第2話 待ち伏せ
佐竹は、校門の傍に立っていたその子を見たまま、少しだけ立ち止まっていたけど、やがてまた歩き出した。
その表情は、もういつものそれに戻っている。
俺はちょっとほっとして、佐竹について歩いていった。
佐竹は、さっき一瞬見つめ合ってたにも関わらず、彼女の前を、何も気付かなかったような風でさっさと歩き過ぎようとした。
(あれ? いいのかな。)
と、俺が思う間もなく、向こうから先に声が掛かった。
「佐竹様」
それは、その子の雰囲気にぴったりはまる、澄んだ品のある声だった。でもちょっと、その中に緊張が漂っているようなのは、俺の気のせいなんだろうか。
ぴたりと佐竹が足を止める。
「佐竹煌之様でいらっしゃいますわね?」
彼女はもう一度聞きなおして、真っ直ぐに佐竹の顔を見た。背丈が佐竹の胸元ぐらいまでしかないので、相当顔を上げないと、目と目を見て話をするのは難しそうだ。
「……そうですが、何か」
佐竹の声は、ごく素っ気無いものだった。
気のせいか、視線もちょっと冷ややかだ。
やっぱり、別に知り合いってことではないらしい。俺は何となく、ほっとした。
その子はぴりっと背筋を伸ばして、頬を上気させながら、佐竹を真っ直ぐに見上げて言った。
「お初にお目に掛かります。わたくし、
うわあ。絵に描いたような「お嬢様しゃべり」だよ。
その名を聞いて、ふと佐竹が訝しげな目になったようだった。
「科戸瀬……?」
「どうぞ、以後、お見知りおきくださいませ」
軽くスカートを持ち上げて会釈する姿も、堂に入ってて美しい。俺はただ呆然として、佐竹の後ろで目を白黒させるばかりだ。
周りの生徒たちも似たようなもので、もう男女問わず、「なんだなんだ」とばかりに、さっきから好奇の視線をばしばし送ってきている。
科戸瀬真綾と名乗った少女は、ちらっとそんな周囲の様子に目を走らせてから、綺麗な笑顔でにっこり笑った。
俺はなんとなく、それを見て背中がぞわっとした。なんでかは、分からないけど。
それは何か、ある種の予感めいたものだったのかもしれない。
勿論、そんな事に気づいたのは、それからずっと後になってからのことだったけど。
「こちらで立ち話というのもなんですわ。車を待たせておりますの。帰りはきちんとお送り致しますので、よろしかったらお乗り下さいませんこと?」
なんか、ちょっぴり物言いが高飛車だな。言葉遣いは丁寧だけど。
この有無を言わさぬ感じが、「超絶上から目線」だし。
やっぱり、生まれながらのお嬢様って、こんなもん?
「ちょうど、お昼の時間でもありますし。よかったらお食事でも致しませんこと? そちらのお友達も、ご一緒で構いませんことよ?」
にこにこしながら、こちらにもその視線が飛んでくる。
「え? お、俺……?」
いきなり話の矛先がこっちを向いて、俺は面食らった。
いや、困るよ。買い物もあるし、洋介の迎えにも行かなきゃなんないしさ。
第一、今日は卵の特売日だ。
と、ここまで黙って聞いていた佐竹が、俺の前にずいと立ちふさがった。何となく、俺を守るみたいな感じだった。
「……お断りする」
答えも至って端的だ。
「あら、どうして?」
科戸瀬さんは、笑顔を崩さなかったけど、ぴくりと微かにその眉が動いたのを、俺は見逃さなかった。
「見ての通り、下校途中だ」
「それは、存じ上げておりますわ」
なにかちょっと、お嬢様の声音がむっとした。
佐竹は特に表情も変えないで淡々と言った。
「そもそも、下校中のいたいけな未成年を、勝手に車に同乗させて連れ去るとなれば、この場で警察を呼ばれても文句は言えんが?」
「…………」
えーと、ごめん。
どこに「下校途中のいたいけな未成年」がいるのか、ちょっと考えちゃったよ、俺。
佐竹は立て板に水よろしく、言葉を続けている。
「しかも、当人が拒絶しているともなれば、そのまま未成年者略取及び誘拐罪に当たる、立派な犯罪行為ということにもなる」
お嬢様の目が、明らかにかっとなったように見開かれた。
「まさか、わたくしがそんなこと……。それは失礼ではございませんこと?」
佐竹は少し黙ったが、やがてまた低い声でこう言った。
「なんの目的があるのかは存じ上げないが。なんにしても、迷惑が掛かるのはあんたの兄上の方だと思うぞ」
「………っ」
きりっと、科戸瀬さんが唇を噛んだ。
ああ、綺麗な子って、怒ると更に綺麗なんだな。
(……ん? 『兄上』?)
