第3話 体術
あとの事はもう、なんだか内藤はよく覚えていない。
というよりも、はっきり言って「よく分からなかった」と言うのが正しいのかも知れなかった。
ことは、男たちが佐竹の声を聞いて振り向く、ほんの一瞬の間に終わっていた。
彼らには、きちんと佐竹の姿を視認できたかどうかも定かでなかった。
佐竹はその男たちに、スーパーの中で歩く時となんら変わりない、まるで無造作な足取りで近寄った。そうしてすすっと、水の流れるような滑らかな動きで、彼らのそばを通り過ぎただけにしか見えなかった。
無論、徒手空拳である。
殆ど、足音も聞こえなかった。
それなのに。
彼が内藤のそばまでやってきて、安心させるかのように肩に手を置いてくれた時、背後にいた男たちは既に、ものも言わずにその場に崩れ落ちて昏倒していた。
「…………」
内藤は唖然として、アスファルトの上で目を剥いて転がっている男たちを見下ろしていた。
「怪我はないか」
佐竹の声がしたのに気づくのにも、結構な時間が掛かったほどだった。
「…………」
内藤は顔色をなくし、目を見開いたまま、ただこくこくと佐竹に向かって頷き返した。
佐竹は胸ポケットから平然と自分のスマホを取り出すと、警察に電話を掛けたようだった。この場所を告げ、「若者たちが言い争って、激しい喧嘩になっている」云々と、さももっともらしく、しかし適当なことを淡々と並べて通報している。
そして、昏倒している男たちの顔を素早くスマホで写真に収めると、まだ半ば呆然としている内藤の手首を掴み、近くに停めてあった車のボンネットの上から書類の入ったファイルを取り上げた。そうしてそのまま、彼を連れて近くの建物の陰に隠れ、その後の様子をしばらく観察していた。
駅前の派出所から複数名の警官らがやってくるまで、昏倒した男たちが覚醒することはなかった。
彼らが三々五々担ぎ上げられ、パトカーに乗せて連れて行かれたのを確認してから、佐竹は何事もなかったかのような顔で内藤と共にその場を離れた。
佐竹は黙って、内藤の家に向かって歩いているようだった。
まだ怯えてうまく足が前に出ない内藤の手首を掴んだまま、子供の手を引くようにして歩いている。
「……な、何やったの……? 佐竹、さっき――」
ようやく声が出せるようになってから、内藤は佐竹に訊いてみた。声はまだ少し震えて掠れていて、とても自分のもののようには思えなかった。
「
佐竹はしれっとした顔で、特に詳しい説明はしなかった。
そしてただ、
「鬼の竜騎長殿に、感謝だな」
と、静かな声で言っただけだった。
◇
二人で内藤の家に到着したとき、時計は九時を回っていた。
佐竹は途中のコンビニで適当に夕飯代わりになるものを買おうとしたのだったが、内藤にうちで食べろとせっつかれるように言われてしまい、やむなくその言葉に甘えることにした。
内藤の家で夕飯にカレーライスを振舞われ、あとはいつものように内藤の部屋で、二人で十時になるのを待った。
ナイトは時間通り、いつもの通信をしてきた。
《久しぶり……と、いうことになるのかな? 二人とも、変わりはないかな》
穏やかなナイトの声音が、佐竹と内藤の耳に聞こえた。
が、今回は佐竹の方で思うところがあり、先にこちらから話を始めた。
「陛下。申し訳ないのですが」
そうして、今すぐ通信を切って、改めていまから一刻前、つまりこちらの時間で二時間ばかり前へ戻って自分に警告を発して貰うように頼み込んだ。そして、先ほどの駅前の商業施設の名前と駐車場の件、そして内藤の身に危険が迫っていることを説明する。
ナイトは先ほど佐竹に言ったと同様に、サーティークから過去の世界への介入についての注意を受けている旨を話してくれたが、それも折り込み済みであることを伝え、十分後に再度こちらへ連絡してもらうようにも頼んで、一度通信を切って貰った。
