皇帝-06

 トライアンフ商会の誇る高速船は、僕の頼みで外部の風使いを雇うことはせず、いつもよりはゆっくりと王国へ向かっていた。

それでもあと3日ほどで王国に到着するだろう。


「アレフ、もう傷は良いのか?」

「ん、ああ、大丈夫だよ。テフィン」

 モリクニの言葉遣いはどうしようもなかったけど、身分を隠しての旅の間、僕らは普段通りの言葉遣いで接することになっていた。名前もモリクニの共通語読みのテフィンと言うことになっている。


「それで、そろそろ絵を描かせて欲しいんだ」

「うむ、余は構わぬが、船の中で描くのか?」

「うん、もう待ちきれなくて」

 僕は船室へと向かう扉を開ける。


 もう頭の中で構図は決まっていた、後はモリクニを前にして、僕の腕がどう筆を奔らせるか、それだけだった。



「モリ……テフィンはいつも余裕のある表情をしてるよね」

 絵を描きながら何気なくモリクニに話しかける。


「うん? ああ、これはな、演技じゃ」

 表情を変えずにモリクニは事も無げに言う。


「演技?」


「そうじゃ、余が不機嫌そうな顔をしただけで、首の飛ぶものがおる。食事を残しただけで路頭に迷うものがおる。余は常に平静でおらねばならぬ。そう言うものじゃ」


「……そっか……」


 掛ける言葉が見つからず、僕は色を塗り続ける。違う。今の言葉を言ったモリクニはこんな色じゃない。僕は新しい色を混ぜ始める。


「……しかしな、アレフ。それにフランチェスカも。余はそなたらと一緒におるとそんな演技をせぬでも良い。歳は離れておるが、初めての……友だと思っておるよ」

 僕は次々に色を混ぜ、新しい色を重ねてゆく。でも、ダメだ。モリクニを表す色を僕は作り出せない。

 しばらくの間、沈黙とともに僕は色を作り続けた。


「……のう、アレフ。頼みが……頼みがあるのじゃ」

 無心に筆を動かしていた僕だったけど、その言葉に体が止まった。

 頼み?

 命令すれば何でも手に入るはずの皇太子が、魔法の力ももたない商人の息子に、頼みだって?


「余が10歳になるまで、……余の留学が終わるまで、3年。……3年間、余の側近としてそばにおってはくれぬか……? 余を……友として、支えてはくれぬか?」

 あの余裕と自信に満ち溢れたモリクニの表情が、ふと心細げな7歳の少年の顔になる。


 僕は慌ててフランチェスカを見た。

 彼女は目が合うと困ったような笑顔になる。


「アレフはもう決めてるんでしょ」


 その笑顔は、そう語っていた。


 大きくため息をつくと、僕はパレットナイフを取り出し、カードを真っ白に塗りつぶす。


「いいよ、モリクニ。僕の3年間を君にあげよう」

「わっ、私も!」

 フランチェスカも手を上げて声を合わせる。

 カードから顔を上げた僕と、手をまっすぐに上げたままふわふわの髪を揺らしたフランチェスカに向かって、モリクニは初めて子供のような笑顔を向けてくれたのだった。


 旅は一度ここで終わる。


 4番のカードのタイトルはもう決まっていた。


「皇帝」


 そのタイトルのカードは、まだ僕には描けない。


 でも、3年の間に必ず書き上げられるようになる。

 僕はフランチェスカに初めて逢った日のことを思い出した。


 ――まぁどうせ何の目的もない旅だし、可愛い女の子と二人旅出来るのは願ったり叶ったりだ。


 今は旅をする目的もある、でも皇帝の絵を描きたい僕が、皇太子が皇帝になるための勉強を間近で見られるなんて願ったり叶ったりだ。


 どうせ僕らの旅は始まったばかり、どこでどう過ごそうが、それはやっぱり楽しい旅の一部なのだから。




 ――第1部・完




―――――――――――

4.皇帝(The Emperor)

―――――――――――

■正位置の意味

 支配、安定、成就・達成、男性的、権威、行動力、意思、責任感の強さ

■逆位置の意味

 未熟、横暴、傲岸不遜、傲慢、勝手、独断的、意志薄弱、無責任

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トライアンフの魔法 寝る犬 @neru-inu

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