第6話 紅葉(もみじ)の小道で

 そして、一週間後。


「まったく、しょうのない女だな……」

 その母親のことがよほど腹に据えかねるのか、佐竹は今朝の内藤の服装を見て、開口一番、そんなことを呟いた。


 今日の内藤は、あの馨子がお土産にと買ってきてくれた、蛍光ピンクのパーカー姿なのである。そこに、小さめのグレーのワンショルダーバッグを斜め掛けしている。

 そういえば、以前に譲ったパーカーとジーンズは、ナイト王がそのまま着て帰ってしまって返されていない。

「え? あの……似合ってない……かな?」

 ちょっと戸惑って自分の姿を見直し、佐竹の顔を窺うと、佐竹はちらりと内藤を見て首を横に振った。

「……いや。そういう意味じゃない」

 それだけ言うと、佐竹は待ち合わせをしていた駅の改札を抜けて、ホームに向かって上がっていった。内藤も、すぐにその後に続く。

 結局、あの後、パーカーは両方とも、内藤が頂くことになってしまった。佐竹は頑として、母親からの土産を受け取ろうとしなかったためである。


 懸案だった実力テストが行なわれたこの日、洋介が帰って来るまでの時間を使って、二人はとある町にやって来た。内藤たちの住む街から、電車で三十分ばかり離れた小さな町である。

 駅舎を出てから近くの商店街に入って、内藤は花屋に寄ると、お供え用の花を買った。そこから二十分ばかりバスに乗ると、住宅街から次第に山道に入って、くだんの霊園が見えてくる。


「……いい所だな」

 山の斜面に作られたその霊園は、坂道や階段を上ってゆくのは少し大変なのだけれども、見晴らしだけはとてもよかった。ただ、十一月も下旬のことであり、標高差のこともあって、吹き渡る風は少し冷たく感じられた。

「うん。俺たちの街も見えるしね」

 佐竹と二人、黙ってその坂道と、霊園に繋がる長い階段を上って行く。

 霊園の中で手桶と柄杓ひしゃくを借りて更にのぼり、内藤家の墓前にたどり着いたときには、もう二時ごろになっていた。

 さやさやと、風に音をたてている近くの紅葉もみじ紅色くれないいろが、目に浸み込むようだった。


 内藤と佐竹は少し墓の周囲を掃除して、花を手向け、線香に火をつけた。

 それぞれ、持ってきた数珠を掛けて手を合わせる。

 内藤は正面に座り、佐竹はその背後で立っていた。


 内藤は目を閉じ、そこに眠る人に向かって心の中で語りかける。


(母さん、長いこと来られなくてごめんね。)


(……俺、好きな人ができたよ。)


(今は、とっても、とっても、大事な人だ。)


(あ、でも……。驚かせちゃったかな。ごめんね……?)


 目を開けて、ちょっと後ろを見上げたら、佐竹はやっぱり、いつものきりっとした美しい姿勢で、まだ手を合わせて目を閉じていた。


(そういえば……。)


 内藤は、ふと思い出した。

 あちらの世界、南のノエリオール王国の陵墓のことをである。

 そこには、佐竹の父、宗之が静かに眠っている。佐竹は、向こうにいた間に一度だけ、そこに参らせて貰えたはずだった。ノエリオール国王サーティークの計らいは、最後に至るまで、さすがに大人の対応だったといえるだろう。

 それは、あの時、一時的な記憶喪失のようになっていた佐竹がようやく記憶を取り戻し、かの《鎧》の力でこちらの世界に戻ってくるまでの、ごく僅かの間のことだった。

 内藤は、敢えてそれには同行しなかった。こればかりは、やっぱり内藤も、佐竹をそっとしておいてやりたかったからである。

 そこで佐竹が、父に向かって何を語ったのかは分からない。けれども、彼は彼なりに、それでひとつの気持ちのけじめをつけたのに違いなかった。


「そろそろ、行くか」

 静かな声に呼ばれてふと我に返ると、佐竹はもう目を開けて、こちらをじっと見つめていた。

「あ、……ああ、うん」

 内藤もにっこり笑って、手桶と柄杓を取り上げようとしたが、先に佐竹にひょいと持っていかれてしまった。さも、それが当然かのような風情だった。


 ……何となく、「女の子扱い」されているような気がしなくもない。


 ちょっと足を止めて、そんな彼の背中を見つめていたら、佐竹が変な顔をして振り向いた。

「……どうした」

「あ。いや、なんでも……」

 数珠をバッグにしまって担ぎなおし、佐竹の後について歩き出す。


 お互いの親から、「お付き合いをしてもいい」との許可を貰ったにも関わらず、今のところ、佐竹の態度はそれ以前と何も変わっていない。

 相変わらず、勉強や護身術の鍛錬では「鬼教官」だし、目つきも言葉遣いもこのとおりだ。なにより、「友人」から「それ以上」の関係になったはずなのに、これまでのところ、お互いの関係にさしたる違いが何もない状態なのだった。


(俺たちって、これでほんとに『付き合ってる』のかなあ……?)


 そんな風に考えると、内藤は、今でもしばしば、不安に襲われそうになる。

 あの夕刻、佐竹が自分にとうとう告白してくれた、あの場面もなにもかも、全部自分の都合のいい夢だったのかも知れないなどと、埒もないことを考えてしまうのだ。

 確かに、父、隆からは、あの時「大人になるまではそれに相応ふさわしい付き合いをして欲しい」と、きっちり釘を刺されてしまったのだけれど。


(けどそれって……、一体、どこまでなんだろう?)


