二 病み村の法則

 かごに揺られて到着したのは、すっかり日も暮れたころでした。まだ家々に電灯などなかった時代のこと、西の空にようやく赤みの残る時間に籠酔いした東京ものを出迎える者はそうおりません。むろん父は姿を見せましたが、梅子や他のものの姿はありませんでした。


 村で始終私たちを案内したのは、当時まだ若かった萩野喜一郎という青年でした。私が村をでた頃にはほんの八、九歳だった彼の成長には、私も驚かされたものです。すっかり利発な青年へと成長した喜一郎は私の家から借りたという福沢先生の著作を引用しながら話すなど、当時の田舎村の青年としては随分と立派に学問を修めていたように記憶しています。

 その彼に案内されたのが村の南東に位置するF郷の一軒家でした。そこは私の知る限りとある農家の家だったのですが、どうやら私の離れている間に例の奇病で亡くなってしまわれたようです。一つ手を合わせてから、私たちはそこに荷物を広げました。


「して喜一郎。この秋の病み村はどちらだったかな」


 私が尋ねると、先生がいぶかしげな顔をして口を挟みました。


「病み村とはなんだね?」


 一番弟子の私が答えるより先に、喜一郎はすかさず言います。


「病み村というのは、陰陽五行おんみょうごぎょうならい毎年決まる凶方でございます、高倉先生」


「では今年は庚寅かのえとら年。庚寅かのえとらといえば方角は南西だろう。B郷の方かな」


 博識の先生はすぐにそう指摘いたしました。医学だけでなく陰陽五行にも通じているというのですから、私はやはり先生には敵いません。それでも私はその計算がこの地では誤りであることをすぐに教えることができました。


「いえ先生。それは吉方。この村では凶方はそれとは南北鏡写しに決まります。つまりは北西C郷こそ今年の凶方、病み村でございます」


「それはまた奇妙な風習だな。五行と言うからには互いに反目する…かのえならきのえからひのとまでのいずれかというのが倣いだろうに」


「なに、五行にも様々な伝わりがあるのでしょう。なにせ田舎村でのことです。誰も五行なんぞ正確には知らずに使っているだけかもしれません」


 私はそのように言ってしまいましたが、後になって思えば、もっとこのことを注意深く考えておればよかったのです。しかし風習とは恐ろしいもの。よもやこの程度の村の習慣が、もう病と関わっていようなどと誰に想像ができたでしょうか。


「して、病み村というのはやはりその名の通り病むのかね? それともまさに八卦はっけのようなものなのかな?」


「それが不思議とその方角から病がでるのです。私たちもそちらを主に調べてみるとよろしいかと存じあげます」


K村では病み村のならいはよく知られておりました。いつも必ずその方角にある家から奇病が始まると、他の集落に次から次に病が渡って3〜5軒が病に見舞われるのです。そうしてしまえば、途端に病の季節は終わってしまいます。


「今年はまだ『神の足跡』も見えませんから、病が出るのは当分先でしょう。詳しいお話は明日、僕の母からお話いたします」


喜一郎は爽やかにそう断って、颯爽さっそうと夜道へと消えます。それを見送ると、蝋燭提灯ろうそくちょうちんで輪郭ばかりが浮き出るような暗い部屋の中で、先生が顎に手をやって考え込んでおりました。


「どうかなさいましたか、先生」


「いや、なにということはない。ただ法則があるというのは医学者にとってすこぶる不愉快な結末も考えなければならないと思っていたところだ」


「どういうことでしょう?」


「私も整理する時間が必要だ。明日萩野くんのお母様にお会いしたらそこで話をしよう。いまは眠って籠酔いを醒まそうではないか」


先生は翌日になって、この病には自然の病の理とは違った一つのことを考える必要があるかもしれないと説かれました。それがすなわち人為じんいでありました。

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