第3話 戸惑い
翌朝。
「おはよ〜。佐竹」
「ああ。早いな」
別に毎朝一緒に登校してるわけじゃないんだけど、俺は途中でたまたま佐竹と合流して、今朝は校門まで一緒に歩いていった。
今日は曇天で、空はちょっと鉛色だ。
と、校門を抜けたところで、大柄な男子生徒が佐竹を呼び止めた。
「あっ! おはようございます、佐竹さん!」
はきはきした、大きな明るい声。いかにも「体育会系です」って風貌の、短髪で素朴な感じの人だ。身長は、佐竹よりは少し低い。
「おはようございます、林田先輩。……何度も申し上げますが、どうか自分に、敬語のご使用はおやめください」
佐竹はちょっと困った風情で一礼し、相手を見返してそう言った。佐竹が「先輩」って言うからには、多分三年生なんだろう。
だけど、先輩なら、なんで佐竹に敬語使ってんだ? この人。
「いやいや、そういう訳には行きません! 佐竹さんはもうほとんど、うちのコーチみたいなもんですから!」
朴訥という言葉が本当にぴったりくるような感じの林田さんは、ぶんぶんと顔の前で手を振った。姿勢を正して、佐竹にびしっと礼までしている。なんか、見るからに真面目そうな人だなあ。
「どうぞ今後とも、うちの部をよろしくお願いします!」
「…………」
ああ、佐竹が心底、困った顔になってるぞ。
そりゃそうだ。なんで年上の人からコーチ呼ばわりされて、敬語で話しかけられなきゃなんないの。
それで思い出したけど、佐竹ぐらいのレベルで敬語を操るのって、結構難しいよなあ。俺なんかもう、全然だもん。むこうの世界でこいつの話してるのを聞くまで、本気で「です・ます」さえつければ敬語だとか信じてたぐらいだし。
ああ、色々恥ずかしいなあ、俺。ほんとは二十四なのにさ。高二からやり直せて、ほんと良かったかも。
ちなみに佐竹は、先日の大会以来、一応うちの剣道部の部員になってはいるものの、部そのものには週に二回ぐらいしか顔を出さないらしい。
なんといっても、他の部員たちと佐竹との実力差がありすぎて、部員の方はともかく、佐竹の稽古にはならないのだ。そんな訳で、佐竹は基本、今までどおり山本師範の道場に通って自分の稽古を積む傍ら、部活では素人同然の顧問の先生の代わりに、部員たちの指導に当たっているんだそうだ。
大変だな〜、佐竹。
俺ん
そのうえあっちの世界のために、いろいろ資料まで集めたりしてさ。
自分の鍛錬やら何やらもあるんだろうに。
文武両道で、超多忙。それって、まるで――。
(『あっちの世界』の王様と、やっぱりそっくりかも、こいつ。)
「今日は、部活に来ていただける日でしたよね。どうぞよろしくお願いします!」
最後にひと言そう言って一礼し、林田先輩は自分の校舎の方へ行ってしまった。
(……そっか。今日は部活の日か〜。)
そう思って先輩を見送る俺を見て、佐竹が言った。
「そういうことだ。今日は一人で帰ってくれ」
なんだか、あんまり機嫌がよくなさそうだ。
「ああ、うん。分かった……」
俺はそう返事をして、下駄箱のある玄関ホールに向かって歩いてゆく佐竹の背中を追いかけた。
◇
そして、放課後。
なんだかまた、昨日に引き続き、クラスメートの翔平が騒いでいた。
「ま〜た校門に来てるんだってよ、あの美少女! 見に行こうぜ、見に行こうぜ〜! なあ、祐哉〜!」
首にぐわしっと腕を回されて、ほとんど引きずられそうになる。
「え〜〜。いやもう、いいよ、俺は……」
いや、その子のお目当ては佐竹だろ。つまり、まだ諦めてないってことか。これ以上、あいつに何が言いたいんだろう。
俺はもう、正直、顔を合わせたくないんだけどなあ。
第一、背後から飛んできている、
(……ん? でもなんで痛いんだ……?)
