第8話 告白

(………!)


 思わず目をつぶってしまった内藤が、次に目を開けたときには、サーティークは内藤の傍に膝をついて、「なんだこれは」などと言いながらも、手足の粘着テープを剥がしてくれていた。

 内藤が慌てて周囲を見回すと、その場にはすでに、先日佐竹がやったのと酷似した状況が展開されていた。要するに、男たちは目を剥いて、それぞれ床に昏倒していたのである。

 ただ一人、ボス格であるリュウジだけが、何が起こったのかを理解できずに、その場に呆然と立ち尽くしていた。


 やがて、内藤の手足の戒めを解き終わると、サーティークは立ち上がりながら内藤に言った。

「……手数を掛けるが。通訳してくれんか、ユウヤ」

「え? あ、はい……」

 武辺の青年王は、そのまま友達に近寄るような気安さで、リュウジの傍に近づいた。ぽん、とその肩に左手を置く。右手には、勿論「焔」を持ったままだ。

 にこにこと、非常に機嫌のよさげな笑顔なのだが、その実、瞳は決して笑っていない。ちょっと小首を傾げるようにして、リュウジの顔を覗きこんでいる。

「貴様がこやつらの頭目だな。一応、警告だけはしておく」

 内藤は仕方なく、その言葉をリュウジに伝えた。

「な、なにを……」

 それでもまだ、リュウジはサーティークを睨み据え、最後の矜持でもって何かを言いかけた。しかし。

 サーティークはそこで、すらりと「焔」を抜き放った。


 何百、何千の命を奪ってきたその刀身はいま、あるじの殺気を察知してなのか、妖しい気焔を放散している。

 サーティークはそれをまた無造作に、リュウジの喉元にぴたりと当てた。

「二度とこいつに手を出すな。……次は確実に、命を頂く」

 通訳されて、リュウジはごくりと唾を飲み込んだようだった。


「これが単なる脅しだと思うのは、無論、貴様の勝手ではあるが。いずれにしても、次はない。よくよく考えることをお勧めするぞ」

 ぴたぴた、と先ほどちょうどリュウジが内藤にしたようにして、サーティークは男の頬を叩いて見せ、すっとその傍から離れた。

 と、いつの間に当身あてみを入れたのか、リュウジの体からもあっという間に力が抜けて、その場に体ごと崩れ落ちた。


「…………」

 内藤は、しばらく呆然として、男たちが累々と倒れているその床と、「狂王」サーティークの顔とを見比べていた。

 サーティークはそんな内藤を見下ろして、ちょっと苦笑したようだった。

「……どうした? 腰が抜けたか」

 言って、鞘に戻した「焔」を腰に差し、手を掴んで、ぐいと内藤を立たせてくれた。

「へ……いか」

 掠れきった声で、やっとそれだけ言う。

「無事でなにより」

 サーティークはにこっと笑って、内藤の頭をぽすぽす叩いた。

「………!」

 途端、ぶわっとあらゆるものが溢れ出たようになって、内藤は彼の胸元に取りすがり、そこに顔を埋めてしまった。

「なんだ……? どうした」

 サーティークはちょっと面食らった声を出したが、そのまま別に躊躇う風もなく、内藤の体を力をこめて抱きしめてくれた。

 内藤は体中ががくがく震えて、うまく言葉も紡げない。一生懸命こらえているのに、こみ上げてきた涙も、嗚咽も、やっぱり止まってはくれなかった。

「相変わらず、子供のようだな。……まあ今は、見てくれもそうなってしまった訳だが――」

 そしてまた、軽く頭を叩いてくれる。

 佐竹と同じ風貌でも、彼は一国の王である。勿論、中身も遥かに大人の男だ。

 実際、すでに子供までいる。


「あまり泣かさんで貰いたいものだ。でなければ、本気でこのまま連れ帰るぞ? ……『兄上殿』」

「………!」

 その呼び方を聞いて、内藤はぎくっと目を開けた。

 この男がそう呼びかける相手は、この世にたった一人しかいない。

 あちらの世界で、佐竹の父・宗之との顛末があり、この王は宗之を、第二の父として慕っているのだ。


 つまり。

 内藤は、恐る恐る、青年王が呼びかけた方へ目をやった。


(………!)


 思ったとおりだった。


 倉庫の入り口に、制服姿の佐竹が立っていた。スクールバッグを担いでいるところからして、学校からそのままこちらへ来たらしかった。

 佐竹はやや呆れたような、そして不快げな目でこちらを見ている。


(う……わ!)


