三 人の為すこと

 喜一郎の母上である萩野ぎんさんは、K村を治めていた村長むらおさの家系の正統な後継にあたる方でした。旦那さんを例の奇病で亡くされて、それからは気ばかり強いこの人がなんとか土地を守って切り盛りしておりました。喜一郎がこれほどに優れた青年として成長したからには、もうすぐぎんさんも落ち着いて暮らすことができるだろうと思い、私は内心労いの言葉もかけてあげたい心持ちでおりました。

 しかし私たちが訪問したとき、ぎんさんは随分と不愉快そうな顔をしていたのです。その目はまったく余所者よそものうとんじて、先生が何を申してもへぇはぁと生返事をするばかり。まるで奇病の治療などに興味も持っていない様子でございました。


「ぎんさん、たしか旦那さんをあの病で亡くしてしまったはずでしょう。そのような無念を喜一郎にさせないためにこそ、科学の営みで世を新しくせねばならないのです。病のあった時代から、病のない時代へと、村は変わらねばならないのです」


 私もそのように熱弁したことを記憶いたしておりますが、このときはまったくぎんさんの心に届くことはありませんでした。


「わたしはその科学ってもんには疎いけど、百年も千年も前から変わらなかったものが、その舶来はくらいの技でどうにかなるとはとても信じられないねぇ」


 ぎんさんのその言葉は、当時の田舎村の意見をすべて代表していたようにも思います。東京の変わりようを目の当たりにしていない方々にとって、やれ文明開化だそれ西洋化だなどと言われても、いまひとつ了解できなかったのでしょう。やはり異国人やガス灯は都市だけのもので、いつまでも農村風景が変わることはないと信じていたのでしょうし、実際田舎村までがその姿を大きく変えるにはさらに長い時が必要でした。


 それはともかくとして、先生はようやく昨日から一晩考えたある一つの考えを口にいたしました。すなわち奇病人為説です。

 たしかにいつも決まって病み村から病が出るというなら、自然と病がそちらに向かうと理解するよりは誰かが病を仕向けていると考えた方がよろしゅうございましょう。人は幼い頃よりそれを病だと教えられれば病と考えてしまうもの。まったく先生の慧眼けいがんにはいつも驚くばかりでございました。


「萩野さん、思い当たる節があるなら早めに教えておいていただきたいのですが、この村の病み村の風習に伴って、何か食事や飲酒などの儀礼が行われたりはしませんか? ともすれば、それが病の原因かもしれません」


「そんなものはありゃしないよ。でもありもしないものを二人も続けて訊かれると、まるであるんじゃないかと思えてくるね」


 ぎんさんがそう答えて、私は先生と顔を見合わせました。どうやら喜一郎にも思い当たる人がいないようであります。


「いったいそれはどなたがお尋ねになられたのでしょう?」


 思わず尋ねたのはたしか先生ではなく私の方でした。


「たしか『馬渕』と名乗っていたかねぇ。あんたがたと違って和服のさむらいさんだったよ。どうも住職のところに泊めてもらっているみたいさ」


 こんな山奥に病を調べに来ている者が、私たちの他にいるとは想像もしていませんでした。しかしまだ大学制度も整って短い時勢じせい、在野の学者もそう珍しいことではございません。私はむしろ、これでこの研究は勢いづくだろうと予想しました。だからこそ、私はすぐに提案申し上げたのです。


「先生、その馬渕さんにお会いしてみましょう」


 私たちはぎんさんに断りを入れると、喜一郎に頼んで住職のいるB郷へと急ぎました。こうして私と先生は、はじめより申し上げておりました、馬渕さんにお会いすることとなったのでございます。

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