょう」


 そう言うと、先生はわっと白蛇に踊りかかります。膝も笑っていた私でございますが、先生の思わぬ勇ましさに体の方が動いてくれました。たちまちのうちに先生の腕首に巻ついた白蛇を力ずくでむんずと引き剥がし、その恐るべき力に必死に食い下がります。先生はただ白蛇の首根っこを押さえて、頭と首に幾度もメスを刺し続けておりました。

 蛇の痙攣けいれんがようやく収まる頃には、私たちの洋服もすっかり土と血にまみれておりました。身体中には秋風に吹かれて汗が冷たく、まるで私たちの罪を見ていたぞと言わんばかりに、いま再び耳元に蘇った虫の鳴くりりりという声が四方から響いているのでありました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る