四 思想反目

 水と油は溶け合わないと申します。先生と私が水だとすれば、馬渕さんはまさしく油のような存在でございました。

 馬渕さんは噂に違わぬ和服の偉丈夫で、もしまげを結わえればすぐにも江戸の世に戻れそうな、それはそれは威圧感のあるお方でした。私と先生が連れ立って居候先の住職をおとなった折にも、すぐに大きな声で次のように申されました。


「お噂は聞き及んでおりまする、先生方。されども私と先生方とでは世を見る理が異なりますゆえ、幾許いくばくも論じる余地はござらん」


 馬渕さんが一方的に先生に無礼を働くものですから、私も意固地になって言い返したものです。


「馬渕と申したか。恐れ多くも帝国大学教授に任じられている高倉先生に…」


 ずいずいと進み出た私を止めたのは、やはり住職でございました。


「神の御前で瑣末さまつなことでいさかいを起こされては困ります」


 この状況にあって冷静を保つ高倉先生の器は弟子の贔屓目ひいきめもあるとはいえ、やはり素晴らしいものでございます。すぐに先生は住職に問いかけました。


「失礼ですが神職の方とお見受けいたします。村では住職と呼び習わされておりますが、この地の信仰はいかように理解すればよろしゅうございましょう」


 言われてみれば住職が神をどうこう言うのは奇妙なことです。住職ならば仏、神主ならば神と明治政府が神仏分離を進めたのはいまさら説明するまでもございません。


「こちらは元は修験道しゅげんどうにて御岳山の紅播権現くばんごんげんをお祀り申し上げ、今はいわゆる教派神道は御嶽教の分派に属します」


「わたくし浅学にて御嶽教は存じ上げませんが、修験道なら存じております。たしか山にて霊力を身に付けんとする修行の一派とか」


「左様でございます。とはいえ古くから恥ずかしながら習合しゅうごうがひどく、本社独特の教えなるものは…」


 先生がこのような話をしばらく続けていると、馬渕さんがたまらず大声をあげました。


「先生方に問う。神の人をして病臥せしむること、これ有りや無きや」


 当時にしても不必要なまでに古風な、いやむしろ支那しなの漢語調を模して述べたその言葉は、その時の私たちにとっては一笑に付すべきものでございました。当世風に言い直せば、馬渕さんは次のように問うたのであります。


「神が人を病に陥れることがあるだろうか」


 皆様も少し考えてみようではありませんか。果たしてそのようなことがありうるのでしょうか。当時の私たちは科学調査団でした。これに対して述べうることはたった一つの言葉を除いて他ありません。


「そのようなことは起こりえません。よしんば神が病をもたらすように見えたとして、そこには必ずや病理が存在しその理をつまびらかにするのが科学という思想でございます」


 それを聞いた馬渕さんは、かえって私どもを一笑に付してみせました。こともあろうに高らかに哄笑こうしょうしてみせたのです。その声の一つ一つが私と先生に苛立ちを押し付けてくるようでした。

 もちろんここで我々が不愉快に陥る理由は何一つございません。なんといっても西洋科学に裏打ちされた文明社会の申し子たる我々をかくも嘲笑するのは愚者か狂人のすること。たしかに面白くはありませんでしたが、相手をしなければよいのです。私たちは開きかけた口を閉ざして、怒気を抑えてここを去ることにいたしました。

 その背に向けて馬渕さんがおっしゃったのは、次のような文句であったと記憶しております。


「先生方。科学のなお及ばざるを知りてのち、よろしく教えを請うべし。しからば私の理にてこの病をうちはらわん」

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