女教皇-04

 次の日の朝、ゴウゴウと言う音で目を覚ますと、窓の向こうでは昨日にも増して風と雪が荒れ狂っていた。

 横を見ると、フランチェスカはもう起きているらしく、ベッドは空っぽだ。外が暗いから分からないけど、もしかすると相当寝過ごしてしまったかもしれない。僕は荷物からタオルと歯ブラシを取り出すと、慌てて昨日食事をした部屋へと向かった。

 部屋に入ろうとすると、中から人の話し声が聞こえる。どうやらイオナとフランチェスカのようだ。


「それでね、アレフを怒らせてしまったの。目を合わせてくれないし、もう泣きたい……」

 元気良く挨拶して中に入ろうとした僕は、会話に自分の名前が出てきたことで出鼻をくじかれた。


「アレフさんはきっと本気では怒って居ないと思います。たぶん、笑い合うタイミングが難しいんでしょうね。心配することは無いと思います」

「そうかなぁ……そもそもアレフだって船旅に賛成したし、私だけが悪い訳じゃないのに、ずっと怒ってるんだもん。ずるいわ」


 何を言ってるんだ。船の予約を勝手にとったのも、途中で止まる乗合馬車の説明を中途半端に聞き流したのも、全部フランチェスカじゃないか。


「でもフランチェスカさんも自分に悪い所があったと思っているのですよね? そうなのだとしたら、謝ってしまえばいいと思いますよ」

「え……うん……でもアレフだって……それに、ちゃんと聞いてくれるかどうかも……」

 僕はそんなに心は狭くない。


「お互いがお互いを大切に思っていて、その相手と一緒に居られるのに、ちょっとした意地の張り合いでその時間が過ぎていってしまうとしたら、それはとてももったいないことですね」

 しばらく静かな時間が流れる。聞こえてくるのは窓の外の吹雪の音だけだった。


 廊下の寒さに凍えはじめた僕が、そろそろ部屋に入ろうかと思ったその時、急にガタンと言う音が聞こえると「私、謝ってくる」と言うフランチェスカの声と足早にこちらへ近づいてくる足音が続いた。

 慌てて寝室に戻ろうとした僕がタオルを落とし、拾っている間に、フランチェスカはドアを開けてしまっていた。


「きゃっ」

「あ……おはよう」

 部屋の中からふわっと流れ出る暖かい空気と、それに舞い上げられたフランチェスカの髪の香りが僕を包み込んで幸せな気持ちにしてくれた。

 タオルを拾い上げて立ち上がった僕の見ている前で、彼女は両手を胸の前で握りしめ、いつもの様に頬を真っ赤にして固まっている。


「なに?」

 自分でもちょっと意地が悪いかなと思ったけど、こう言う姿を見るとからかわずには居られない。僕は興味なさそうな顔を取り繕って、冷ややかに聞いた。

 僕の表情を見て体を引きかけたフランチェスカはなんとか踏みとどまる。すぅっと息を吸うと、目をつぶって意を決したように話し始めた。

「あ……あの……船っ……ちが……アレフ、馬車……あの……」

 ぐっ……これは予想以上の反応。なんて可愛いんだ。顔がニヤけてしまう。


「馬車の……あの……アレフ…………ごめんなさい!」

「ぷはっ」

 我ながらひどいとは思うけど、限界だった。僕はフランチェスカの謝罪の言葉と同時に吹き出してしまっていた。

 何が起きたのかわからないと言う表情で立ち尽くす彼女を尻目に、スイッチが入ってしまった僕は笑いを止めようと必死になる。


「ちょ……まって……ぷふっ。ごめん、ぷぷっ……まって」

 必死になればなるほど笑いは止まらない。フランチェスカは怒るべきかほっとすべきか迷った様子で、曖昧な笑顔を浮かべていた。


 パシンッ。


 突然僕の頬がはじける。

 いつの間にか僕とフランチェスカの間に割って入ったイオナが、僕の頬を平手で叩いたのだ。それも、かなり思いっきり。

 本気の怒りの表情を浮かべたイオナの迫力は相当なものだった。曖昧な笑顔のまま固まったフランチェスカと怒ったイオナの前に、僕は頬を押さえたまま跪くように膝を折る。


「なんなんですか! アレフさん! フランチェスカさんは勇気を持って謝罪したんですよ! そのふざけた態度は彼女への冒涜です!」

「……はい」

「このままでは、あなたとフランチェスカさんの関係は歪んでしまいます! 愛情は、信頼と誠実さの上に成り立つものです! 相手を思いやる心と歩み寄る勇気をお互いが持たなければ、それは一方的な奉仕になってしまうんですよ!」

「……はい」

 ものすごい勢いだ。こんなに本気で怒られたのって何年ぶりだろう。


「……あの、イオナちゃん。もう大丈夫だから……」

 見かねたフランチェスカが助け舟を出してくれる。


「フランチェスカさん! あなたもいけません! お互いに愛し合っているのは見ていても分かります! でも! 愛情を向けるものに序列が有ってはいけないのです! 愛しているからという言い訳を持って、無償の愛情を奉仕する側と享受する側に分かれてしまっては、それはもう愛ではなくなってしまうのですよ!」

「え? 愛って。うふふ、アレフと私はまだそんな関係じゃないんですよう」

 ダメだ、フランチェスカは両手で頬を抑えると、別な所に反応してクネクネしながらニヤけている。


「いいですか?! アレフさん! そもそも……」


 誰も止めることなど出来ない。

 イオナの説教はその後数時間続いた。

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