三 いとぐち

 先生と馬渕がいかように打ち解けたのかは存じあげませんが、このようについに私は馬渕とは打ち解けることができませんでした。気難しいのか粗暴なのか、とにかくどうやら私は水で馬渕は油でございました。始終くだらぬ言い争いのような問答を続けながら、少しずつ検分けんぶんは進んでまいりました。

 ようやくその骨を確かめた私たちは、ここにこそ手がかりがあるに違いないと石櫃せきひつの中をあらためることにいたしました。そこで私たちが初めに見つけたのは、翡翠ひすいの宝玉でございました。


「プロビデンスの目とは、これまた妙な紋を刻んだものだな」


 そう言うと馬渕はその宝玉を私に手渡しました。薄明かりに照らして右に左に傾けてみれば、正三角形に囲われた瞳のような紋が刻まれておりました。


「北条の鱗紋の類でしょうか」


 私は初めそう申しましたが、これはまったくかの紋とは異なる西洋の紋でありました。のちに学んだところによりますと、プロビデンスの目は古代エジプトに伝わる紋でございます。それもここで蛇の姿をした遺骸いがいとともにほうむられていたのもまったく道理と申すべきいわれをもっておりました。

 プロビデンスの目はもとはウアジェトなる蛇の守護女神の左のひとみとして伝わっております。その瞳は真実を見通す目とも言われており、なるほど古代に人を生贄いけにえに捧げて悪魔契約をなしていた種族が持つには御誂おあつらええ向きでございましょう。


 その宝玉をつぶさに見ておりますと、明かりの隅に気になるものを見つけてしまいました。それは打ち砕かれた石櫃せきひつに刻まれた文字らしき奇妙な線画でございます。それは少なからず教養をもつものならば、明らかに和語とも漢語ともつかぬ、まったく異なる言語に違いないと推測できる姿をしておりました。インドのサンスクリットかモンゴルのパスパか、はたまたアラビア文字か、いやしかし直感的なことを申せば、そのいずれとも異なる奇妙な線文字が石櫃せきひつの蓋全体に刻まれていたのであります。


「馬渕さん、これを」


 そう言って行燈あんどんを近づけると馬渕さんは気まずそうにぼそりと一言こぼされました。


「大発見を叩き割ってしまったやも知れぬ」


 あまりにも言う通りでございましたので、私はそれを責めずにおきました。もしもこれにある文字が漢語よりも前に書かれたものであるならば、これは実際日本史に名を刻む発見でございました。

 しかし今は私たちにとって優先するべきことは考古学の調査ではございません。今は他にそれらしきしなもないと見た私たちは、この成果を先生に届けるべく、早速この長い洞窟どうくつを今度は逆に進み始めたのでございました。


 私たちがようやく洞窟を抜け出し、馬渕の泊まっている神社で一息をつき、そうして先生のもとに帰り着いたときには、もう正午をいくらか過ぎてしまっておりました。

 先生は土にまみれた私たちを迎えるなり、早速小さな器に酒を盛り、私たちに飲むようにお勧めになりました。いよいよ酒を飲んで忘れる他の術を失ったのかと誤解いたしましたが、先生はすぐに説明を始めました。


「牛の胆汁より発見された化学物質にタウリンなる有機化合物がございます。これは滋養強壮じようきょうそうの働きを持つと言われておりますれば、なるほど病に打ち勝つ力もあろうというものです」


 先生曰く、先生が次々に回収した試料のうち一つの酒にタウリンらしき物質が含まれていたというのでございます。その酒は神社が祭祀さいし用に伝えてきた酒であり、その製法は教えてもらえなかったとのことでございました。どうやら喜一郎は私たちが夜分『神の足跡』を訪れていた折に、密かにこの酒を口にしたそうであります。


「しかし先生。それだけで病が治るとは到底考えられませぬ。というのも私たちはかの祠にて、たしかに蛇人間の亡骸なきがらを見たのでございます。ならばやはりこの病は神の引き起こすものと考えるべきかと存じあげまする」


 私の問いを聞き、先生は不敵にも左様さようと申して口元に笑みを浮かばれました。


「私はこれとまったく同じと思われる物質を他所にも発見いたしました。すなわち…」


 先生は視線を解剖台に向けます。そこにはもう白蛇の亡骸は残されておりませんでしたが、ただひとつ小さく黒い臓器が切り分けられておりました。私は近づいてそれをよく観察し、それがおそらくは白蛇の胆嚢たんのうであろうと考えました。


「なるほど、神社に伝わる酒は蛇酒だったというわけでございますか」


左様さよう。しからば蛇神を体内に取り入れるために蛇酒を飲んだために喜一郎は助かったとも、あるいは蛇酒に含まれるタウリンやチロシンなどの滋養じよう物質が病を退けたとも言い得ましょう」


 先生が穏やかな笑みを浮かべられました。これにて我々はついに病に打ち勝つ術を知ったのであります。すなわち蛇酒を広く村民に配り、病の時期にそれを一口含ませることで、喜一郎のごとく紅播牙クウルパングアを退けることが叶うはずであります。

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