第5話 秋霖(しゅうりん)

 内藤は結構、この学校の内部を知り尽くしている。

 その理由も、はっきりしている。

 今年の五月、突然の事故で母を亡くしてからの自分は、友達の前でこそにこにこ笑顔を崩さなかったけれども、どうかすると、どうしても、堪えきれなくなる瞬間がやってきてしまったからだ。

 生徒たちがあまり普段立ち寄らない区画、たとえば、校舎と外塀との狭間、屋上の室外機の間や、中庭の奥まった場所。

 その他、校舎最上階の踊り場に、不要になった机と椅子が積まれて周囲からは見えづらくなっている部分。

 ひと目につかないところ、人があまり立ち入らない場所を、いつの間にか内藤は、無意識のうちにも探すようになっていた。


 文化祭準備のために、生徒たちが校舎じゅうのあちこちに溢れているこの時期であっても、内藤がその中から適当な場所を見つけ出すのに、大した苦労はいらなかった。

 そして今日も、また誰の目にも触れることなく、校舎と外塀との隙間、幅一メートルばかりあるところへ体を滑り込ませることに成功した。


 そこで座り込み、やっと一息つく。

 ぐちゃぐちゃになってしまった自分の思考を、とにかく、一から整理しなおさなくてはならなかった。

 と言うよりも、何より今の自分の顔を、他の誰にも見られたくなかった。

 勿論、あの佐竹にも。



(だから……、だから、ええっと――。)


 とはいえ、頭をどこから整理したらいいのだろう。

 自分が何を動揺しているのかも、なんだかよく分からないのに。

 そうは言っても、今回ばかりは、あの「論理性の権化」たる友達に助力を仰ぐわけにはいかない。


 内藤は、ひとまず深呼吸をした。


(整理するんだ。そう、……整理!)


 ともかく、自分はあの科戸瀬真綾のことは、今のところ、別にそういう意味で好きだったりするということはないと思う。

 勿論可愛い子だと思うし、この間、自宅に招いてくれた時、洋介に対してとても優しく色々と気遣ってくれたりしたところを見ても、性格的にも決して悪い子ではないことはわかっている。しかし、それとこれとは話が別だ。

 内藤としては、別に学校の他の生徒たちからそういう誤解をされたとしても、他の重要な「秘密」が守れるなら、ある程度は構わないとも思っている。いや勿論、真綾本人には申し訳ないとは思うけれども。

 いや、そもそも第一、彼女が気になっているのは佐竹の方だろう。


(だけど……。)


 わしゃわしゃと、髪の毛をかき回す。

 それをあの佐竹に知られるのだけは、絶対にいやなのだ。

 ちゃんと事前に説明して、「なるほど、そういう流れか」ときちんと理解してもらえないなら、そんな噂はもう、ほんの僅かでも流されてしまっては困ると思う。


 いや、もう先ほど、すでに彼の耳に入ってしまったかも知れない、ということは置いておくにしてもだが――。

「あ、ああああ……」

 あっという間に先刻の顛末を思い出し、内藤は変な声を上げてしまう。


(……だから! それは、どうしてだよ……!)


 内藤は頭を抱えつつ、必死に自問自答する。

 なんで自分が、女の子を好きになったことを佐竹に知られるのがこんなに嫌なのか。

 それを知ったら、佐竹がどうすると思えるからなのか。


 そこまで考えて、がくっと肩を落とす。


(……そんなもん、決まってるよ。)


 佐竹は間違いなく、また自分と距離を置く。

 それも、この間のように、あっさり解除してくれる程度では済まないだろう。

 自分の存在が、内藤が彼女と付き合う上で邪魔になると思ったら、彼はあっという間に宇宙の果てまでも退いて、離れていってしまうのに違いない。


(だっから! それが、嫌なんだよっっ……!)


 壁に背をつけて座り込み、膝に拳をぶちあててそう思う。


(なんて言うか……なんて言うかっ――!)


 佐竹は、ずるい。

 あんな、本気で心配してひっぱたいたりとか、急に力いっぱい抱きしめたりとか。いやそもそも、あんなわけもわからない異世界へ、命懸けで助けに来てくれたりだとか。

 そうかと思ったら、もう何の未練もないみたいに、突然連絡もしなくなったり。

 やることがちょっと極端すぎる。


(あんな風に、散々、人をびっくりさせるだけさせといて、そのくせ、俺に女の子の影がちらっとでも見えたら、すぐにも身を引くつもりなんだろ。)



 どうなってんだよ。

 なんなんだよ……!


 何がしたいんだか、わけわかんない。

 俺に、どうして欲しいんだよ。


 俺を、どうしたいんだよ――。


「…………」


 ふと、ぽつりと熱い雫が膝の上の拳の甲にはじけて、内藤はそのことに気がついた。

 ごしごしと、乱暴に目元を擦る。

 こすっても擦っても、それはなかなか止まらなかった。


「俺……。バカじゃね?」

 笑ったつもりだったのに、思わず出した声がひどく歪んで聞こえた。

(こんなの、ドラマとか何とかで、さんざん見てて馬鹿にしてたシチュ、そのままじゃん……。)

 「なんでこれで気付かねえの、この子」とかって、ドラマの主人公見て思ったりする、もう典型的なパターンじゃね……?


