第三章 しのぶれど
第1話 痛み
翌日、土曜日。
二人の通う高校で、文化祭が催された。
それは今日と明日、二日間の予定で、週末を使って開催されることになっている。
いつもより少し早めに登校して模擬店の準備をしなくてはならないため、内藤はいつもよりも少し早く家を出た。
「あ、佐竹。おはよ……」
駅のホームに立っていた長身の高校生を見つけて、声を掛ける。この、背筋の伸びたきりりとした立ち姿は、遠くからでも見誤りようがない。
「ああ。……体はどうもないか」
手にしていた文庫本を閉じてこちらを向き、その口から出る第一声は、やっぱり内藤を心配する
「うん、大丈夫。お陰で、別に怪我とかもしなかったし」
にっこり笑って、そう答えた。
本当は、駅から連れ去られるときに、鳩尾に食らわされた
もうこれ以上、この大好きな「友達」に、自分のことで心配を掛けたくない。
「……そうか」
佐竹は内藤の表情をじっと窺うような目をしたが、ただそう言っただけだった。
二人で電車に乗り、学校へ向かう。
別に、一緒に登校するからと言っても、特に何かを話すというのでもない。
しかし、時々ちょっと二言、三言、言葉を交わすだけなのに、不思議と居心地は悪くないのだった。佐竹の隣にいるのは、とても落ち着く。
電車の中でも道の途中でも、内藤は時々、ちらちらとこちらを窺ってはこそこそ話をしている女子高生や女子中学生の視線を感じた。時には大学生や、OLらしき大人の女性たちの視線すら感じることもある。内藤にも、それらが勿論、自分に向けてではないことは分かっている。
そんな時、内藤は、ちょっと不思議な気持ちになる。
(こいつ、俺の『友達』なんだぜ。)
そんな風に考えると、本当に本当に誇らしいのに、やっぱりどこかで胸が痛んだ。
昨夜、とうとう自分は自覚した。
いや、「諦めて認めた」と言ったほうがいいのかも知れない。
(でも……だからって。)
だから、佐竹に何か言おうとか、これまでどおりの「友達」でいる以上のことを求めようとか、そこまではとても考えられなかった。
(だって……。そんなこと、しちゃったら。)
昨夜も一人で湯船に浸かって、散々考えて、とうとうのぼせかかったぐらいだ。
自分と「友達以上の関係になって欲しい」なんて、どの面下げて佐竹に言えるのか。
彼は、自分の「命の恩人」だ。
こちらから、なにかせめて少しでも恩返しになるようなこと、彼の望みに叶うようなことをしてやりたいとは思いこそすれ、なんで迷惑になるようなことが言えるものか。
せめて、自分が女だったらいざ知らず、男の自分がいきなりそんなことを言っていって、佐竹はどんなに困ることか。
世の中に、「そういう恋愛」をする人たちがいることは、内藤だって知っている。
でも、まだまだこの日本では、そういう人たちが市民権を得るには程遠い。
佐竹自身、確かに女の子からの告白は、断って、断って、断り倒してはきているけれども、だからと言って男が好きな奴かといえば、別にそういうことでもないらしい。
ただ、単なる甘ったれたいい加減な気持ちで自分に向けられる好意というものが、どうにもこうにも好きになれないというだけのことのようだ。
それはいかにも、佐竹らしかった。
それに、なにより内藤自身が、怖かった。
このままでいれば、少なくとも「友達」のままでいれば、佐竹はもしかしたら一生でも、自分の隣にいてくれるだろう。
ひょっとすると、お互い結婚したり、子供ができたりしたその後でも、ずっと「ただの親しい友達」として、近くにいてくれるのかも知れない。そういう未来だって、決して幸せでないわけではないはずなのだ。
(それを……。)
それをわざわざ壊してまで、「さらにその先」を求められるほど、内藤は強いわけでも、勇気があるわけでもなかった。
自分の今あるこの気持ちをそっと秘めておくことは、確かにつらいことにはなるのだろう。しかし。
(……それでも。)
今は、ただこのままでいよう。
いや、このままでいたい。
この、大好きな「友達」の隣にだ。
◇
学校に着くと、校門は勿論のこと、校舎の中も運動場も、様々に趣向を凝らして文化祭用に飾られていた。いつもとは全く様子が変わって、生徒たちもみなうきうきと、今日一日を楽しもうと胸を膨らませているようだった。
いつもの廊下を通ると、メイド服姿の女子が数人、きゃあきゃあ言いながら自分のクラス用の食材などを手に歩いていくのとすれ違う。
他にも、お化け屋敷のお化けの扮装になった男子やら、演劇部のコスチュームになって宣伝の看板を担いでいる演劇部の部員らしき生徒、道着を着てうろうろしている柔道部員たちなどなど、いつもとは違った様相で廊下は騒然としていた。
