皇帝-03
思ったより物価が安く、僕らは最高の宿をとることが出来た。そこは各国の要人も利用する素晴らしい宿だった。
あまりの絢爛豪華さにフランチェスカは自室に入っても緊張していたようだったけど、各部屋に
部屋まで荷物を運んでくれた宿の人は「混浴ですのでお楽しみください」と言ってくれたけど、フランチェスカにジロリと睨まれ、僕が混浴を楽しむことは結局最後まで無かったのが悔やまれる。
とりあえず僕らはいつもの通り、街の酒場で食事兼情報収集を行うことにして外に出た。
たまたま目に止まった店は道路に面した場所にオープンカフェのような席があった。街路樹のピンク色の花吹雪を眺めながら、僕はジラード名産の海産物がふんだんに使われた食事を片っ端から胃に流しこむ。追加注文の度に来るにこやかな店員や、僕のあまりの食欲に面白がって話しかけてくる人懐っこい周囲の人に皇帝を見るにはどうしたらいいかを聞いて回った。
そして、この国で皇帝に会うのは、ほぼ不可能であることが分かった。
そもそも、この国の皇帝は「天帝」と呼ばれ、神の子孫であり、人間界の皇帝よりも高い位にあるとされている。
そのため、諸国の国王、皇帝レベルの人間でないと会うことなど叶わない。
一般人にはその「ご尊顔を拝謁する」と言う事すら……つまり顔を見る事すら出来ないそうだ。この国の住民は天帝の姿を見たことすら無い人が殆どで、驚いたことに、それでも天帝を敬愛している。
年に一度、新年を祝うイベントで、一般大衆に向けての挨拶を宮殿のバルコニーから行うが、それですら「そこに天帝が居らっしゃる」と言うのが辛うじて判別できる位の距離が隔てられているそうだ。
そんな距離では絵を書くことも出来ない。そもそも新年を祝うイベントなんて、あと8ヶ月も先の話だった。
「うーん、皇帝じゃなくて天帝だって言うし、会えそうもないし、ゲルム帝国の方だったかなー」
僕は小さく丸められたご飯の上に生魚の切り身が載った食べ物を口に放り込む。 生の魚なんて食べたことが無かったけど、これはちょっと癖になる美味しさだ。
「ごめんね。私の予見ではそこまで分からないの。……ところでアレフ、手づかみは行儀が悪いわ。それと、生の魚なんて食べたらお腹こわすわよ」
「……無知よの。新鮮な魚は生で食するが最上ぞ」
僕らの会話に突然割り込んできたのは、7~8歳くらいの男の子だった。
容姿に似合わないその尊大なしゃべり方と突然の登場に、僕らは唖然として動きが止まってしまう。
「なんじゃ? 無知を正してやったのじゃ、礼くらい言わぬか」
「……ありがとう」
僕とフランチェスカが同時にお礼を言うと、男の子は満足気にドヤ顔で胸を張る。
何だこの子? フランチェスカに「だれ?」と言う視線を送ると、彼女は「知らない」と言う視線を返してきた。
「おお、そうじゃ。
「そこもと?」
フランチェスカが目をクエスチョンマークにして僕に助けを求める。
其許なんて久しぶりに聞いた。この子よっぽど偉そうにしてる家で育てられたんだな。
「大陸へ向かう船なら知ってるけど、子供一人では乗れないよ。キミ、お父さんかお母さんは?」
男の子はグッと言葉に詰まる。
何かを言おうと口を開きかけた瞬間、港の方から「ズズン」と言う大きく後を引く振動音が響く。
僕は慌てて立ち上がり、建物の影から港の方を覗き込むと、そこにはもうもうと立ち上る黒煙が夏の入道雲のように立ち上っていた。
「あれは大陸へ向かう船か?」
「あれがその船かどうかは分からないけど、港であることは確かだよ。フランチェスカ、一度部屋へ戻ろう。……キミもお父さんたちの所へ戻った方がいい」
連続して爆発音が港に響く。僕はフランチェスカの手を引いた。
「まってアレフ。……ねぇ坊や、もしお父さんやお母さんとはぐれてしまっているなら、この騒ぎが収まるまでの間だけでもお姉ちゃん達と一緒に避難しない? その後なら船でもお父さんたちでも、一緒に探してあげるわ」
「坊やではない。モリクニじゃ。よかろう、避難しよう」
「私はフランチェスカ、こっちのお兄ちゃんはアレフ。よろしくね、モリクニくん」