確かに、未来の時間軸から過去の世界への介入は、様々な問題が付きまとう。
ただ、あちらの世界とこちらの世界では、何億光年隔たっているのかは不明だが、恐らく非常な距離もあることだ。そうそう、互いの世界の歴史が交じり合い、影響し合う危険はあるまい。
佐竹がそんな話をしている間中、内藤はずっとぽかんとした顔で、目を丸くして佐竹を見つめていた。
「え〜っと……。つまり、どういう事……?」
そこで初めて、佐竹は内藤に説明をした。
ナイトからすれば、今の通信が今日の日付に対して行なった最初のものとなる。
そしてこの後、二時間前の佐竹に対して、内藤の身に迫った危険について警告してくれることになるはずだ。それが先ほど、佐竹がナイトから直接受けた通信の理由だったはずなのだ。
タイム・パラドックスの回避のためには、ここで内藤の危機についてナイトに知らせ、二時間前の自分に対して警告を発して貰うよう、要請しておく必要がある。
「…………」
もういかにも「頭がこんがらがった」という表情になった内藤は、しばらくうんうん考えていた。
しかし、それでもやっと、安心したように吐息をついた。
「そっか……。つまりそれを聞いたから、佐竹はあそこに来てくれたんだな?」
「まあ、そういうことだ」
内藤は、ようやくいつもの笑顔に戻った。
「はは……。びっくりしちゃったよ、俺。マジで『佐竹、超能力者??』とか思っちゃった――」
「馬鹿いうな」
佐竹は呆れる。いかな自分でも、連絡もない相手の今現在の身の危険など、察知できるはずがない。勿論、何かの拍子に、ある種の「嫌な予感」とでも言うしかない何ごとかを、肌で感じることが無きにしもあらずなのは確かなのだが。
内藤はにこにこ笑っている。
「そっかな? だって、佐竹ならありそうだもん。ほんと」
佐竹は半眼になる。
「人を化け物みたいに言うのはよせ」
「……だな。ごめん」
はは、と声をたてて笑って、内藤が頭を掻いた。佐竹は、目の前に座った友達の姿を改めて検分するように観察した。
「それより、本当に怪我はしてないんだろうな」
「え? あ、ああ……。ほんと、大丈夫。ちょっと首に腕を回されて、あそこまで引きずられてっただけで。あとはまあ、あっちこっち、ポケットに手ェ突っ込まれて探られちゃったけど――」
「…………」
それを聞いた途端、佐竹はぎゅっと眉間に皺を寄せた。思わず拳を握り締め、内藤の首や腰のあたりを見つめつつ、不快げな顔になるのを禁じえない。
「え……」
内藤はそんな佐竹を見て、ちょっと驚いたような顔になった。しかし、次にはもう、盛大に何かを勘違いしたものか、慌てたようにこう言った。
「あ、あの……。ありがとな、佐竹……」
どうやら、すっかり礼を言うのを忘れていたと思ったらしい。
(……こいつ。)
それはそれで、なにやら失礼だとは思うのだが、佐竹は何も言わなかった。
「いや。……無事に済んでなによりだった」
それを聞くと、内藤は今度こそにっこりと、本当に嬉しげに笑って佐竹を見返した。
「うん。ほんと、ありがとう」
「…………」
そんな友達の顔を見て、佐竹は密かに、自責の念を覚えていた。
内藤が今回、不必要に危ない目に遭うことになったのは、ここしばらくの自分の不自然な行動が遠因としてあるのは間違いない。自分があんな真似に出ておらず、常に変わらず、彼の近くにいたのなら、このような顛末、ことの初めから存在すらしなかったはずなのだ。
佐竹は知らず、奥歯をぎりっと噛み締めていた。
(これは……もう。)
もはや、「これで覚悟を決めろ」という、天の声だということか。
(これ以上いつまでも、ぐだぐだと考えるなと――?)