 内藤は、慌ててサーティークから体を離した。

 黒髪の王は面白げな目をしただけで、あっさりと内藤の体から手を放した。

「サーティーク公。これは、一体――」

 こちらへ近づいて来ながらそう尋ねた佐竹の声は、明らかに地を這っている。

 サーティークはちょっと肩を竦めた。

「済まんな。あまり『こちら側』へ干渉すべきでないことは理解しているが。……今回は、そなたを待っている時間がなかった」

 そして、意味深な目で佐竹を見返した。

「そうしていたら、今頃ユウヤがどうなっていたか。……そなたには、わざわざ聞かせるまでもあるまい?」

 ちらりと、地べたにはいつくばっている男どもの姿と、少し外されて緩んでいる内藤のスラックスのベルトを目で示して、サーティークが片眉を上げて見せた。

「…………」

 佐竹は眉間に厳しい縦皺を刻んで、しばし沈黙していた。

 だが、やがて青年王に向き直り、姿勢を正すと、彼に向かって深く美しい一礼をした。

「お手間を取らせて申し訳ありませんでした、サーティーク公。この度は、内藤を助けていただき、心より感謝申し上げます」

「……いや。しゃしゃり出るような真似をして済まなかった」

 サーティークは片手を上げて満足げに頷くと、またにかりと笑ってそう言った。


 と、その時、内藤の耳の中で、聞き覚えのある別の男の声がした。

《その辺りにしておけ、サーティーク》

 張りと色気を感じさせる、明るい声だ。


(……あ、これって――。)


 ノエリオール王国軍、竜将、ヴァイハルトの声だった。

《アキユキ殿は、もうそこに着いたのだろう? 引き時だ。戻って来い》

 サーティークはにやりと笑うと、最後に内藤の頭をまた、ぐしゃぐしゃと掻き回した。

「時間切れのようだ。……ではな、ユウヤ。『兄上殿』」

 言ったかと思うと、その背後にばちばちと音を立てて口を開けた真っ黒な丸い《門》の中に、サーティークはあっという間に身を躍らせた。

「へ、陛下……!」

 内藤はびっくりして、彼の後を少し追いかけそうになった。

 佐竹が後ろから、内藤の肩を掴んで引き止める。

「あのっ、あの……! あ、ありがとうございました……!」

 必死でそう叫んだ声は、果たして彼の耳に届いたものかどうか。

 開かれたその《門》は、出来たときと同様、またあっという間に空間に溶け込んで消えてしまった。



                 ◇



 その後、佐竹は前回と同様、彼らの顔をスマホで写真に収め、警察に通報し、その後の顛末を物陰から、ある程度確認していた。勿論、警察が到着する前に、佐竹は男らの車の中から内藤のスクールバッグとスマホを持ち出してくれていた。

 彼らがまたパトカーに乗せられて運ばれてゆくのを見届けて、その場を離れた時にはもう、夜の九時を回っていた。


 内藤はあの後、自宅の最寄り駅から、どうやらあの男らの車に乗せて運ばれてしまったらしかった。随分遠いところまで来てしまっているようで、周囲は様々な工場が立ち並ぶ、見慣れない区域だった。工場の周囲を取り巻いた高いフェンスで敷地の中は覗きにくい上、人通りもあまりない。

 すぐ傍に国道と、その頭上を走る高速道路があるものの、すぐ近くに鉄道がある地域ではなかったため、佐竹は仕方なくタクシーを使うことにしたようだった。

 佐竹はすでに内藤の父、隆に早々に連絡を取り、洋介の迎えにも行ってもらっているということだった。今頃はもう、二人とも自宅に着いているはずだと言う。内藤は、それを聞いてひと安心した。


 タクシーを拾うまでの道すがら、佐竹は内藤に、ここまでの顛末をかいつまんで説明してくれた。

 内藤がかの男らに連れ去られてから十分ほど経った頃、佐竹はあの最寄り駅に到着した。そこで、あの将軍ヴァイハルトから、《鎧》による通信が入ったのだという。

「二日後の十一月朔日に、俺は先日のナイト王同様、サーティーク公に、この時間のお前の救援を要請したらしい」

 その後、佐竹はヴァイハルトから、内藤の連れ去られた地点について様々な情報を与えられながらその後を追ってきた。ヴァイハルトは、《鎧》の機能のひとつである《まなこ》、つまり追跡カメラのようなものを利用して、内藤の所在を確かめてくれていたらしい。

 そして、サーティークは《鎧》の《門》の機能を使って、事前にその地点へと移動し、同様にヴァイハルトと連絡を取り合いつつ、内藤を連れたあの輩がやってくるのを物陰で待っていたというのだ。