内藤は、佐竹と共に自分のクラスへ向かった。
「おはよ、翔平」
「はよッス! ユーヤ」
と、いつも通りに翔平と挨拶をして、内藤は予定通りに今日の活動を開始した。
内藤は、午前中、クレープ屋兼喫茶店をする自分のクラスのウエイターをすることになっている。そのため、ブレザーの上着を脱いで黒いベストを着込み、ネクタイの代わりに小さな黒い蝶ネクタイを着けた。
「あ、内藤くん、可愛い〜」
なんでも基本的に「可愛い」しか言わない女子たちから、早速そんな声が掛かる。でもまあ、嬉しくないこともない。ちょっと気恥ずかしいけれども。
いやしかし、男に向かって「可愛い」はやめて貰いたいが。
そんなことを思ってちらっと佐竹の方を見たら、午後に「厨房係」になることになっている佐竹は、特になんの感慨も覚えていないといったいつもの
そうこうするうちにも、朝のホームルームが始まって、今日一日の注意事項が手短かに担任から通達された。
『ではあ、これよりぃ、ウチの学校、第五十三回目の文化祭を開催しま〜す! みんな、楽しんでいこ〜!』
という、多少浮かれ気味の開始の宣言が全校放送でなされ、クラスの皆はそれぞれの持ち場に散ってゆく。
佐竹は午前中、他のクラスの出し物を見て回ることになるはずなのだったが、どう考えても彼がそんなことをするとは思えなかったので、内藤は一応佐竹に尋ねてみた。
「佐竹、午前中、どーしてるの?」
「本を読んでる」
簡潔な即答。
「…………」
今更言ってもしかたがないとは重々承知しているが、もう少し、今しかない青春を謳歌しようとか考えないのだろうか、この友達は。
(……考えないよな、うん。当然。)
はあ、とつい溜め息がでる。
内藤は、ちょっと言うのを迷ったが、恐る恐る佐竹に言ってみた。
「あ、あの、さ……」
「何だ」
それでもまだ少し逡巡してから、内藤はやっと口を開く。
「えっと……。余計なことかとは思ったんだけどさ。真綾さん、お兄さんと一緒に、うちの文化祭、来てくれるって言ってたよ?」
佐竹はそれを聞いて、少し驚いたように見えた。
「日程を連絡したのか」
「あ……うん。い、一応……」
内藤は、ちょっと頭を掻く。
本当は、あの真綾から、「何とか兄と一緒に佐竹さまにお会いできるよう、取り計らって頂けませんか」と、直接に、またメール等でも何度も繰り返しお願いされまくってしまったからなのだが。
「……本当に、余計なことだな」
佐竹はたったひと言、ぼそっと言って、ふいと踵を返すと、教室を出て行こうとした。内藤は、慌てて呼び止めた。
「あ、あのさっ……!」
佐竹が無言で足を止め、振り返る。
「あ、あの……。一応、さ。話ぐらいはしてあげてよ。あの子、ちゃんと佐竹に謝りたがってるし。お兄さんも、佐竹とちゃんと話がしたいって言ってるらしいし――」
そうなのだ。
前にせっかく佐竹に渡した、科戸瀬慶吾の連絡先は、あれ以来一度も利用されていないらしかった。佐竹は一度も、かの真綾の兄に連絡を取らなかったらしいのだ。
「……お前は」
佐竹が低い声で言う。見上げると、その黒い瞳がまた、じっと内藤を見つめていた。
「え?」
「お前は、それでいいのか」
(……あ。)
言われて、内藤ははたと気づいた。
そうか。あの時、自分が翔平とじゃれていたあの時の話を、佐竹がしっかり聞いていたのだとしたら。だとしたら佐竹は今でも、内藤があの真綾を好きなのだと勘違いしている可能性があるのだ。
(し、……しまった。)
内藤は、自分のうっかりさ加減がほとほといやになる。
今の今に至るまで、昨日の騒ぎのことや自分自身の気持ちのことで本当に手一杯で、そういう他の諸々のことなど、すっかり失念していたのだ。
内藤は、周囲の耳が気になって、佐竹の腕をちょっと掴んで、彼を階段の踊り場まで引っ張っていった。
自分たちのクラスはこの校舎の最上階にあるため、階段を少し上がったところにあるその踊り場には、普段から、わざわざやってくる生徒はいない。
「あ……のさ、佐竹」
「…………」
佐竹は怪訝な顔をして、内藤を見下ろしている。
「なんか、誤解してるんじゃないかって思ってたんだけど――」
「……何をだ」
少し自分の顔が赤くなったのは自覚したが、内藤は思い切って言った。
「俺、別に……、あの子のこと、なんとも思ってないからな?」
「…………」
佐竹は無言だ。その表情も、特になにも変わらなかった。
「それで?」
そして相変わらず、言葉少なである。少し腕を組んで、考える風になっている。
