第2章 神の足跡が運ぶもの
一 おそらくは愛
そろそろ梅子のことをお話ししておくべきかもしれません。梅子は私の幼馴染で、私が村を出るときに父のことを頼んだ娘でありました。私より二つは歳が下でしたが、父のことを任せるほどであります、生活のことについては私よりよほどしっかりとした器量好しの娘でありました。私としましても、6年も経って一層大人びた梅子を見るのを楽しみにしていた次第であります。
さてこの度の調査行ではじめに梅子の名を聞いたのは、調査の2日目に我が生家を訪れたときでございます。他ならぬ父の口から全く予期もせぬ話を聞かされて、私はすっかり驚いてしまったのを今でも覚えております。
「お前、東京でいい人はいるのか? もしお前さえよければ、梅子との縁談をまとめてあるんだが…」
当時にはまさしく結婚は家同士のものでございました。研究室にこもって学問に打ち込んできた私にはあいにくと縁談はなく、特に断る理由もありませんでした。しかしそれとこれとは話が違います。村を病から救おうと勇んでやってきた学徒が何やら若い娘を連れて帰ってきたのでは研究室の後輩たちにも合わせる顔がありません。
「いえたしかに縁談はありませんが、そんな急なものでしょうか」
私はすっかりまごついて、そのときすぐには返事をせずに済ませてしまいました。思えばこれがいけなかったのかもしれません。
その帰りに私は梅子の家の前を通りました。そうしたらどうでしょう。白々しくも庭の落ち葉を掃いている美しい娘が一人いるではありませんか。私はそれを見てすぐに梅子とわかりました。
それで声をかけようと息を一つ吸ったところでした。梅子はちらりとこちらを見ると、顔を赤くして家の中に走り去ってしまったのです。まったく可愛らしいことではありませんか。この見目麗しいほんの十七、八の娘がそのような振る舞いのひとつしてごらんなさい。たちまち私は頭に血の登らんばかりに梅子のことが愛おしくなってしまいました。
しかし皆様にはあえて早めにこの娘のことを詳しく述べておこうと思います。このような可愛らしい仕草に騙される若人はいくら科学と文明が進展しようと世に多く、私はこの点においてこそ人類文明の未熟さを思い知る次第でございます。
すなわちこの梅子、かような
このように申せば私が梅子のことを嫌っているように誤解なさるかもしれませんが、事実はその逆でございます。この娘のおかげで調査行に花が添えられたことに加え、連日の調査に疲れていた我々の心身に豊かに
しかし梅子との楽しい時間はそう長くは続きませんでした。実を言いますとそれからさらに1週ののちに、梅子はかの奇病に見舞われてしまうのです。それは先生と私が『神の足跡』に踏み入るという禁忌を犯した翌日のことでありました。
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