 内藤はどうも、その辺りの「線引き」がよくわかっていない。

 だからと言って、佐竹や父に向かって「どこまでなら大丈夫か」などと、訊ねる勇気はまったく無かった。

 そんな事を思ううちにも、佐竹は元の場所に手桶と柄杓などを返却して、来た時と同じ足取りでどんどん霊園の坂を下っていってしまうようだった。

 霊園には、自分たち以外はだれもいない。


 その場に誰もいなかろうが、たとえ部屋に二人きりだろうが、佐竹は自分に、なにもしてはこない。

 あれ以来、それらしい言葉も何もなければ、ほんの僅か体に触れてくることすらまったくなかった。

 佐竹にとっては、この状態が、「大人になるまでの自分たちにとっての相応しい付き合い方」ということなのかも知れなかった。


(でも……それなら、別に……。)


 そういう事なら、別にあんな大変な思いをしてまで、父や馨子に許しを願い出る必要もなかったのでは。あのまま、大人になるまでは、「友達」の括りの中で、今までどおりに付き合っていればよかったことなのではないのだろうか。

 いや、勿論、その間にまたどちらかに「彼女問題」が発生するかもしれないことを思えば、それはそれで、やっぱり問題だったかもしれないのだが。

 考え出すと悶々としてくるので、内藤は最近では、なるべくこのことは考えないようにしている。実のところ、今日の実力テストが終わるまでは、余計な事を考えている暇がなかったということもあったのだけれども。


 つらつらとそんな事を考えながら歩くうちにも、霊園から続く長い階段を下りきって、二人は山沿いの狭い道へ出た。舗装はされているが、すぐ脇のガードレールの下はすぐに低い崖になっていて、見下ろすと小さな川が流れている。さすが山の中というべきか、ちらほらと水鳥の姿も見えた。

 山の木々の中にはあちこちに朱色や橙色、黄金色の紅葉が散見されて、それらが午後の日差しに照り映えている。

 ゆるやかに下るその道をあと五分も歩けば、先ほど乗ってきたバスの通る道にでてしまう。今は周囲に誰もいないが、そこまで行けば人通りもある。


 佐竹は、いつもと違って、少しゆっくりめに歩いているような気がした。

 そうして向こうを向いたまま、つい、といつも洋介にするようにして、後ろ手に手を差し出してきた。ごく、自然な感じだった。


(……え?)


 内藤は、驚いた。

 彼が洋介と二人で歩く時、普通に手をつないでいることは知っている。勿論それは、洋介の安全のためにだろう。洋介も、今ではすっかり慣れたもので、なんの躊躇いもなく日常的に彼の手を握っているようだ。

 そして、内藤は実はそれを、心の中でちょっと「羨ましいな」なんて思うこともしばしばだったのだけれども。


(えっと、これって……。)


 考えるうちにも、向こうから迎え入れるようにして手を握られた。

 初めは洋介とつなぐのと同じ形だったけれども、すぐに指を絡めた形に握りなおされる。そうして、力をこめられた。

「え、……えと」

 かあっと、耳が熱くなった。

 周囲の風は冷たいのに、彼の手はひどく熱く思えた。


 佐竹は振り向くことはしなかった。

 そのまま、ただゆっくり歩いてゆく。

 内藤はしばらく、呆然と佐竹の背中を見つめていたが、真っ赤な顔になって俯いた。そうして、ただ彼の後をついていくばかりだった。


 そのとき、ふ、と風が変わった。

 その瞬間。


 自分の爪先だけを見ていた内藤の顎を、ついと佐竹の手が持ち上げた。

 気がつけば、目の前に彼の顔がある。

 内藤は目を見開いた。


 そして、

 ほんの一瞬だけ、

 唇に触れていったものがあった。


「…………」

 しかし、目を瞬いた次の瞬間、

 佐竹はもう、先ほどと同じ姿勢で前を歩いているだけだった。


(え、……いや、今の――。)


 とても現実のこととは思えないで、内藤はただ放心していた。

 思わず足が止まってしまう。

 佐竹もそれに合わせるように足を止めた。

 そして半身になり、内藤の方を見た。


 内藤は、目を何度も瞬かせて、思わず口許に手をやってしまった。

「……う。え、ええっと――」

 佐竹は沈黙したままだ。その表情も、さほどいつもと変わらない。内藤だけが、真っ赤になって茹で上がり、大いに慌てているだけだ。


 そんな静かな佐竹の瞳を見ているうちに、何かが胸の奥のほうから、ふつふつと湧き上がってきた。


(なんか……、ずるい。)


 そう、言葉にすればそんな感じだ。


(こいつばっかり、涼しい顔しやがって――。)


 思って、握っていた彼の手を、力をこめて握り返した。


「……ずるいぞ、こんなの」

 ちょっと震えて来ながら、そう言った。

 何故だか分からないが、急に涙まで溢れてきた。

「わけわかんなかったぞ! ……なんだよ、これ――」

 ぽろぽろ零れだしたそれが、どうにも止まらなくなってしまった。片手で顔を覆ってしまう。

 佐竹がちょっと、目線を落とした。

「……すまん。不意打ちすぎたか」

 真面目な男は、すぐに反省する。


(そうじゃないよ。……この馬鹿。)


 びっくりしたのは、本当だけど。


 内藤は、つないでいた手を引いて、自分の胸のところに持ってきた。

 自然、佐竹を自分のほうに引き寄せる形になる。


 周囲には、だれもいない。

 見ているのは、紅葉ばかりだ。


 ……だから。


「よく、わかんなかったから……」


 震える声で、そう言った。


「もう一回、ちゃんとしてよ」


 彼の黒い瞳を、じっと見つめて。

 それから、そっと目を閉じて待った。



 もう一度、それが自分の唇におりてくるのを。



                              完

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秋暮れて つづれ しういち @marumariko508312

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