そう思ってそうっと背後を見ると、佐竹はもうバッグを担いで、こちらに一瞥をくれようともせず、教室から出て行くところだった。背の高い奴って、足も長いから、歩くのが早いんだよなあ。
剣道部に行くことは聞いてるんだし、このまま帰るしかないか。
俺は諦めて鞄を担ぎ、翔平と一緒に正門まで歩いていった。
校門脇に、昨日とまったく同じ姿、同じ姿勢で、あのお嬢様が立っている。
「おお〜、ほんっと、掛け値なし、ほんまもんの美少女だよなあ?」
俺の首に腕を回したまんま、翔平が嬉しそうににやにやする。こいつ、親戚筋に関西の人がいるらしくて、時々言葉が微妙にあっち寄りになるんだよな。
「あ〜、うん。そーだな……」
でも俺は、あのきつい性格にはきっとついていけない。どんなに顔が可愛くたって、やっぱ、合う合わないってあると思うよ。
と、お嬢様――いや、
「あ、……あの」
ちょっと、躊躇いがちに呼び止められる。
「お!? なになに? 俺になにか――?」
途端、翔平が嬉しそうに破顔して、自分の鼻先を指差した。
「あ、……いえ。あなたではございませんわ」
ぴくっと神経を苛立たせたように眉を上げて、一言のもとに美少女が否定した。
「え〜〜? 俺じゃないの〜? んじゃ、誰よ?」
ちょっとふてくされたようになって翔平が言い募ろうとするのを、俺は仕方なく押しとどめた。
「……ごめん、翔平。多分、俺……」
言って、首にまわっていた翔平の腕を外す。
「ええっ? うっそ、だろ……」
目が点になっている翔平に、俺はちょっと苦笑してみせた。
「いや、俺っていうか、なんていうか――」
ばりばり首の後ろを掻く。
つまりこれは、「将を射んと欲すれば」、とかいうあれだと思うんだよなあ。
要するに俺は、「馬」ってことだよ。
「ごめん、翔平。先、行っててくんない?」
片手を上げて拝む真似をすると、翔平はちょっと目を細めて訝しげな顔になったが、すぐににやりと笑って頷いてくれた。
「わ〜かったよ。明日また、ぜってー話、聞かせろよ〜?」
言って、ぺしっと俺の後頭部をはたいてから、ひらひらと手を振ると、翔平は殆ど中身の入ってないスクールバッグを肩に引っ掛けて、ぷらぷらと歩道を帰って行った。
翔平の背中がある程度離れたのを確認してから、科戸瀬さんは俺のほうに向き直った。
「……あの」
けど俺は、彼女の言葉を待たなかった。
「佐竹なら、今日は部活で遅くなるって言ってたよ? 今日はあと、三時間ぐらいは出てこないと思うけど――」
それを聞いて、美少女は見るからに落胆したようだった。
「あ、……そ、そう。そうですか……」
なんだか、昨日みたいな覇気がない。一体どうしちゃったんだろ。
(ん〜〜。)
どうしよっかな。
俺は、頬のあたりをぽりぽり掻いた。
言おうか言うまいか、逡巡したのだ。
「えーと……、あのさ、科戸瀬……さん?」
「『真綾』、で構いませんわ。学園の皆様は、『真綾様』とお呼びくださっていますので――」
少女はやっぱり、沈んだ声でそう言った。
いやでも、純粋培養庶民の俺には、「真綾様」はいくらなんでも敷居が高いよ。
俺は、ちょっと考えた。
「あ〜、えっと。それじゃあ、真綾さん。こう言っちゃあなんだけど、昨日のあれ、佐竹には相当、まずかったと思うんだよ?」
「え……」
真綾さんが、驚いたように目を上げた。
俺は、きっちり笑顔を作って、まるで小さい子に言うみたいに、噛んで含めるようにして言った。
「ん〜と、なんていうか……。ああいう、ちょっと上からって言うか、強引なこと、あいつ、すっげぇ嫌いだからさ」
そうだよな。第一印象としては、きっと最悪の部類だったに違いない。そうでなきゃ、いくらあいつでも、初対面の相手を「愚か者」呼ばわりはしないと思う。
「…………」
真綾さんは、項垂れた。
(……う。)
気のせいか、ちょっと泣きそうな顔になってるぞ。
泣かないでよ? 頼むよ。このシチュエーションじゃ、どう見たって俺が泣かしたみたいに見えるからな。お願いしますよ。
俺は、なるべく優しい声を出して、もう一度真綾さんに訊いてみた。
「あのさ、真綾さん。なんで佐竹に会いに来たの……?」
「…………」
「あいつとお兄さんの試合のことで、何か不満があったから、とか……? 本当に、そうなの……?」
少女は、何も答えない。
ただ黙って、自分の靴のつま先を見つめたままだ。
(ああ……違うんだな。)
俺は、何となく理解した。