そこで初めて、俺は佐竹の台詞の中の、その単語に気がついた。
「お、……お兄様のことは、べつにっ……!」
「関係ない」と、少女は言いたいらしかった。
「……そうか。それは失礼した」
佐竹はあっさりそう言ったが、やっぱり彼女の誘いに乗る気は一切ないらしかった。
そして、相変わらずの静かな口調で、とうとうダメ押しを言い放つ。
「ともかく。兄上ご本人ならいざ知らず、
佐竹の目も、声も、至って静かなものだった。
(だけど……。)
なんか、ものの言い方が現代人じゃなくなってるぞ、佐竹。
どっちかってゆーと、あの異世界の、黒髪の王様みたいだ。
まあ、顔はそっくりなんだけどさ。
「な……、な……!」
美少女は、小さな拳を握り締めて全身をぷるぷるさせている。
「あ……、あなたっ……!」
もう完全に、「かちんときた」という顔になっている。
「ちょっと、調子に乗っていらっしゃるんじゃありませんことっ……?」
そして突然、そう叫んだ。
「一度くらい、お兄様に勝てたからって――!」
(……げ。)
俺は思わず、血の気がひいた。
「調子に乗る」って?
この子、何を言い出すんだ。
それぐらい、佐竹から遠い単語もないと思うよ、俺は。
その時、三人の中で一番真っ青になってたのは、多分俺だったと思う。
俺は恐る恐る、隣の佐竹の顔を窺った。
(うあ……。)
案の定、とっくに「冷ややか」を通り越して、佐竹の目が据わり始めている。
(ま、まずいって、ちょっと……!)
だけど、俺が止めるよりも先に、彼女はもう言い募っていた。
「こっ……この間は、お兄様もちょっと調子が悪かっただけよ……!」
堰を切るようにして、彼女の口から言葉が飛び出る。
「いつものお兄様なら、貴方なんかっ……! 貴方なんか、一瞬で倒しておしまいになるんですからっっ!」
わあ、顔が耳まで真っ赤だよ。
その綺麗な瞳からは、まるで炎が噴き出すみたいだ。
これは相当、気の強い子だよ。
だけど、その一方で、この
……あ、ごめんなさい。
「…………」
佐竹が、すうっと目を細めた。
(……あ、やばい。)
俺はそれを見て、さらに血の気が引いた。
これ、怒る寸前のこいつの癖だ。それで慌てて、二人の間に割って入った。
「あ、あああ、あのっ! やめようよ、ねっ? 二人とも……!」
佐竹もさすがに、女の子相手に手を上げたりはしないはずだけど、このちょっと鋭すぎる舌鋒で気持ちを傷つけることぐらい、いくらでも出来るんだからさ。
「おっ、落ち着こう! ねっ? 校門で他校の生徒と喧嘩とか、まずいって……!」
佐竹はちょっと黙って、俺と彼女とを見比べてたけど、やがて少し溜め息をつくようにして言った。
「……行くぞ。内藤」
そしてくるりと踵を返すと、もう後も見ないで大股にずんずん行ってしまった。
「あ、うん。ご、ごめんね? えーと……科戸瀬さん」
科戸瀬さんは何も言わず、ぎろっと凄い目で俺を睨んだだけで、ぷいと反対方向へ振り向くと、もうぷんぷんしながら、やっぱりどんどん行ってしまった。
向こうに、なんだかでかい黒塗りの高級車が停まってる。彼女が近づいていくと、運転手らしき中年の男が急いで出てきて、彼女のために後部座席の扉を開けた。
「うあ〜〜……。何なんだよ、これ、一体……」
俺はちょっと肩を落とした。
でも、もうはるか遠くまで行ってしまった佐竹の背中に気がついて、慌ててそちらへと走り出した。
「なっ、なあなあ、佐竹っ……!」