部屋に入り、いざという時のために荷物をまとめなおしている最中にも、外からは何度か爆発音が響いてきた。
「ねぇ、港から離れた場所へ宿を取り直したほうがいいんじゃないかしら……?」
フランチェスカが心配そうに聞いてくる。
「うん。でも、爆発が続いている今動くのは危険だ。宿は丈夫な作りになっているし、ここからならトライアンフ商会の事務所も近い。この周辺まで爆発が近づいてこない限り、収まるのを待ったほうがいいと思う」
確信があるわけじゃなかったけど、パニックになった馬車や人々でごった返した道路は、破片や火の粉が飛んでくる可能性もあるし、今は危ない。
それによその子を匿っている今、この場所から遠く離れるわけにも行かなかった。
その当のモリクニは、しばらく窓のそばで外の様子を伺っていたけど、今は椅子に腰掛けて姿勢を正している。
その顔は、こんな時だというのに落ち着いていた。
ふと、ドアにノックの音がした。
フランチェスカが「はい?」と答え、ドアに近づく。
「トライアンフ様、おくつろぎの所申し訳ありません。ここは少々危険になってまいりましたので、山の手の離れの方にお部屋を用意しました。もし宜しければご案内させていただきます」
ドア越しに宿の人がそう言った。願ってもないことだ。
フランチェスカと僕は頷き合う。
「はい、お願いします。今開けますね」
彼女が鍵を開けた瞬間、ドアは内側へ勢い良く開け放たれ、フランチェスカは吹き飛ばされる。
「きゃあ!」
「フランチェスカ!」
慌てて駆け寄り彼女を助け起こした僕の横をすり抜けて、黒衣の男が2人、モリクニの元へ駆け寄る。
僕とフランチェスカの前にも黒衣の男が細長い剣を手に立ちふさがった。
「其許ら、ヤスクニの手のものか?」
相変わらず落ち着き払ったモリクニが、椅子に座ったまま睨みつける。無言のままの黒衣の男たちの後ろから、黒地に銀糸の刺繍がされたジラードの民族衣装を纏った男が現れた。
「皇太子殿下、こんな所にいらっしゃったとは。殿下のおつきの者共は私が罰しておきました。さぁ帰りましょう」
「罰しただと? ……サイゾウ、貴様……殺したのか」
「殿下の身の回りのお世話をすると言う高尚な仕事を承りながら、殿下をお一人にさせたのです。万死に値しましょう」
なんだこの状況?
僕はフランチェスカを抱きしめ、モリクニを見つめることしか出来なかった。
サイゾウと呼ばれた男はニヤニヤと笑いを浮かべながら、懐に隠していた紙をテーブルに広げる。
「ヤスクニ様は慈悲深いお方です。皇位継承権を辞退すると一筆書いて頂けるのなら、悪いようにはしないと、そうおっしゃっています。モリクニ様はまだお若い。この国のためにも身をお引きになるべきと考えますが?」
「陛下はまだご存命であるぞ」
睨みつけるモリクニに、サイゾウは赤く裂けたような口を開いて蔑んだ笑いを向けると、くるりと後ろを向いた。
「天が望めば、その時、天帝は代替わりするものですよ」
そのまま僕らの前まで歩みを進めると、立ったまま見下ろす。
笑っては居るのだけれど、その目に僕は体の震えを止められなかった。
「そう言えば、我らが敬愛する殿下を拉致した不埒な爆破事件の犯人にも罰を与えなければなりませんでしたな」
拉致……? 爆破事件の犯人? 僕らが?
サイゾウが僕らに手を向けると、空中に輝く数本の矢が浮かび上がった。
……魔法だ。
「まて、やめろ。その者共は関係ない」
「お静かに。私の魔法はご存知でしょう。一度放たれれば的を外すことはありません。……私とて殿下に手をかけた犯罪者として歴史に名は刻みたくないのですよ。関係のないものへ罰を下すのも気がすすみません。殿下が一筆書いてくださるだけで、全ては平和に終わるのです」
モリクニは唇を噛み締め、懐から見事な彫刻がされたペンを取り出す。
震える手でテーブルの紙を抑えると、彼はゆっくりとペンを近づけた。
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