「…………」

 内藤はだまって、立てた膝の上に顔を埋めた。


 ……いや、違う。

 そうじゃない。


 いい加減、自覚しろ。

 もう、諦めろ。

 「男同士なんだから」とか、変な言い訳したって、もう無駄だってさ。


 バカだな、俺。

 ……バカすぎるんじゃね?


 だってもう、気付いてるだろ。

 あいつが誰かと付き合ったらって、

 想像してみたことぐらいあるだろ?


 ……嘘つくなよ。

 誤魔化すなよ。


 だって、あんなにもてるんだぞ。

 あっちから帰ってきてこっち、ちょっと女の子にも優しいんだぞ?

 いつ、誰とそうなったって、全然、なんっにも、おかしくない。


『いくら、精神的に幼いって言われててもさ――。』

 だれかが、心のどこかでそんなことを言った気がした。


(……そうだよ。)


 あるよ。

 想像したことぐらい、あるに決まってる。


 だけど、ずっとわかんないふりしてたんだよ。

 そうだよ。


 だって、そうだろ?

 「俺はなんにも分かりません」って顔さえしてれば、佐竹はそのままでいてくれる。

 ちゃんと、傍にいてくれる。

 今までどおり、「いい友達」としてだけど。


 心配してくれて、守ってくれて。

 わかんないこと、何でも教えてくれてさ。


 一見、怖そうに見えるけど、

 ほんとはすっげぇ優しいやつだって、

 俺だけはちゃんと知ってるから。


 そんなの駄目だって、わかってるけど。

 でも、俺が困った顔したら、結局、甘えさせてくれるから。

 彼女のこととかなんとか、「まだ子供だからわかんない」って、

 俺さえそうやって、いつまでも知らないふりしてればさ。


 佐竹も時々、忘れちゃうみたいだけど。

 ……俺、ほんとは二十四だよ?

 ほんとの、ほんっとに、子供でいるには、相当、無理な年だと思わないのかな。


 ……だからさ。


 だから、ほんとにずるいのはさ。



「ほんとにずるいのは、俺の方だよ――」



 掠れきった声で呟いたその言葉は、あふれ出たものみんなで歪んで、目の前の校舎の壁に、虚しく当たって消えていっただけだった。



                ◇



『 あ、ごめん。

  今日、先に帰るわ。

  学童の時間も、ぎりぎりだし。

  翔平が一緒だから、

  心配いらないからさ。     』―― 



 文化委員の水沢を探し出すのに意外にも手間取って、ようやく担任からの伝言を伝えてから教室に戻ったところで、スマホにそんなメールが入った。

 佐竹はちらりと背後に目をやる。

 そこに、当の今井翔平が、他の男子数名と楽しそうに模擬店のやぐらを組み立てている姿があった。


(……どういう事だ。)


 今井に直接確かめてみてもよかったが、教室内を見たところ、内藤の荷物はそこにはもう残されていないようだった。

 どうやら、先に帰ったのは本当であるらしい。

 ただし、間違いなく一人でだ。


(あいつ――。)


 一体、何を考えているのか。

 電車通学をしている以上、学校からの帰宅途中、必ずあの駅前の界隈を通ることになる。さらに今は、明日の文化祭の準備のために、いつもよりも少し遅い時間になってもいる。

 この状況下で、一人で家に帰るなど。

 もしも途中で、奴等に出くわしたらどうするつもりなのだろう。

 あれから多少、護身術等を教えてきているとはいえ、彼の実力的に、数名の相手を同時にどうにか出来るレベルには程遠い。

 ましてや今回、洋介を連れていたりなどすれば――。


 佐竹はぎゅっとまなじりを決すると、自分の荷物を素早く担ぎ、今井の方へと近づいた。

「……すまん。急用ができた。先に帰るが、あとは頼んで構わないか」

「あ? おお、どーせあとちょっとだし、そりゃあまあ――」

 今井はびっくりしたような顔で佐竹の顔を見上げたが、ふと周囲を見回して変な顔になった。

「ありゃ? そういや、ユーヤはどしたんだ? お前、一緒じゃなかったの?」

「…………」

 決定的な台詞を聞いて、佐竹はもう、無言で素早く踵を返した。


 そのまま足早に廊下を抜けて校舎から出た。

 十月下旬ともなれば、日は相当短くなりつつある。この時間帯だと、すでに空は夕刻の茜色に染まり始めている。

 佐竹は焦眉を開かないまま、大股に校門を抜けて帰路に就いた。


 いやな予感がする。

 ともかくも、何事もないうちに彼に追いつくことが先決だ。

 一応、「すぐに追いつく。駅から出るな」という旨を内藤の携帯にメールして、佐竹はさらに一段、歩く速度を上げた。

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