「えっと……、だから、俺のこと気にして、あの子のこと避けてるんなら、そんな必要はないってことで――」
言いかけて、内藤はちょっと口を噤んだ。
次第に胸が苦しくなってくるのを覚える。
とくとくと、また心臓が音をたて始めた。
(……なんだ? 何いってるんだよ、俺――。)
この言い方では、まるで「自分の事は気にせずに、あの女の子とよろしくやってくれ」と、つまりそう言ったことになるのでは。
大体、真綾はそもそもは、いい子なのだ。
佐竹に対する第一印象が最悪だったのは仕方がないかもしれないが、このままこのあと、互いにちゃんと話をするようなことになれば、そんな誤解、すぐにも解けてしまうことだろう。
お嬢様育ちすぎて、多少常識的じゃないところはあるけれど、それでも心根は優しい子だし、ものの考え方だってちゃんとしている。
佐竹が彼女に、もしもきちんと向き合ったら、実は相当、話だって合ってしまうかもしれないのだ。何より、彼女の兄は、佐竹と同じ剣士なのだから。
「…………」
そんな風に考えて、思わず黙り込んでしまった内藤を、佐竹は黙って、しばらくじっと見つめていた。
が、やがて、低い声でこう訊ねた。
「……嫌じゃないのか、お前は」
そう訊かれて、どきりとする。
目を上げると、佐竹の瞳はやっぱり静かで、ひたと内藤の瞳を見据えていた。
「………!」
きりきりきりっ、と、胸に何かが刺し込まれた。
(……イヤだ。)
胸を貫くようにして、ただその思いが閃いた。
そんなの、嫌に決まってる。
でも多分、それは佐竹が思ってるのとは別の意味でだ。
佐竹はそんな内藤を、またしばし観察するような目で見ていたが、やがて片手を伸ばして、内藤の髪をぐしゃぐしゃ掻き回した。そして、少しこちらに頷いて見せた。
「……分かった」
「え……」
驚いて目を上げると、佐竹はもう振り向いて、階段を下りていこうとしていた。
「心配するな。俺は会わない」
背中で、そう言われてしまう。
「何ならその旨、俺から兄貴のほうに連絡しておく」
「え、いや……、だから――」
その瞬間、内藤は理解した。
今の自分の表情を、佐竹が完全に、逆の意味に受け取ったのだということを。
つまりは内藤が、真綾のことを好きなのだと、佐竹は誤解してしまったのだと。
そして、こう言っているのだ。
「自分は会わない。だからお前がうまくやれ」と――。
(違う……!)
そう叫びたかったが、声が出なかった。
(違うよ、そういう意味じゃない――!)
言いたい事は、ただ頭の中だけでぐるぐる回った。
だが、それはやっぱり言えなかった。
もしも言ってしまったら、佐竹はきっとこう訊くだろう。
「だったらどういう意味なのか」、と。
もしそうなってしまったら、一体どう答えたらいい……?
そんなことを考えるうちにも、佐竹はどんどん階段を下りていく。
「待って、さた――」
内藤は手を伸ばして、離れていく佐竹の背中に追いすがろうとした。
その時。
「お〜い、ユーヤぁ? どこ居んだ〜??」
翔平の声が、眼下の廊下の向こうから聞こえてきた。その姿は、壁の向こうでまだ見えない。内藤は、びくりと足を止めた。
「もう店始まってんぞ〜? ウエイターがさぼってんじゃねっぞおぉ〜〜?」
ぺたぺたと、上履きを引きずって歩いてくる足音がする。
内藤がそれを聞いてまごまごしているうちに、佐竹はもう階段のさらに下へと回って、姿が見えなくなってしまった。
(さ、佐竹……!)
内藤は呆然として、その踊り場に立ち尽くした。
(ちがう……!)
嫌だ。
ほかの誰に、そう思われたっていい。
……だけど。
それだけは、絶対に嫌だ。
(お前は、……お前だけは、そんなこと言うな。)
きりきりと、内藤は奥歯を噛み締めた。
(お前にだけは、そんなこと――。)
ズボンのポケットに両手を突っ込み、軽い足取りでやってきた翔平が、階段上の内藤を見つけて声を上げた。服装は、内藤とほぼ同じである。
「お。ここかよ」
が、近づいて来ようとして、ぎくりとその場に凍りついた。
「……っど、どしたのよ……? ユーヤ――」
翔平が、たたっと踊り場に駆け上がったとき、
内藤は呆然とした顔で、そこの壁に凭れていた。
と、見る間にその足から力が抜けて、ずるずるとそこへしゃがみ込む。
「おい……ユーヤ?」
驚いた翔平が覗き込むようにしてきたが、内藤にはその声はもう聞こえなかった。
ただもう両腕で顔を覆い、俯いて、必死に嗚咽を堪えていた。
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