第2話 慶吾

 階段の踊り場に座り込み、両腕で顔を隠すようにしている内藤を見下ろしながら、翔平は困った顔で立ち尽くしていた。

 それから、ちらりと佐竹の消えた階段下を見やって、わずかに眉を顰めた。

「なんか言われたのかよ、あいつに」

「………!」

 そう言われて、内藤はちょっと慌てた。必死に首を横に振る。

「ち、……ちが」

「ふ〜〜ん……」

 翔平は、全然信じていないらしいことを顔全体で表現しながら言った。

「なんっかさあ。ちょ〜っと、がっかりだな〜?」

「……え?」

 目を上げると、翔平はツンツン頭をばりばり掻いて、少し唇をとんがらせていた。

「まあ、『とっつきにくい奴〜』とかは思ってたけどさ。イジメとかそーゆーのは、やる奴じゃねえと思ってたのによ〜〜……」

「え……! いやいや!」

 内藤は、もうびっくりして首をぶんぶん横に振った。

「だ、だから、違うってば……!」

 これは、とんでもない誤解をされてしまっている。いや、だからといって何故こんなことになったのかを説明しろと言われたら、また困ることにはなるのだが。

「ふ〜〜ん。あっそ。まあいっけど……」

 翔平は、やっぱり何も信じた風でなく、ぽんと階段を数段とばして飛び降りた。

「みんなには、腹いたでトイレに籠もってるって言っといてやっからよ。……てきとーに帰ってこいよな〜?」

「え? あ、ああ……うん……」

 いつもと変わらぬ表情で、ポケットに両手をつっこんだまま教室に戻っていく翔平を見送って、内藤はごしごし目元を擦ると、その場に立ち上がった。


 こうやって、凹んでいても仕方がない。

 とりあえず佐竹には、何度もわかってもらえるまで説明するしかないだろう。

 それも、自分の気持ちを気付かれないようにしながらだ。


(……ああ、それが、俺には物凄くハードル高いよ……。)


 どうしても洩れ出てしまう溜め息とともに、内藤は仕方なく、翔平のげんに従って、トイレの方へ歩いていった。



                ◇



 覚えのない番号から掛かってきたその電話に、科戸瀬慶吾はスリーコールですぐに出た。


『もしもし。初めてお電話させて頂きました。佐竹煌之と申しますが』

 低く落ち着いた声音は、とても高校生のものとは思えなかった。慶吾は少々面食らったが、それでも普通の声音で応対した。

「あ、……はい。科戸瀬慶吾です。この度は、妹が色々とご迷惑を――」

 言いかけるのを、相手はごくあっさりと遮った。

『いえ。どうぞ、もうその件はお忘れ下さい。こちらこそ、ご連絡先を頂いておきながら、長らくお電話もせず、まことに申し訳ありませんでした』

「ああ、いや、それは――」

『妹さんは勿論ですが、科戸瀬さんにも、自分に謝っていただく理由など、一切ございませんので』

「いえ、しかし――」

『本日、こちらへ来てくださるとのことだったようなのですが。それも、申し訳ないのですが、出来ましたら御容赦いただけないかと』

 言葉遣いだけ見ても、もはや到底、高校生と喋っているとは思えなかった。

「…………」

 慶吾は、思わず沈黙して、隣に立っている自分の妹を見た。

 妹の真綾は、すでに電話の相手が誰であるのかに気付いているらしく、いつになく緊張した面持ちだ。今日は制服ではなく、品のいい紺のワンピース姿である。

「え〜と、それが、ですね――」

 そして、慶吾はちょっと苦笑しながら、目の前の文化祭仕様に飾り付けられた派手な校門を見た。


「……はい、もう車も戻らせてしまいましたし。……はい、ええ。申し訳ない――」

 電話の相手は、慶吾の返事を聞くと、仕方なくといった風で電話を切った。

 慶吾は、電話の切れたスマホを胸ポケットに戻しながら、隣に立つ妹を見た。

「……真綾」

「はい」

 妹は、無意識なのだろうが、ぴっと背筋を伸ばしてこちらを見上げた。

「あまり気乗りがしなかったが。ここへ来て俄然、俺も会ってみたくなったよ」

「……はい?」

 真綾はちょっと首をかしげた。慶吾はふと、にやりと笑った。

「あの、佐竹煌之にな――」



                ◇



 トイレの鏡で自分の顔をしっかり確認して、内藤はぱしっと自分の両頬を平手で叩いた。

「よしっ!」

 早く自分のクラスの店に戻らなくては。

 急ぎ足でそちらに向かうと、廊下に立っている生徒たちや、来客である他校の生徒たちの様子が、少し変だった。なにか、さわさわと小声で話をしている。それは丁度、真綾が初めて校門の所に現れた時のような感じだった。


(……なんだ?)