やっと佐竹に追いついて、俺はその隣に並んだ。
佐竹は、何も答えなかった。ただもう大股に道を行くだけだ。こいつが大股で歩くと、もうそれだけで結構な速さがある。
ああ、やっぱり、眉間に盛大に皺が寄ってるよ。
「あ……、あのさ……」
「何だ」
あ、やっと返事をしてくれた。まあ別に、俺に怒ってるわけじゃないんだから、それはそうか。
八つ当たりとかそういうことは、絶対にこいつはしない。なんだかんだで、理性と客観性の権化みたいな奴だからな。
俺は恐る恐る、さっきから気になってたことを佐竹に訊いてみた。
「あの……。さっきの子、もしかして……『マールちゃん』って
「馬鹿言うな」
佐竹は、吐き捨てるようにしてそう言った。
「マールはあんなに愚かじゃない」
「…………」
俺はちょっと、絶句した。
そして。
(……あれ?)
なんだろう。
なんか今、胸の中が、ちょっとだけきゅってなったような。
その痛みの理由もよく分からないままに、俺は凄まじい速さで歩いていく佐竹に必死についていくようにして、お昼の町並みの中を歩いていった。
◇
「で? さっきのあの子って、佐竹の知り合いの妹さんなの?」
街の中央図書館に入ってから、俺は何かの資料を探しているらしい佐竹について行きながら、恐る恐る訊いてみた。
佐竹は書棚から資料を抜き取る手を一瞬止めて、俺をちらりと見返った。
「なぜそう思う」
随分、意外そうな声だ。
「いや、だって……。さんざん『お兄様』とか言ってたし?」
一応、図書館の中なので、声はなるべくひそめている。
「……確かにな」
ひと通り、目指す資料を探し出して、図書館員の許可を取り、必要な部分のコピーを頼んで、佐竹は図書館を後にした。なんか、ちらっと見えたところだと、自動車とか飛行機とか鉄道とか、そんなものの駆動系とか内部構造についての記述がどうのこうの……って記事みたいだった。
つまり、「あっちの世界」への技術協力の一環ってことかなと思う。
ま、そうだよな。十月の
図書館を出て、まずはスーパーに寄って買い物をし、俺たちはそのまま俺の家に戻った。それでそのまま、二人でパスタを作って昼食にした。洋介は、普通に学校で給食を食べてから帰ってくる日なので、帰宅までにはまだ時間がある。
今日は、鮭としめじの和風パスタだ。俺は例によって、佐竹に手順を教えてもらいながら具材を切って、炒めていく。佐竹が一人でやっちゃうと、もう手早すぎて何がなんだか、覚える前に出来ちゃってるからなあ。
出来上がったパスタで食事をしながら、佐竹はかいつまんで、ことの顛末を説明してくれた。
まとめると、大体こんなことだ。
先月、夏休み中に九州地方で行なわれた、予選不要の全国高等学校剣道大会、男子の部の決勝で、佐竹はさっきの子の兄、
剣道暦としては三年ものブランクがある佐竹は、当然、うちの高校の剣道部にも所属してなかったわけだけど、今回、山本師範の口利きもあって途中入部を許された。そして、この大会に参加することになったらしい。
とは言ってもうちの剣道部、今までは別に強くもなんともない部だったらしいんだけどさ。俺なんて、そんな部があること自体、知らなかったかも。ごめんね、剣道部。
そんな部が、今年は佐竹が急遽参加したことで、一気に大会の上位に駆け上がった。