佐竹は少し目線を落として、しばし考え込んでいた。
が、やがて内藤に向かって姿勢をただし、改めて頭を下げた。
「……済まなかった」
「え……?」
突然謝罪の言葉を口にした佐竹を見つめ、内藤はびっくりして固まった。
「俺が以前のような『帰宅部』でなくなった以上、前のとおりとはいかないが。今後はしばらく、なるべく俺と行動を共にして欲しい」
「…………」
内藤は驚いた顔のまま、じっと佐竹の顔を見つめている。
「俺の方はともかく、奴らはお前の顔をしっかり見ている。今回のことで何か逆恨みでもして、不埒な真似をして来んとも限らん」
「あ……」
内藤が、さっと顔色を変えた。今後のそういう可能性について、今やっと気づいたらしい。佐竹としては、相変わらずのそういう呑気な友達を、今までどおり野に
こうなってはもう、「覚悟が決まらないから」云々と、自分を誤魔化しているわけにはいくまい。
佐竹は腹を決めた。
ともかく、奴らが内藤のことをはっきりと諦めたと分かるまでは、この友人の傍にいることにしよう。この際、それで自分の精神状態がどうなろうが、それを鑑みている場合ではない。
そして出来れば、この友達に護身術そのほかを、ある程度伝授しておく必要もあることだろう。自分が傍に居ないとき、ある程度までは自分で自分の身を守れるようになっておくことは、今後自分との付き合いがどうなるにしても、彼の人生にとって必要ではあるはずだからだ。
「あ、そうだ。佐竹、これ――」
と、急に思い出したように、内藤がポケットから小さな封筒を取り出した。それは縦横五センチ程度の小ぶりなもので、封はしてあったものの、先ほどの一件で一度地面に落ちてしまったらしく、あちこち汚れて皺が寄っていた。
「なんだ?」
受け取って、内藤を見る。内藤は、困ったようにまた頭を掻いた。
「あ、うん……。ごめんな、汚れちゃって。今日、真綾さんから預かったんだ。佐竹に渡して欲しいって――」
「…………」
途端、ぎゅっと厳しい顔つきになってそれを破り捨てようとした自分に、内藤は両手をぱたぱたさせて、必死に顔を横に振って見せた。
「ちっ……、違う、違う! それ、お兄さんからだからっ……!」
(兄? 科戸瀬慶吾から……?)
改めて、手元の封筒を見る。封を開けると、小さなメモが入っており、そこにはなるほど、男の手によるらしい几帳面な文字で「科戸瀬慶吾」と書いてあった。さらにその下に、携帯のものらしい連絡先が続いている。
「…………」
紙片を眺めて沈黙してしまった佐竹をそっと窺うようにして、内藤が言葉を挟んだ。
「えっと、その……。お兄さんが、もし良かったら連絡が欲しいって言ってるんだって。直接、自分からも佐竹に謝りたいからって、言ってるらしいよ?」
佐竹は少し沈黙したが、やがて目を上げて内藤を見た。
「……会ったのか」
「え?」
内藤がきょとんとして聞き返す。
「あの妹に、会ったのかと聞いている」
声音に棘を含ませないように、多少、努力する必要があった。
「へ? あ、ああ……うん。今日、これを渡したいからって、放課後にちょっと呼ばれちゃって――」
「呼ばれた」という言葉を使う以上、すでに互いの連絡先は交換済みということらしい。先日、内藤が科戸瀬の自宅に呼ばれた、あのタイミングに違いなかった。
「…………」
つまりかれらは、自分の目の届かないところで二人で会っていたということだ。
佐竹は、自分の眉間に皺が寄るのを自覚する。しかし、その感情の理由が何であるのかは明らかだった。それがすでに明らかである以上、佐竹には内藤を無駄に難じるつもりは毛頭なかった。
それはただただ、無様なだけのことだろう。
「……わかった」
そしてただひと言、そう答えた。
(それにしても。)
一体どこまで、あの兄妹はこちらに踏み込んで来るのだろう。
自分のことはともかく、このちょっと危機管理能力に甘いところのある友人を、彼らの勝手でこれ以上振り回すのは勘弁して貰いたいのだが。
なにか釈然としない苛立ちを覚えつつ、佐竹は黙って、その紙片を封筒に戻し、胸のポケットにしまいこんだ。
と、丁度その時、再びナイト王からの通信が入り、佐竹はナイトに先ほどの礼を言った上、すぐにこちら側の世界の資料の受け渡しそのほか、実務的な話を始めた。
話が終わった頃にはすでに十時半をまわっており、佐竹はすぐに内藤家を辞した。
そのため、その後は内藤と、大した話をすることもなく終わったのだった。
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