魔術師-02

 市場から聞こえる街の喧騒と窓から差し込む朝の光が気持ちいい。何よりちょっと頬をふくらませているものの、ポーチドエッグと温野菜のサラダを無心に口へ運ぶ可愛らしい女の子と一緒の朝食は、心をウキウキさせてくれていた。


「さて、当面の目標はどうするの?」

 白身はカリッカリ、黄身はトロットロのサニーサイドアップとハムを5~6枚、同時に口に放り込みながら、僕はフランチェスカに話題を振ってみた。ふくれっ面も可愛いけど、やっぱり女の子は笑顔の方がいいと僕は思う。


「えっと、そうね……。私たちは『魔術師』に逢わなければならないわ。私の予見では、旅の道標を指し示し、魔法の才能を発現するヒントをくれるスゴい魔術師に出逢うはずよ」

「魔術師ねぇ……」

 正直な所を言うと、魔術師と言う職業の人達には子供の頃から何十人と会ってきたけど、あまり好きになれない。

 僕の中で魔術師といえば、大体が尊大で、もったいぶった儀式に貴重な材料を湯水のごとく使った挙句「息子さんには魔法の力はありませんな」とか「数十年の後、巨大な魔力を手に入れ、歴史に名を残す魔術師になるでしょう」とか適当な事を父さんに言って落胆させ、法外な代金まで持っていく詐欺師のような人たちと言うイメージだ。


「有名な魔術師には今までにだいたい会ってきたけど、絵を描きたいと思うような印象に残る魔術師には会ったことはないなぁ」

 宿のおばさんにおかわりを注文しながら、僕はフランチェスカの顔をチラリと確認する。彼女はブロッコリーをパクっと口に入れると、右手に持ったフォークをくわえたまま何かを一生懸命考えていた。

 僕の視線に気づくと、ちょっと顔を赤くしてフォークを皿に置く。モグモグと口を動かしてブロッコリーを飲み込むと、僕のおかわりがテーブルに並べられるのを待って話を続けた。


「有名な魔術師では無いと思うの。古めかしいローブを着た小柄な魔術師に見えたわ。それでも強い力を持っていて、私たちのために力を尽くそうとしていると感じられたの。……一人だけ心あたりがあるんだけど……」

 にんじんをフォークでつつきながら目を伏せると、なにか言いにくそうに口ごもる。


「なに? 遠くにいるとか? 時間はたっぷりあるし、気にしないよ。会うのにお金がかかる? それなら心配いらないし、会うのに紹介状が必要なレベルなら、国立魔術院の院長だろうが誰だろうがすぐにもらえるけど?」

 フランチェスカは小さく首を横に振る。


「その魔術師は半年前に〈白竜の絶壁〉を越える旅に出たまま戻って来ていないの」


「……〈白竜の絶壁〉ってあの〈白竜の絶壁〉? 白竜山の山頂付近に有る氷の壁で、1年中吹雪が荒れ狂ってて、頂上の白竜に出会えたら〈賢者の石〉を貰えるって言う、あれ?」


 フランチェスカはコクンとうなづく。


 それは「むかしむかし」で始まるような子供のお伽話レベルの伝説だ。

 魔術師ともあろう者が、そんな話を真に受けて白竜山へ登るなんて、たぶんドン・キホーテのような笑い話にしかならない。

 お伽話とは言っても実際に氷壁も吹雪もある訳で、いくら強力な魔術師と言っても今まであそこを越えたっていう話は聞かないような難所だし、きっとその魔術師も落ちて死んだか、逃げ帰って来た後恥ずかしくて隠れてるかどっちかだと僕は思った。

 フランチェスカは目を伏せたまま、まだにんじんをつつき回している。


「その魔術師ってさ……生きてるの?」

「生きてるわ!」

 急にテーブルに両手を突き、勢い良く立ち上がったフランチェスカと僕の間で、サラダの載った皿がガシャンと跳ね上がる。

 驚いてハムを持ったまま固まる僕を見もせず、彼女はもう一度「生きてるわ」とつぶやくと、テーブルの上に突いた手の甲に大粒の涙をぽろぽろとこぼした。

 ざわざわと楽しげな雰囲気だった食堂の声がピタリと止み、周りの視線が集まる中で、フランチェスカの目からは次々と大粒の涙が溢れだしていた。


 静かに肩を震わせて涙をこぼすフランチェスカを何とか部屋に連れ帰り、食堂で作ってもらったミルクのたっぷり入ったココアを手渡すと、彼女は俯いたまま、それでも「取り乱してごめんなさい」と謝った。


「うん、ちょっとびっくりしたけどそれはいいよ。それより……大丈夫?」

 なんと言っていいのか分からずに「大丈夫?」なんて気の利かない聞き方になってしまった。

 フランチェスカはココアにちょっとだけ口をつけると、「あつっ」と小声でつぶやき、うなづいた。


「……その魔術師は、私の師匠なの」

 聞こうか聞くまいか迷っていた僕に、彼女はゆっくりと話し始めた。


「運命を研究している魔術師で、王立魔術院への招聘もあったほどの人よ。でもその話は断ったの『それは私の運命ではない』って」

 王立魔術院への招聘を断るなんて前代未聞だ。下手したら魔術師界からの抹殺だってありうる。

 ……あ、だから力があっても有名じゃない魔術師なのか?