試合は五人制勝ち抜き、トーナメント制だとかで、要するに相手校の五人を全て負かせばこちらの勝ちだ。科戸瀬慶吾って人は向こうの大将で、もちろん結構な腕の相手だったみたいだけど、佐竹はその前の四人に勝ち抜いた挙げ句、あっさりその人にも勝ったらしい。
いや、佐竹としては、別にあっさり勝とうとか思ったわけではないらしいけど。
でも、分かるよ。今の佐竹に、そうそう勝てる奴はいないだろ。
それに佐竹は、対戦するからには、決して初めから相手を見下したり、侮ったりして手を抜くような戦い方をする奴じゃない。今のこいつが集中して、全身全霊で当たったら、そりゃ普通の高校生じゃ相手にならないのは目に見えている。
まあ、ともあれ。
佐竹に言わせると、その相手の妹が、試合の結果に何か不満でもあって、ああしてわざわざ校門前で待ち伏せまでしていたのだろうと、そういうことになるようだった。
「ご苦労なことだ、まったく」
佐竹はやっぱり、一言のもとに斬って捨てた。
「…………」
俺も、ちょっと考える。
そりゃそうだよな。いや、もしそれが本当なら、だけど。
まあそのために、あの運転手さんだって本来の仕事とは違うことで使いたてられてる訳なんだし。お嬢様だからって、自分のわがままが何でも通るとか思うのは間違ってるよな。
(けど、ほんとにそうなのかなあ……?)
俺は、ちょっとひっかかっていた。
見た目が可愛いだけじゃなく、結構、聡明な子みたいに見えたのに。
当の慶吾とかいうお兄さんだって、自分の負けた対戦相手に、妹が文句を言いに行くことなんて、本当に望んでいるだろうか。
(それに……。)
ほんとのほんとに、彼女の目的って、それだったのかな?
あの、真っ赤になって小型犬みたいに吠えまくってた顔を思い出す。
(んん〜〜……。)
なんとなく、俺はそうじゃないような気がして仕方がないんだけど。
いや、確証なんてないけどね。
佐竹は黙って、考えこんだ俺を暫く見ていた。が、やがて空になった皿を持って立ち上がり、いつもと変わらない声で静かに言った。
「さっさと食べろ。洋介を迎えに行く時間までに、今日の試験の見直しをするぞ」
「え――――っ!?」
思わず不満の声を上げてしまってから、俺ははっと口を押さえた。一瞬で、佐竹の周囲の空気が冷え込んでいる。
「……文句があるなら、俺が納得できるように、筋道を立てて説明してみろ」
体の前で腕を組んで、完全に目が据わってる。
怖い。怖いです、佐竹君……。
「あー。え〜っと、う〜っと……いや、ないです。ごめんなさい……」
ううう、やっぱり鬼だよこいつ。
せっかく、試験が終わってちょっとゆっくりできると思ってたのに!
それも、「ちょっと」だよ?
「ずーっと」なんて、別に思ってないのにい!
どうやら俺は、相当、情けない顔になっていたらしい。
なんてったって、佐竹の雰囲気がちょっとだけ柔らかくなって、次の言葉を引き出すことができたから。
「……とりあえず、今日のところは六十点が取れていれば良しとしてやる。後は寝るなり休むなり、好きにしていればいい。俺は道場の方に行くしな」
「えっ、ほんと!? やったあああ!」
ばんざい、と両手を上げて喜んでしまう。だけど、やっぱり佐竹は容赦がなかった。
「それは、取れていてから言う台詞だな」
しれっと半眼で突っ込まれて、俺は再び、しゅんとなって黙り込んだ。
「はあ〜〜い……」
ああ、やっぱりこいつは「鬼教官」だよ……。
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