第5話 挨拶

 その後。

 内藤の身を案じながら帰宅した隆は、容態の安定している息子を見てほっとした。

 佐竹は内藤のテスト勉強の面倒を見るために、まだ残っていた。

 だが、隆が安堵したのも、束の間のことだった。


 洋介が就寝してから、リビングで「お話があります」と佐竹に呼ばれて振り向いた隆は、目の前の床面に平伏している佐竹を見て、驚嘆した。

「どっ、どど、どうしたんだい、佐竹君っ……!?」

 ソファに座ったまま、手にしていたビールの缶を危うく取り落としそうになる。

 佐竹の背後では、内藤もびっくりして立ち尽くしていた。


「先に、謝罪をさせてください。お父様には誠に、申し訳ないことを致します」

 頭を床につけるほどに下げたまま、佐竹が言う。

「い、……いったい、何の話なんだい……?」

 困った顔で、息子の祐哉を見つめたが、その当の息子まで、佐竹の後ろでごそごそと床に座り込んで、こちらに頭を下げてきた。

「……ご、ごめんね。父さん……」

 小さな声で、そんなことを言っている。

 隆には、訳が分からない。

「いや、その……。ちょっと、頭を上げてくれ」

 まだ目を白黒させながら、やっとそう言う。テーブルの上にあったリモコンで、ついていたテレビを消して、隆は二人に向き直った。

「いったい、何があったんだい。わかるように説明してもらえないか」

 佐竹は床に正座したまま、頭を上げた。

 その瞳はいつも通り、ごく真摯で、真面目なものだった。

 佐竹は少し、視線を床に落としたが、一つ息をつき、再び隆の目を見つめて言った。

「息子さんと、男女の間で言うところの、『お付き合い』をさせて頂きたいと考えております。つきましては、お父様のお許しを頂きたく――」

 そしてまた、頭を下げる。

「どうか、何卒、お願い致します」

「お、おお、おねがい、します……」

 内藤も、慌てて後ろで頭を下げた。

「…………」


 相当の、長い間があった。


「…………え?」

 隆はもう、自分の耳を疑う以外のことは何もできない状態だ。

「い、いや……。ちょっと、待ってくれ……?」

 混乱した頭を整理するのに精一杯で、何を言ったらいいのかなど皆目わからない。

 佐竹と内藤は、目の前で頭を下げたきりだ。

「ええっと……、つまり――」

 やっと搾り出した言葉は、掠れて自分でもよく聞こえないぐらいだった。

「こ、こういう事かな? 佐竹くんと、祐哉が、つまり、その……」

 そこで少し顔をあげた息子を見れば、もう耳まで真っ赤になって涙ぐんでいる。

 隆は再び、絶句した。


 そうして、しばし考えた。

 どのぐらいの時間、そうしていたものか。

 その間もずっと、佐竹は頭を下げたままだ。

「そう、なのか……」

 隆は、困った顔で頭を掻いた。

「そりゃ、最近でこそ、あっちこっちでよく耳にはするけど……。まさか自分の息子が、なんてね……?」

「…………」

 佐竹は、無言である。

 隆はソファに座ったまま、握り合わせた手を膝の間でもじもじさせた。そしてちょっと、シーリングライトのついた天井を見上げた。


「う〜ん……。こう言っては、なんなんだけど――」

 そうしてまた、頭を掻く。

「私もまだ、あまり『あっちの世界』だの、『鎧』だののことがよく理解できたってわけじゃないんだが。それでも……」

 内藤が顔を上げて、父の顔を見たようだった。

「それでも、君がいなかったら、祐哉が君のお父さんみたいに、ずっと行方不明のままになっていたんだなってことは、わかっているつもりだよ」

「…………」

 佐竹は無言のままだ。

 内藤も、黙ってその後ろから父の顔を見つめている。

「それが、君たち家族にとってどれほど辛いことだったかも、理解しているつもりだ。……これでもね」


 隆が黙ると、それはそのまま、部屋に沈黙をもたらした。


 隆はまた、あれこれと考えを巡らせた挙げ句、口を開いた。

「なんだか、うまく言えないんだが。つまり、君がいなければ、祐哉はここに戻ってはこられなかったわけなんだし――」

「…………」

「君がどんなに真面目で、誠実な人かも、よくわかっているつもりだし」

 佐竹も内藤も、ただただ無言だ。

「というか、そこまでの気持ちがあったからこそ、君は祐哉を追いかけて、『あちらの世界』へ行ってくれたんじゃないのかい……?」