「そうして表舞台からは退いたのだけれど、一人だけ、弟子をとってくれた。それが私よ」

 フランチェスカは少し得意気に、涙に腫れた目を僕に向けて微笑んだ。


「私には世界の根幹を変える程の運命が待ち受けている。それは、弟子入りする前に私が予見した……アレフ、あなたと一緒に成し遂げる運命だと仰ったわ。そして、師匠はそれを助けてくれる運命だとも。……弟子入りして3年の間、毎日厳しいけれども愛情を感じる素晴らしい授業を受けたわ。でも、その年の春、師匠は私に突然こう告げたの」


”お前の予見の力は強いものだが、世界を変えてしまうほどの運命を背負うお前にはまだ足りない。お前自身が予見した1年後の運命の日まで励むのだ。それでも足りない分は私が力になろう。運命を信じるのだ。”


「次の日の朝、私が目を覚ましたら、師匠は『白竜山へ行かねばならない』と言う書き置きを残して旅立ってしまった後だったわ」

 フランチェスカは話し終えると、ココアに「ふー」と息を吹きかけ、一口飲んだ。

 まだ赤い目を僕に向けて、僕の反応を待っている。でも僕は、いきなり「世界の根幹を変える程の運命」だの4年以上も前から「僕と一緒に成し遂げる運命へ向けての修行」をしていただの言われて混乱しまくっていた。


「フランチェスカ……。僕は世界の根幹を変えるつもりも無いし、キミの努力に報いられるようなスゴい男でも無いんだ。3歳の子供でも使える魔法の力さえ持たない、ただ絵を書くのが好きなだけの、親の財産を食いつぶす無能な子供なんだ」

 とりあえずそれだけ言った。


 僕はネガティブな方では無いと思っていたけど、ただ心に浮かんできた自己紹介文を読み上げたら、なかなかに自虐的な言葉が並んでいた。

 そしてその言葉はやっぱり真実で、真実だったからこそ僕は傷ついた。


「フランチェスカはすごい。予見みたいなスゴい魔法も使えるし、僕より年下なのに自立してるし、未来を自分で決めながら生きてる。僕みたいな無能な男がキミの運命を一緒に決めていく相手の訳がないよ。多分僕じゃない誰かが、キミに合うためにこの街に来ているはずだ。すぐに探しに行った方がいい。僕は……」

「アレフは、私を信じてないの?」

「え?」


 ココアをテーブルに置き、フランチェスカが立ち上がる。ゆっくりと僕に近づいた彼女は、僕の手を両手で握った。


「アレフは私の予見をスゴいって言ってくれたわ。それはウソ? やっぱり他の人と同じで17歳の小娘が使う程度の予見は信用出来ない?」


 僕はバカだ。


 真剣な眼差しで僕を見つめるフランチェスカの赤く腫れた瞳を見ながら自分自身を罵倒した。

 彼女がどんなにスゴい予見者だとしても、僕より小さい女の子が一人で生きて行くのに不安や問題が無い訳がない。

 魔法さえ使えれば全てうまく行くと、子供のように思い込んでいた僕は世界一の世間知らずで大バカものだった。


「ごめん……僕は……フランチェスカを……信じてるよ」

 フランチェスカはホッとしたように微笑むと、手を握ったまま僕の胸に頭をあずけた。

 あご先にあたるはちみつ色の髪がくすぐったい。

 僕は自分の心臓がニューイヤーパーティーの花火のように大きな音を立てるのを何とか抑えようと頑張ったけど、魔法の力のない僕には無理な話だった。


「アレフ。私も本当は自信がなかったの。でも、昨日あなたに逢って確信したわ。私の予見の力は正しいって」

 スッと顔を上げたフランチェスカの顔は真っ赤だった。でもたぶん僕の顔のほうが真っ赤だっただろう。

 だって僕の心臓はさっきよりも勢いを増して、熱い血液をどんどん送り出してきていたのだから。


「そしてあなたの絵を見て思ったの。あなたの絵は……魔法だって。アレフ、あなたは本当に凄い才能を持っているわ」

「フランチェスカ……」

 僕はフランチェスカが握っていない方の腕を彼女の細い背中に回す。


「アレフ……」

 フランチェスカは僕の顔を下から見上げながら目を閉じた。

 僕も目を閉じ、唇をゆっくり近づける。


 時間が止まったかと思ったその時、少しだけ開けていた窓から、灰色のふくろうが飛び込んできた。

 けたたましい羽音をバサバサッと響かせて、部屋中を飛び回る。


「わっ」

「きゃっ」


 慌ててしゃがみ込むフランチェスカの前に、勇敢な僕は立ちはだかった。「フランチェスカ! 隠れて!」僕はこの時、お伽話のナイトそのものになりきっていて、彼女を守るためならなんでもやれるような気持ちになっていたんだ。

 そんな僕の上を威嚇するように何往復かしたふくろうは、ゆっくりとベッドの端に止まると、こちらに向かって口を……いや、くちばしを開いた。

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