女帝-04

「くしゅ」

 フランチェスカが可愛いくしゃみをする。僕は自分のコートで彼女を包み、抱きしめた。

 薄暗いランタンが灯るだけの暖房も窓もない小さな部屋に、僕らは既に1~2時間ほど閉じ込められていた。

 調度品は古いソファー1つだけ。壁も床も素焼きのレンガで、壁には鍵のかかる重い扉が両側に付いている。それだけの部屋だ。


「……ごめんなさい。私が軽率だったわ」

 フランチェスカが何度目かの謝罪を繰り返す。


「何度も言わないで。フランチェスカが悪い訳じゃないよ。元はと言えば僕が『女帝を知りませんか?』なんて市場で聞きまくったのが原因なんだし。まさかこんな事になるなんて思っても見なかったしね」

 室内なのに白い息を吐き出しながら、僕らは話をした。出られる術がない事はもう確認してしまった。今はとにかく話をしていないと恐怖でおかしくなってしまいそうだった。

 ただ、2人を引き離さずに置いてくれたことは助かった。2人で居ると温かい。心も体も、一人だったら凍えてしまっただろう。出逢ってからまだ2ヶ月も経っていないのに、僕の心の支えはもうフランチェスカだけだった。


 突然入ってきた方とは逆の扉が開き、さっきとは違うけど同じグレーの服を着た男が部屋に入ってきた。


「お前ら何やってんだ……離れろ」

 男は抱きあう僕らを見るなり頭を抱え、ため息混じりに注意する。何やってるんだって、暖めあってるだけだけど。

 でもとりあえず、コートをフランチェスカに羽織らせて僕は立ち上がった。


「いきなり刃物を突きつけられて、こんな窓もない寒い部屋へ閉じ込められれば、誰だって不安になるでしょう。僕は彼女を暖め、少しでも不安がなくなるように抱きしめていただけです」

 グレーの服の男は怪訝そうな顔で僕を見つめ、ドアノブを確かめ、最後に部屋の中をぐるっと見回すと、得心したように左掌に右の拳をポンッと乗せた。すぐに今入ってきたばかりのドアを開け、向こう側の部屋に向かって叫ぶ。


「おい! アレクセイ! お前またやったな!」

 はははっと笑い声が聴こえ、グレーの服の男は舌打ちして向き直った。


「スマンな、アレクセイは女連れを見るとすぐ悪戯をする。ただ、刃物ではないぞ? あいつが使うのはつららだ」

「つらら?」

「そうだ、知らんのか? 軒先から長く伸びる氷の棒が有るだろう? あれだ」

 いや、そう言う意味で聞き返したんじゃない。中央で育った僕だってつらら位は知ってる。


「それから部屋の温度だが、そんなに凍えるほど寒いとは思わんが、中央の人間は軟弱……いや、慣れていないのなら仕方がないな。とにかく、お前らを凍えさせる気はない。そもそも凍えさせる気なら衣服を取り上げるだろう?」

 これで? 寒くないだって?


 確かにこの男も僕のようにもこもこと着膨れしていない。でも息が白くなるようなこの部屋に1時間以上も閉じ込めておいて、凍えさせるつもりは無かったなんて信用出来るもんか。


「……あと、閉じ込めたって所だがな……」

 男はもう一度ドアを開け閉めする。


「隙間風が入らないように、ドアは閉めたら隙間を塞ぐ板が溝にハマるようになってるんだ。ここを持ち上げれば外れる。古い建物だからドアは重いし建付けは悪いが、断じて鍵なんかかかっていないぞ?」

 男は腕を組んで肩幅に足を開き、こちらをじっと見ている。


 つまり、どう言う事だ?

 僕達が誘拐され、監禁され、殺されかけたのは、全て悪戯と習慣と感覚の違いから生まれた誤解だとでも言うのだろうか?