 しかし、佐竹はそこで少し、言葉を挟んだ。

「……いえ。元々は、そのような気持ちではなかったのですが――」

 が、隆はちょっと、苦笑した。

「……そうなのかな? いや、どうだろうね――」

「…………」

 佐竹はまた、沈黙した。 

 そんな佐竹をじっと見つめて、隆はまた言った。

「でもまあ、だから今、こうして言い出したそのことが、決していい加減な気持ちからでないことも、よくわかってるつもりだよ」

「…………」


「まあ、う〜ん……。そうだなあ……」

 隆はそれでも、まだ少し考えていた。

 それでもこれは、なかなか二つ返事のできる話ではない。

 隆はしばらく、唇のあたりを撫でるようにして考え込んだ。


 正直なところを言えば、そんな「世間に顔向けの出来ない関係」に、自分の息子を巻き込んでほしいとは思わない。


(……だけれども。)


 相手は、この佐竹だ。

 彼はもはや、息子の命の恩人と言って差し支えのない人物だ。

 ましてやその性格も人柄も、ほかの何処でも望むべくもないほどに、真面目で真摯な男である。その責任感も、到底、半端なものではない。

 そんな男が、ここまでのことを、相手の親である自分に向かって言ってくるのだから、それはもう並大抵の覚悟でないことは明らかだ。自分が言う中途半端な反対の言葉など、彼に対して一体どれほど響くというのだろうか。

 隆は、残念ながらと言うべきなのか、彼に向かって「断る」と言いきれるほどの何かを、自分が持っているという自信がなかった。


「……ともかくも」

 そうして、隆はようやく、ひとつの答えを捻り出した。

「二人が『付き合いたい』というのなら、今の私に、正面きって反対できる理由はないよ。そんな事、できるはずがない……。だけどね」

 ひとつひとつ、言葉を丁寧に紡ぐようにして、隆は二人に向かって言い続けた。

「どうか、二人がきちんとした大人になるまでは、それ相応のお付き合いをお願いしたい。……約束できるかな? 佐竹君」

「勿論です」

 佐竹のほうは、即答である。

 その一事からだけでも、彼の覚悟の程は見て取れようというものだった。

 そんな彼の姿を見ながら、やや困った風情で二人を見比べながら、隆は付け足した。

「あまり、具体的なことは言いたくないが。……君なら、理解してくれると思ってる」

「……はい。そのつもりでおります」

 そして更に、頭を下げた。

「誠に、ご心配をお掛けして申し訳ありません」

 慌てたように、内藤もまた、頭を低くした。

「え、えっと……。ありがと、父さん――」

 小さな声で、そう聞こえた。


 ここでやっと佐竹が頭を上げて、改めて隆の顔を見た。

 相変わらず、迷いのない、真っ直ぐで真摯な目である。

「ご迷惑でなければですが、今からお母様のご仏前に、そしていずれは墓前にも、ご報告に伺えればと考えております。……構わないでしょうか」

「えっ? あ、……ああ……」

 隆の方が目を丸くしてしまう。それは、息子の祐哉も同様だった。

「それは、構わないけれどね。……いや、母さんも驚くだろうな――」

 ちょっと苦笑して、また頭を掻いた。


 佐竹はまた沈黙のまま、再び低く頭を下げただけだった。



                ◇



 一方の馨子はと言えば。

 当然のようにと言うのか、隆とはほぼ正反対の反応だった。


 佐竹も馨子に対してはぞんざいそのもので、軽く国際電話を一本掛けて、口頭でその旨を報告しただけだった。

 しかし、そこからものの二日もしないうちに、それはもう凄まじい勢いで、馨子は再び、地球の裏側から帰国してきた。


「ちょっとあきちゃん! そういう大事なことは、もっと早〜い段階から、あたしに相談してくれなくっちゃ困るじゃないのっっ!」

 玄関に小ぶりなスーツケースを放り出すなり、ずかずかリビングに踏み込んできた馨子は、開口一番、言い放った。

 女にしては相当丈の高い体躯でもって仁王立ちになり、腰に手をあてたその姿は、まさに「怒り心頭」そのものだった。

 その時、丁度週末だったこともあって、たまたま佐竹の家に来ていた内藤は、いつもの革張りのソファの上で、その馨子の姿を見ただけでもうがたがた震えて涙目になってしまっていた。

 手には例の、自分専用の白いマグカップを握っている。


(こっ、殺される……! 俺、お母様に殺される……!!)


