第1章 旧き村に科學を振るう

一 文明からの旅立ち

 東京大学は明治19年に帝国大学と名を変えました。そういったわけで、私は帝国大学第3期の卒業生ということになります。私は卒業後も高倉先生のもとで研究を続けることを選び、研究助手として先生を支えるようになりつつありました。

 そんな折、私から土地の風土病の話を聞いた先生は、それを次の研究課題にえることを提案なされました。私の悲願は思いの外早く達成されることとなったのです。


 明治23年という時代には、ヒユギエヰネ(今風に発音するならヒュギエーネ)という概念がドイツから持ち込まれ、国民の健康増進にとって重要なものであると論じられておりました。これは今では翻訳されて公衆衛生と呼ばれて親しまれております。

 もちろん富国強兵に邁進まいしんする日本政府にとっても公衆衛生ヒユギエヰネは主要な課題のひとつに数えられていました。ちょうど日本衛生協会が設立されて、その研究資金を投じる優れた計画を求めていたところに、我々の研究計画が提言されたのであります。まったく全てが組み木細工のように綺麗に組み合わさって、先生と私の山梨行はすんなりと資金的裏付けを得たのです。


 大手町で行われた些細な出発式のあと、洋式の馬車に乗せられて、私たちは東京駅へ向かいました。私がこの街に来てからというもの、みるみるうちに西洋建築に覆い尽くされてしまったその付近の光景は、田舎村出身の私にとって何度見ても華やかなものでした。そこに皆様もご存知のあの音が響くわけです。


 ポォーーーッ!!


 それはまさしく文明開化の轟。蒸気機関を懐に抱えて駆け出す鉄の車は、文明国日本の誇りでありました。轟々と煙を吐き出せば、その煙が古い街並みをことごとく文明色に塗り替えていくのです。まだ私が東京に向かった頃にはほとんど延伸されていなかった鉄道も、そのときまでには八王子まで文明の轟を伝えておりました。

 そのとき私は自分をこの汽車になぞらえたものです。私はまさに、旧習と未開の暗黒を切り裂く文明の申し子でした。我が故郷を覆っていた暗黒の病をうちはらい、駆け抜ける鉄道よりも早く文明の灯火を彼の地にもたらすのが私の役目に違いありません。若き学者の卵だった私が、その任にどれほど身を震わせ情熱を灯していたのか、皆様にも想像に難くはないでしょう。


 それでも先生は極めて冷静でした。その途上、私は先生からいくつかの“問診”を受け、先生はすぐに一つの診断名をくださいました。


突発性筋萎縮性側索硬化症とっぱつせいきんいしゅくせいそくさくこうかしょう


『筋萎縮性側索硬化症』は筋肉の急速な萎縮を特徴とする疾患で、どうやら神経の異常が原因ではないかとする説が近年フランスで発表されたばかりでした。この奇病を研究すると決まった折に、先生に言われて読んだ論文にたしかにその病が含まれていたことを記憶しておりました。今日ではよく知られております、シャルコー、ジョフロア両人による論文でございます。

 先生はそのとき、この病に「突発性」の文字を付け加えたのです。たしかに普通の筋萎縮性側索硬化症とは全く病の経過が異なっています。論文によれば5年かけて死に至るとされており、私の母のようにものの一晩のうちに病が進行して2日で亡くなるなど考えようもありません。

 したがって先生はその病名にどこか納得していないようでもありました。しばらく考えて二、三の病名を口にした後、先生がこうおっしゃったのをよく覚えております。


「これは日本国にしか存在しない奇病かもしれない。もしそうだとしたら大発見には違いないが、戦いはきっと長くなる。よくよく覚悟しておきなさい」


 実際、先生がおっしゃったのとは全く別の意味で、私はこの奇病に始まる一連の奇怪な物事と今でも戦い続けなければならなくなったのです。

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