四 怪奇の剖検
先生はどこまでも解剖学者でした。また始まった念仏を背に部屋を出ると、ようやく落ち着きを取り戻した私にいつもと変わらぬ穏やかな調子で言いました。
「亡くなるまで待ちましょう。
片や私は治すことはできないのでしょうかともう一度すがってしまいました。そのときの先生のお答えの冷徹さといったらありません。
「
「なら!」
そう言いかけた私を、先生は冷たい視線だけで制してしまいました。先生には何かお考えがあったのかもしれません。しかし目の前の老女を見殺しにするだけの考えなどこの世にあるのでしょうか。
しかしそのときの私には、それ以上先生に
結局、千代さんはそれから1日と
すべての
「内臓内容物がないね。匂いも異常に少ない」
消化にかかる時間は1日以上とも言われております。よもや千代さんが死に向けて1日以上なにも口にしなかったとは考えられません。小腸、大腸、そして胃を確かめた私たちは、喜一郎にその違和感を記録しておくように指示します。
「通常は行いませんが、気になることがあります。君はエッシェリッヒ医師の論文を読んだことがありますか」
「いえ、申し訳ありません、不勉強で」
「エッシェリッヒ医師によれば、人の腸内にもバシラス属の細菌が生息しているようです。私もそれを観測してみようと思います」
先生の指示に従って、腸内の粘膜をこそぎ落として採取しました。ここまで処置をしたところで、先生は先の診断を捨てることを明言しました。
「やはり
「喜一郎くん、先ほどの腸の試料を顕微鏡に。君は筋肉の細菌をたしかめてください」
先生はそう指示を飛ばすと、ほとんどただの
「たとえ
先生はそこまで言うと筋肉を切除しかけた手を止めました。
「いや、違います。筋肉の中に血液の凝固が見られません…」
「では先生…?」
私はそれでも先生の優れた能力を信じておりました。あの時代に世界各地の論文に通じた唯一の解剖学者だったのです。先生はメスを置くと口に当てていた布を取って、桶から水を掬って顔を洗いました。そして遠くを見ながら最後の診断を口にしました。
「私はこれに診断をつける能力を持ちません。これは新しい病です」
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