「帰ってくるなり騒々しいぞ」

 佐竹はアイランドキッチンの奥から、剣呑そのものといった視線で自分の母親を睨み据えた。

「誰が帰って来いと言った」

 その声も、絶対零度まで冷え込んでいる。

 馨子は当然のように、そんな不機嫌な息子の言葉など「綺麗にスルー」してのけた。

「だって、冗談じゃないわよっ! せっかくあの『超硬派』の煌ちゃんに好きな子ができて、『ああどうしよう』とか『告白すべきか』とか、『ましてや相手は男だし』とかッ……、ああっ、もうッ! 美味しいところぜ〜〜んぶ見逃して、ラストシーン見せられたってちっとも面白くないじゃないのおぉっっ!」

 それはもはや、文字通り地団太を踏む勢いだった。


「…………」

 内藤はもう、真っ白だった。


(どうなってんだよ、この親子……?)


 もう何度目かになる疑問を、また頭の中で繰り返す。


 ……いや、だめだ。

 無駄なことを考えるのはよそう、うん。

 この親子にだけは、どうしたってついてゆけない。


 そもそも、「反対する」とか「賛成する」なんていうレベルをとうに飛び越えて、この馨子は、その経過が見られなかったことをただひとえに悔しがっているのである。とてもじゃないが、常識的に考えてついてゆけるレベルではない。

 まあそれだけ、彼女が我が息子を心から信用しているということなのだろうが。

 相手が男だろうが女だろうが、「煌ちゃんが選んだ人なら間違いない」と、即座に思えるということだろう。考えてみれば凄いことだ。


「あっ、そうそう、祐哉きゅん!」

 もはや語尾に完全にハートマークが見えるような呼び方で馨子から名前を呼ばれ、内藤はその場で飛び上がった。

「はっ、はひっ……?」

「これこれ! 急いでたからちょっとしか買って来られなかったけどっ! 着てみて、着てみて! 約束してた、あきちゃんとお揃いのお洋服よっっ!」

 言って馨子がスーツケースから引っ張り出したのは、蛍光色系のピンクとグリーンの、お揃いのパーカーだった。そのデザインも、圧倒的に「可愛い系」だ。

「……持って帰れ」

 佐竹が殺気の籠もった目で言い放つのも、馨子は綺麗に無視してのけた。

「だあって、せっかく正式に『お付き合い』始めたんでしょ? お揃いのお洋服ぐらい、持ってるのが普通よねえ? ねっ? そう思うでしょ、祐哉きゅんっ!?」

 にこにこ笑うその顔は、もはや極上の笑顔と言えましょう。

「え、えーと……」

 内藤は口角をひくつかせ、顔をひきつらせて笑うしかない。


 しかし、背後から佐竹の凄まじい殺気が飛んできているのをひしひしと感じながらも、やっぱり内藤は、結局丁寧にお礼を言って、その「お土産」を受け取るしかなかったのだった。



                 ◇



 翌日。

 馨子は早速、またとんぼ返りで海外へ戻ることになった。

 誠に多忙な女である。


 飛行機の搭乗チケットを手に、国際空港の広い通路を颯爽と歩く馨子の後ろから、佐竹と内藤も見送りのためについて歩いている。もちろん佐竹は、本来なら来るつもりなど無かったのだが。

「そんなこと言わずに、見送りに行ってあげようよ。ねっ? 佐竹……」

 と、またぞろ涙目になった内藤から懇願されてしまったのだ。


 これは間違いなく、裏で馨子が糸を引いている。佐竹はそう確信していた。

 恐らく、年甲斐もなく目などうるうるさせて、「煌ちゃんが、あたしのこと見送りに来てくれないっていうのよ〜、祐哉きゅん! もうあたし、ものすっっごく寂しいわあ!」とかなんとか言ったに違いないのだ。