「あの、じゃあ誤解だったと言うことで良いのかしら?」

 フランチェスカが立ち上がりながらおずおずと聞く。男は黙って頷いた。

 僕はまだ半信半疑だったけど、フランチェスカがホッとした表情で僕の腕に寄りかかってきたので、笑顔を返しておいた。


「誤解も解けた所で、そろそろお待ちかねの『女帝』に会う時間だ。忙しい中時間を割いて頂くんだ、くれぐれも粗相のないようにな」


 そこだ。


「あの、今までの事は誤解で、あなた方が僕達に害意を持っていないと言うのはとりあえず理解しました」

 納得はしてないけど。


「それで、僕達が今から会わせて頂けると言うその方は、いったいどんな立場のどのような方なんですか? そして、えっと……」

 男の人を手のひらで指し示しながら、僕は言葉に詰まる。


「……ニコライだ」

「えっと、ニコライさん。それと冗談のキツいアレクセイさんも。あなた方は一体何者ですか?」

 隣の部屋で話を聞いていたのだろう、同じグレーの服を着た男たちが、更に2人ドアから顔を出す。僕とフランチェスカをここまで連れてきた男たちだ。


「ほんとに何も知らねぇのか?」

 アレクセイさんの問いかけに、僕とフランチェスカは同時に頷く。

 ニコライさんはまた頭を抱えてため息を付いた。


「お前ら……じゃあ何だって『女帝を知りませんか?』『女帝に会うにはどうしたら良いですか?』なんて市場を聞いて回ったんだ?」

 一瞬躊躇したが、フランチェスカが僕の袖を引っ張り、目が合うと頷いたので、とにかく正直に……僕が魔法を全く使えない事を除いて……今までの経緯を話すことにした。


「……つまり、そっちのお嬢ちゃんの研究にお前が協力して、予見に従って新しい魔法を発生させるための旅をしてるのか?」

 僕が魔法を使えないことを隠していたら、いつの間にかフランチェスカの旅に僕が協力していると言う、現実とは逆の話になってしまったけど、まぁ大きな問題じゃない。僕らは大きく頷いた。


「そこに出てきたのが『女帝』に会うって予見か。……まぁ辻褄は合うわな。……お、いかん。ミーシャ、事の顛末を説明して、もう会って頂く必要はないとお伝えして来い。もうそろそろ予定時間だ。お待たせするな」

 フランチェスカの後ろについてここまで連れてきた方の男は、急いで部屋を出て行った。

 怖がるフランチェスカの腕を後ろから掴んでいたあの光景が思い出されて、あの人だけはちょっと許せそうにない。


 ニコライさんが頭を抱えて、本日3度目の特大のため息をつく。


「お前トライアンフ商会の後継ぎだろう? ギルドを通さないでトライアンフの息子が女帝を名指しで探してるなんて、絶対に大きなヤマだと踏んでたんだがなぁ」

 なるほどそう来たか。

 その一言で大体の状況はつかめた。女帝の正体も。


「そこまで調べが付いているなら分かるでしょうけど、僕はトライアンフ商会を継いでいません。 今はただの旅の絵描きですよ?」

「そうは言っても俺の鼻が金の匂いを嗅ぎつけてしまったんだ、仕方ないだろう」

「だから言ったじゃねぇか、あんな大店おおだなを継ぐようなタマじゃねぇって。俺はすぐ分かったね。娘っ子と遊び歩いてるただの放蕩息子だって」

 困った顔のニコライさんに、アレクセイさんがドヤ顔で僕の悪口を捲し立てる。


 あぁ、全くその通りでございます。言い返す言葉もございません。


「まったくよぉ、無駄な時間だったぜ実際。俺ぁ……ああぁあぁぁ!?」

 さらに何か言おうとしたアレクセイさんが、突然素っ頓狂な声を上げてその場に転がる。


「お、おい! どうした!?」

「アレフは! 放蕩息子なんかじゃありません!」

 驚く僕とニコライさんを余所目に、フランチェスカが倒れているアレクセイさんの横までツカツカと歩み寄る。

 その手はぼんやりと光を放ち、アレクセイさんの方へ向けられていた。


「訂正してください! アレフはすごいんです! 買い物だって上手だし、商売の才能もあります! 絵だって神様みたいに上手だし、優しいし、……放蕩息子なんかじゃないんです!」

 涙を浮かべるフランチェスカの足元で、フランチェスカのローブの裾に縋り付き、アレクセイさんは立ち上がることも出来なかった。


「……わ……わかった……謝る……助け……」

「フランチェスカやめて! もういいよ!」

「おいやめろ! 殺す気か!?」

 僕が抱きかかえるようにフランチェスカを止めると、アレクセイさんはゼェゼェと荒い息を吐き、壁にもたれて座った。


「ふふ、私の使える魔法の中で一番攻撃的な魔法よ! ……足のしびれる魔法!」


 ……なんて恐ろしい魔法だ……。


 静まり返った部屋の中に、アレクセイさんの荒い息の音だけが響く。


「ぶっ」


 ニコライさんが吹き出したのをきっかけに、僕もフランチェスカも笑いに巻き込まれ、アレクセイさんですら足を押さえて苦笑いをしていた。


「ニコライさん、女将さんがその小僧にお会いになるそうです」

 戻って来たミーシャさんが、ニコライさんに告げる。


「は? 何でだ? トライアンフ商会と関係がなかったら、もう用無しだろう?」

「金の臭いがするそうです」


 ……そんなに金にまみれてるのかな、僕。


 とりあえず、僕達の求める女帝かどうかは分からないけど、女帝が会ってくれると言うならそれは大歓迎だ。


「会って頂けるなら、こちらに異存はありません」

 問いかけるようにこちらを見るニコライさんにそう答え、僕らは女帝の執務室へと向かった。

 フランチェスカは僕の隣に寄り添い、黙って手をつないで歩く。アレクセイさんの苦々しげな眼差しには、あえて気づかないふりをしておいた。

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