 そして、佐竹がどうやら間に合わないと見るや、かの武辺の青年王はあの場に飛び出して、あっさりと内藤を救い出した。

 流れとしては、そういう事のようだった。


「まったく、こうも無茶なことをしてくれる――」

 工場地帯の中を通る道を行きながら、佐竹はやや、溜め息交じりにそう言った。

 いくら彼らの世界が空間的に相当な距離のある惑星だとはいえ、それでも未来の住人が、こちらの世界、しかも過去の時間軸に対して干渉しすぎるのはいただけない。

 未来の彼らの歴史に重大な影響でも出たら、一体どうするつもりなのか。

 佐竹は大体そんな内容のことを、多少呆れ混じりに内藤に説明した。

「まあ……とはいえ」

 それでも内藤の身に取り返しのつかないことが起きるよりはと、サーティークがそう判断してくれたことを、佐竹は素直に感謝もしているようだった。


「あ……の。ごめんな……? 佐竹……」

 やっぱり手首を佐竹に握られるようにして引っ張っていかれながら、内藤は小さな声でそう言った。佐竹がふと、それを聞いて足を止める。

「あの、俺が……、先に一人で帰ろうなんて、しちゃったから――」

 言葉の最後は、どうしても声が尻すぼみになった。内藤は項垂れて、もうアスファルトの上の、自分のつま先しか見ていないほどだった。

 街路灯の薄ぼんやりした光が、二人の影を足元に落としている。


「…………」

 佐竹は、内藤の手首を掴んだまま、少し沈黙したようだった。

「……そうだな。それは確かに」

 しかし、佐竹の声も瞳も、前の時ほど怒っている風ではなかった。

「どんな事情があったかは、また話してくれると有難い。……だが」

 佐竹は内藤に向き直り、その腕を握っている手に力をこめた。

「ともかく、お前が無事でよかった」

「………!」 

 内藤は、驚いて目を上げた。自分の目線が佐竹の瞳と真正面からぶつかって、どきんと心臓が跳ね上がる。

 佐竹の瞳はまっすぐで、声と同様、やっぱり静かだった。そして、ただ安堵したように、ひどく優しいものに見えた。


 その目を見た途端。

 内藤の内側から、何かがもう、堰を切ってあふれ出してしまった。

「さ、……さた……っ」

 ぼろぼろ零れだした涙はもう、何をどうやっても止まることはなさそうだった。内藤は、佐竹に握られていないほうの手で必死にそれを擦り続けた。

「ごめ……、俺……っ」

 子供みたいにしゃくりあげてしまうのを、もうどうしても止められない。

「もういい」

 言いながら、佐竹が掴んだ内藤の手首をさりげなく引いたようだった。

 そのまま、丁度先ほどサーティークがしたように、胸の辺りにゆるく抱き込まれる。そしてやっぱり、子供にするようにして、ぽすぽす頭を叩かれた。

 内藤は、ちょっと信じられないような思いで、佐竹の胸に頭を預けていた。


(これって……いいのかな。)


 これは、飽くまでも「友達」として、佐竹が自分にしていることなのだろうか?

 「友達」って、簡単にこういうことをする間柄のことだっけ……?


 なんだろう。

 わからない。


(いや……もういい。)


 今は、もう考えない。

 今は、もうほんのちょっとでも、

 佐竹がこうしていてくれるなら――。



 どのくらいそうしていただろう。

 やがて佐竹が、遂に落ち着いた声でこう言った。

「あんまり泣くな。……本当に、こうに連れて行かれるぞ」

 内藤は、耳元で聞こえたその台詞に驚いた。思わずちょっと、顔を上げる。

「え? いや、あんなの……冗談でしょ?」

「そんな事はない」

 佐竹はすうっと、目を細めてそう言った。今度は明らかに、声が剣呑だった。

「あの王、冗談ごかしには言ってるが。あれで結構、本気だぞ」

「え〜……。ま、まさかあ……あははは……」

 笑い飛ばそうとして佐竹の目を見たら、それは紛れもなく「この目のどこが冗談だ」と言っていた。

 内藤は凍りつく。


(……マジですか。)


 そういえば、よくよく思い出してみれば、あの青年王、内藤が混乱しているのをいいことに、随分しっかりと自分を抱きしめていたような気がしなくもない。

 そのあたりも、やっぱり佐竹とは違って海千山千ということか。

 まったく、油断も隙もない。


 内藤は、ちょっと血の気がひくのを自覚した。


(うあ〜〜……。俺、気ぃつけよ……。)



                 ◇



「明日は文化祭だ。早く休めよ」

 内藤の自宅前でタクシーから彼だけを降ろし、佐竹が素っ気無くそう言った。

「うん。今日はありがと。……おやすみ、佐竹」

 内藤が、少し恥ずかしそうにそう言うと、佐竹は軽く頷いた。

「ああ。……明日な」

 彼の乗ったタクシーが走り去って行くのを、内藤はしばらく見送っていた。


 それから。

 ほんの、ほんの小さな声で、

 口の中で呟いてみた。



「好きだよ……佐竹」



 言ってしまったら、胸の奥から、ふつふつと温かいものがあふれ出した。

 そして、なんだか清々した。

 内藤は、そこで大きく息を吸って、深呼吸した。

 そうして、そのままくるりと振り向いて、玄関の中へ入っていった。


 雲の少ない、晴れた明るい夜だった。

 夜空には、大きな満月が上がっている。


 今年の中秋の名月が、そんな二人を見下ろしていた。

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