 馨子が、早くも内藤を自分の懐に取り込もうとしているようで非常に気分が悪いが、あの内藤の性格では、それも「いずれ遅かれ早かれ」でしかないという気がして、佐竹は正直、げんなりしている。


 と。

 佐竹はふと、空港のロビーがいつもにも増してざわついていることに気がついた。

 馨子が足を止め、さすがの内藤も違和感を覚えたのか、ほぼ同時に足を止める。


 広い空港内部の何層にもなったフロアのうち、佐竹たちは三階にあたる部分を歩いていたが、その巨大な吹き抜けの一番底に、結構な人数の人々が集まって、誰かの出待ちかなにかをしている様子だった。若い女性が中心のようだが、中には男性の姿も見える。

 と、急にそれらの人々の中から、黄色い声がどっと上がった。

 不思議に思った三人が上からちょっと眺めていると、黒いスーツに身を包んだいかつい男たちに囲まれるようにして、品のいいシャンパンカラーのスーツを身に纏った端麗な青年が、その中央を歩いて来るのが見えた。


「あら。来日、今日だったのね」

 すかさず馨子がそう言って、にこりと頬を緩ませた。

「ニュースでやってたでしょ? 北欧、アシュルレア公国の第二公子様じゃない。この秋は、国際親善の一環で、日本にも数日滞在するとかって――」

「…………」

 しかし。

 内藤と佐竹が驚いたのは、そのことではなかった。

「ディフリード……さん? まさか――」

 内藤がそう言ったきり、絶句する。

「…………」

 佐竹も黙って、眼下の青年公子を見下ろしている。

 その通りだった。

 流れる絹糸のような銀色の長い髪をゆるやかに後ろで結び、妖艶としか言いようのない菫色すみれいろの瞳で周囲の人々ににこやかな微笑みを振りまきつつ歩いて来る、美貌の青年。

 それはどこからどう見ても、あちらの世界、北のフロイタール王国軍の竜将、ディフリードその人にしか見えなかった。

 しかし、馨子はちょっと首をかしげた。

「あら、お名前はちょっと違うわよ。確か、えーと……デュークフレイド様? だったかしら――」

「…………」


(……なんだ、それは。)


 佐竹はもう、半眼になるしかない。

 それにもう一人、眼下には非常に気になる人物がいた。

 その「デューク」なんとか言う公子さまのすぐ傍に、ごつい体躯で非常な巨躯の男が、やはりSPらしい身なりで影のようについて歩いていたのだ。


(あれは……どう見ても。)


 金色の短髪に、無骨な風貌。遠目すぎて目の色までは分からないが、全身から放散する雰囲気も、その鋭い眼光まで、まるで「オリジナル」にそっくりだ。

 あれは、間違いなく――。

「佐竹、あれって……ゾディアスさん? ……の、そっくりさん……??」

 内藤はもう、失礼であることも忘れてその人物を指差したまま、口をぱくぱくさせている。

「……そのようだな」

 腕を組んで、佐竹はその男を見下ろしたままそう言った。


「…………」

 佐竹は、少し考えていたが、本当にほんの一瞬、ぴりっとその人物に向かって殺気を放射させてみた。

 その瞬間。

 かの黒服の男の眼光が、ほんの僅かもあやまたず、ばちっとこちらを射抜いてきた。彼我に相当の距離があるにも関わらず、それは大した感度だった。

 まるで背筋が粟立つような、それは素晴らしい殺気だった。


(……ほう。)


 ちょっと苦笑する。

 佐竹はそっと彼のその視線に対して、非礼を詫びる一礼をすると、すぐに踵を返して歩き出した。

「……行くぞ」

「え? あ、ああ。うん……」

 内藤も慌てて後を追ってくる。


 当の馨子は、むしろ美々しい公子さまをもう少し眺めていたかったのか、

「ああん、待ってよ、あきちゃあああん!」

 と、わざとらしい甘え声を出して追いすがってきた。


 佐竹は勿論、そんな馨子は完全無視して、馨子の乗る便の搭乗口へ向かって、大股にどんどん歩いていった。

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