昨日、佐竹に向かってあんな風に叫んでしまったのは、単なる売り言葉に買い言葉ってやつだったに違いない。この子が本当に佐竹にしたかった話ってのは、そういうことじゃないんだろう。
(それって……つまり。)
とくとくと、自分の心臓の音が早くなってきた気がして、俺はちょっと驚いた。
(……なんなんだ。)
この子が「そういう」理由で佐竹に会いに来てたからって、それがなんだって言うんだよ。
あいつがもてることなんて、俺はずっと前から知ってるじゃないか。
今更、何を驚くことがある。
ましてやこの子が、お兄さんの試合を見に行って、佐竹が剣を振ってるところを見たんだとするなら、尚更だ。
佐竹のあの姿は、ほんとに綺麗だ。
別に女の子でなくたって、惚れそうになるんじゃないかな。
俺は、あいつが竹刀を振ってるところはちょっとしか見たことないけど。
でも、「あっちの世界」で、愛刀「
あんなところを見せられて、ころっといかない子なんかいるのかって思うぐらい、佐竹が剣を振る姿は美しい。ぞくぞくして、どきどきして、男の俺だって憧れるよ。
まあそこで、「俺、女の子だったら良かったな〜」とか、そんなことまでは思わないけど。
そんな事を考えながら、俺はしばらく、ちょっとぼうっと真綾さんを見ていた。
と、ふと気付くと、真綾さんがスカートを両手で握り締めるようにして、ひくひくと肩を震わせ始めていた。
(あ。……やべ。)
でも、もう遅かった。
真綾さんの綺麗な睫の生え揃った両目から、もうぼろぼろと、大粒の涙が転がり落ち始めていた。
「わ……、わわ、真綾さんっ……?」
俺は慌てて、周囲をきょろきょろ見回した。校門を歩きすぎていく生徒たちも、一般の通行人の人たちも、物凄く責める視線でもって俺を見ている。
(やっぱり、こうなっちゃうのか、俺……!)
ちょっと、天を仰ぎたくなる。
曇った空からも、今にも涙が落ちてきそうだ。
「おに……っ、さま、がっ……!」
真綾さんが、しゃくりあげながら何か言ってる。
「え? なに……??」
俺は思わずちょっと顔を近づけて、その声を聞き取ろうとした。
「恥ずか、しい真似を……するな、って――」
引きつる声で、やっとそんな事を言ってるのがどうにか分かった。
(……なるほど。)
俺はちょっと、溜め息をついた。
その、慶吾とかいう三年生のお兄さんが、昨日のことを何かで知って、馬鹿なことをしでかした妹をこっぴどく叱りつけたと、どうやらそういうことらしい。じゃあ今日は、そのお兄さんに言われて、佐竹に謝りに来たってことなのかな? この子。
……いやまあ、お兄さんが怒るのも当然だとは思うんだけど。
「ちがっ、のにっ……!」
言いながら彼女がポケットから取り出したのは、もう「いかにも!」って感じのレースのハンカチだった。
「え……?」
「わた、くしっ……、んな、じゃなくっ、てっ……!」
ああ、うんうん。分かるよ。
そういうこと、しに来たかったわけじゃないんだよな、この子。それなのに、お兄さんにまで誤解されて、めちゃくちゃ怒られたら、そりゃ泣くよなあ。
(……あれ?)
一生懸命涙を拭ってるそのハンカチのはじっこに、なんだか可愛いクマの刺繍がしてあるのが目に入って、俺はちょっと笑いそうになった。
それでやっぱり、ちょっとこの子が気の毒になった。
「……ね。とにかく、真綾さん」
俺は、なんとなく弟の洋介が泣いてる時みたいに、静かに笑ってこう言った。
「ちょっと落ち着こ? ええっと……、今日も車で来てるの?」
彼女は口許をハンカチで押さえたまま、こくんと頷いた。
その時、遂に、空からもぽつりと、冷たい雫が落ちてきた。
「……そか。じゃ、車に戻ろ? 雨も、降ってきちゃったし――」
言って、こないだ停まってたのと同じ、黒塗りの高級車を目で探した。
それはやっぱり先日と同じところに停まってた。運転手の男の人は、大事な預りもののお嬢様が変な男子高校生に泣かされてると思いこんでいらっしゃるのか、心配そうな目でこっちを睨んでいるようだった。
(ああ……。勘弁してくれよ。)
俺はちょっと肩を落として、真綾さんを促すと、二人でその車の方へと歩いていった。
その時そうしてしまったことを、俺は後になって死ぬほど後悔することになるんだけど、その時はそんなこと、勿論少しも考えてやしなかった。
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