秋の足音

早瀬 コウ

プロローグ

遠き日の記憶

 私の故郷、山梨県K村には死病がありました。私が母を失ったのもその死病が原因です。あれはちょうど私の東京への進学が決まった秋のことでした。


 田舎農村でございましたから、もとは下級武士の家系とは申せ、家には囲炉裏いろりがちょんとひとつあるばかり。秋口は四方からの空気がいよいよ冷たく、何か心細いような心地にさせられたものです。

 冬の訪れる前に茅葺かやぶき屋根に差茅さしかやをするのが我が家のならいでございました。その日も私は父や母と共にかやを抜いては差し替え、最後には刈り込んで、冬ごもりの用意を整えたことを覚えています。恥ずかしながら私や父はどこか美的感覚に欠けていたのか、刈り込みがどうにもうまくいかず、そればかりは母に頼んでおりました。母が最後に整えた茅葺かやぶきの屋根は美しく、雪がいくら積もろうともたくましく我が家を守ってくれるのです。


 このような話をしますのは、まさに病の訪れるその日の夕刻まで、私の母がすっかり元気な様子だったことをお伝えするためでございます。母は屋根の刈り込みを終えると、朝のうちに作っておいた雑穀の“おじや”を慌ただしくよそいで夕飯にしました。それが母の最後の食事になったかと思うと、いまでも悔やむことがあるものです。


 母はその日の夜に急に病に見舞われました。私たちがそれに気づいたのは翌朝のことでした。慌てふためいた父が私の部屋に飛び込んできて、母の危篤を知らせました。母は昨日とは打って変わって、やつれきって皮膚ひふが骨に張り付いただけのような姿になり、いまや息を吸うための力すら残されていないようでございました。私はにわかにはそれが母であるとは理解できませんでした。何か父のいたずらであるかのようにも誤解したほどです。

 しかし私の村に奇病があるとは伝え聞いておりました。私は次にはこれがかの奇病であると了解し、すぐに母の手を取ったのであります。いまや見開いた目で天井を見る他に首を動かす力さえ失われた母を前に、私は誓ったのです。


「母上。私が東京で蘭学を修めたあかつきには、必ずこの病から村を救ってみせます」


 もはや母の言葉は聞くことができませんでした。それから2日のうちに、衰弱した母は亡くなってしまいました。


 本当は晴れ晴れとした気持ちで迎えるべきだった私の東京への出発も、そういったわけで非常に重苦しい空気の中にありました。父は母を失った悲しみの中で一人残されることになり、すっかり伏し目がちになってしまっておりました。私を迎えに来た東京の親戚も父を励ましたものですが、こればかりは如何ともしがたいものがありました。

 私は父のことを幼馴染の梅子という女性にくれぐれも頼みました。ひとときに妻と子と離れてしまっては、父の気も小さくなり、いずれ奇病と言わず並みの病でも母を追って命を落としかねないと案じたからであります。のちにこのことが私にあらゆる面で幸いするのですが、それはまた後の話にとっておきましょう。


 かくして文明開化の東京へと出発し、私は解剖学の第一人者でいらっしゃる高倉先生に師事することとなったのです。再び私が故郷の地を踏むことになったのは、それから6年が経ったときでした。


 これからお話ししますのは、先生と私、そして誰よりも「馬渕」という男が、我が故郷山梨県K村の奇病…いえ、もし非科学的な言葉を用いることをお許しいただければ「神の御業」に立ち向かった1ヶ月間のお話しでございます。

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