 内藤は怪訝に思いながらも、かれらの間を通り抜けて自分のクラスに向かった。 そこへ近づくにつれ、その奇妙な雰囲気の原因が、どうやら自分のクラスにあるのだとわかって来る。

 内藤は、ひょいと扉からその中を覗いてみて、驚いた。


 佐竹と供に、非常に美しい男女が教室の中に立っていた。

 一人は、いつもと違って私服だけれども、科戸瀬真綾で間違いない。

 そして、その隣に立っているのは。


(うっわ……。かっけえ人……)


 そうなのだ。

 佐竹とはまたタイプが違うのだが、その青年も、非常に姿のいい人物だった。

 背の高さは、佐竹とあまり変わらない。佐竹よりはぐっと現代よりの、そう言って申し分のない「イケメン」だが、やはり剣道をする人だからなのか、硬派な雰囲気は十分にあった。

 きりっとした眉と二重瞼に、長い睫。

 佐竹よりは少し長めだが、少し茶系の短髪だ。

 彼は、見るからに私立高校のものらしい、ボタンのないシンプルな紺の詰襟の制服を着ている。佐竹に負けず劣らず姿勢もいい。これで白手袋をして帽子でも被ったら、そのまま何処かの国の海軍士官かと思えるほどに凛々しい出で立ちだった。


 佐竹が、教室の入り口でぼうっとしていた内藤に先に気付いて声を掛けた。

「ああ、内藤。紹介する」

 呼ばれて、恐る恐るそちらに近寄る。先に真綾と目が合って、内藤はちょっと会釈した。

「あ、こんにちは……」

「内藤様、お邪魔しております」

 真綾はいつもの丁寧な言葉遣いで、美しい礼を返してくれた。

「兄の、慶吾ですわ。こちら、内藤祐哉さまです、お兄様」

「ああ、こちらが」

 言って、慶吾が内藤をまっすぐに見た。

 「ああ、この人も剣士だな」と、なんとなく内藤は思う。清々しくて、自分への甘さを決して許さないような、そんな感じがひどく佐竹に似ている気がした。

「初めまして。科戸瀬慶吾です。妹の真綾が、大変お世話になったそうで。どうもありがとうございました」

 そしてやっぱり、綺麗な礼をしてくれた。

「あっ、い、いえ……! 俺の方こそ、弟まで一緒に、お世話になっちゃっただけなので……。こちらこそ、あ、ありがとうございました――」

 内藤はびっくりして両手を胸の前でぱたぱたさせ、再び頭を下げた。

「ともかく、座って頂こう。席を案内して差し上げてくれ」

 佐竹が内藤にそう言って、少し近寄り、耳元に小さく囁いた。

「……すまん。成り行き上、こうなった」

「え? ああ、いや――」

 内藤は、びっくりしてどぎまぎする。

「じゃ、えっと……。空いてる席、あるかな? ショーヘー」

 ちょっときょろきょろして、同じウエイターである翔平に助けを求める。ちょっと離れた所でことの顛末を見ていた翔平が、にやっとして近寄ってきた。

「なんか、すんげえ客きちゃったな。住む世界が違うってカンジ? ……あっち、空いてるぜ〜?」

 何があっても変わらないその軽さに、なんとなく内藤はほっとした。

「あ、ありがと。じゃ、あの、どうぞこちらへ――」


 そうして、内藤は三人を案内し、隅のほうに作ってある席へつれていった。教室で使っている椅子と机を合わせてテーブルクロスをかけただけの、ごく質素な席である。こんなところへ、こんな「ご令嬢」と「ご令息」が座ること自体が、なんだかひどくちぐはぐに思われた。

 内藤は、翔平に渡されたアルミの盆を胸に抱きしめるようにして、恐る恐る、そこへ注文をとりにいった。

「あ……あの、何に致しましょうか……。って言っても、大してメニューはないんですけど……」

 ひたすらおどおどしている内藤を見上げて、慶吾はちょっと楽しげに苦笑した。

「ああ、突然来て、驚かせてしまいましたね。申し訳ない。どうか緊張しないでください」

 にこやかにそう言う笑顔がまた、大変素敵な人である。


(わ〜。この人も、すっげえ女の子にもてそうだなあ……。)


 なんだか内藤ですら、ちょっとぽ〜っとなりそうな程に魅力的だ。

 そう言えばどことなく、異世界の黒の王、サーティークの側近だった、ヴァイハルト将軍にも雰囲気が似ている気がする。

 かの将軍も、ちょっと偏った「妹好き」さえなければ、ごく爽やかで凛々しく、また男らしい美丈夫だった。


 三人から注文を取って「厨房」スペースに戻った内藤は、思わず詰めていた息を吐き出した。「緊張するな」と言われてそうできれば、誰も苦労はしないのだ。

「なんっか、あそこだけ世界がちげ〜。笑うわ〜……」

 ひゃひゃひゃ、とまた、隣にいる翔平が笑った。



                ◇



 席に着いたところで、真綾は改めて佐竹に謝罪した。

「佐竹様。先日はまことに、大変失礼な発言をしてしまいましたこと、どうかお許しくださいませ」

 言って、深々と頭を下げる。

「いえ。ですから、もうそのお話は御容赦ください」

 佐竹は少し困ったように言い、こちらも頭を下げた。

「こちらも、少し言葉が過ぎました。どうかお許しいただきたく――」

 そんな二人を見て、慶吾も佐竹に頭を下げた。

「自分からもお詫びを言わせてください。妹が、まことに不躾なことを致しました」

「いえ。先ほども申し上げましたが、お詫びをして頂く理由がありませんので」

 佐竹は心底困って、ただそう言った。

 少しの沈黙が流れた。

 しかし、三人が頭を上げたとき、科戸瀬兄妹は、二人とも少し安堵したように微笑んでいた。

 丁度その時、内藤が注文されたものを盆に乗せて運んできた。紙コップのコーヒーに、紙皿に乗せたクレープだ。佐竹はコーヒーのみにしている。

「あ、どうぞ……。た、多分、お口には合わないかと思いますけど」

 心から困った顔で、内藤がそう言いながら給仕をする。慶吾がにこりと笑った。

「いえ、有難う。お二人はご友人なのでしたか?」

「えっ? ええ……、はい」

 内藤は、その質問の何にひっかかったのか、少し言い澱んでからそう言った。ほんのり赤面して、視線が泳いでいる。佐竹は不思議に思いつつ、ちらりとそんな友人の顔を盗み見た。

「今度はまた、自分も家にいるときに、ゆっくり遊びにでもいらしてください。……ああ、勿論、弟さんもご一緒に」

 にっこり笑って、慶吾が言う。そして再び、佐竹の方へ体を向けた。

「佐竹君とは、できればまた、仕合いをさせていただきたいと思っています。良かったら一度、ご検討いただきたい」

「……いえ、それは」

 佐竹も慶吾に向き直った。断りを入れようとする言葉を遮るようにして、慶吾はさらに畳み掛けた。

「大きな声で言うことではありませんが、自分の家には剣道場も備えています。そこでも構いませんが、勿論、佐竹君のご都合のよい場所で構いません。こちらは、どちらにでも出向くつもりでおりますので」

 言って、また頭を下げた。

「どうか、この通り。お願いします」

 その態度は男らしく、またスポーツマンらしい爽やかさだった。

「…………」

 佐竹は、沈黙する。しばし考えて、やがて返事をした。

「承りました。自分のような者でも宜しいのでしたら」

 途端、慶吾がにっこり笑う。

「それは有難い」

「ただし」

 と、佐竹は一言だけ付け加えた。

「真綾さんには、まことに申し訳ないのですが。次回はどうか、科戸瀬さんお一人でいらして頂きたいのです」

 その瞬間、慶吾の隣でにこにこしていた、真綾の顔が凍りついた。内藤も、思わずぎょっとなって佐竹を見つめたようだった。

 慶吾は固まってしまった妹をちょっと見やったが、すぐに佐竹に向き直った。

「承知しています。勿論、そのように致します」

 言って、また頭を下げた。

「勝手を申しますが、どうかよろしくお願い致します」

 佐竹も、ただ静かに頭を下げた。


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