第1話 秋風(しゅうふう)
「なーなー、校門のとこ、すっげえ可愛い子が立ってるってよ! 見に行こうぜ、なあ、
クラスメートの今井翔平にそう呼ばれたとき、俺は机の上に突っ伏して死に掛かっていた。
「あ〜……。え? なに……?
九月下旬に行なわれた今学期二回目のテストは、実力考査だった。
英語と数学だけなんだけど、あまり人には言えない理由で、夏休み中に大変な学習上のブランクを抱えている俺には、それなりに大変なテストだった。
物凄く頼りがいのある、しかも無償の家庭教師が全面バックアップに回ってくれているとはいえ、それでもやっぱり、脳味噌は爆発寸前だ。今はひたすら、ヒートアップしすぎた脳細胞を休ませてやりたかった。
「あ〜。ごめん、翔平。俺は、いい……」
言って、片手で相手を拝み、ぱたりと机に額をくっつけて倒れこむ。
「そお? そんじゃ俺、行ってこよっかな〜」
そう言うと、茶髪ツンツン頭のクラスメートは、踵を履き潰した上履きを引きずるみたいにしながら、軽い足取りで教室から出て行った。
俺はそのままの姿勢で、スクールバッグの中からごそごそとスマホを取り出し、電源を入れた。
(あ、メール。)
早速開いてみる。
『 大丈夫か 』
たったひと言。
いつもだけど、らしいよなあ。
俺はちょっと苦笑して、同じ教室内にいるそいつに、たたっと素早く返メした。
『 大丈夫だよ。
ちょっと休んだら、
俺も図書室まで行くから 』
背後でメールを確認して、鞄を担いで立ち上がる気配がした。多分、俺にわかりやすいように、今日は気配を消してない。こいつ、何でも思うがままだよなあ、最近。
本気で気配を消そうと思えば、こいつはきっと、たとえ授業中だったとしても、誰にも気付かれずに教室から出て行けるのに違いない。あの長身で、強面で、それは驚くべきことだけど。
俺の名は、
そしてこいつは、
夏休み、いや正確にはそれが始まるちょっと前だけど、俺とこいつは、実はとあるとんでもない体験をした。
大きな声では言えないけど、俺はそこで七年間、そしてこいつは八ヶ月、この日本とはまったく違う環境に放り込まれていたのだ。
ということで、つまり、俺はここのクラスメートからすると、中味は七歳年上の、二十四歳ってことになる。色々あって、見た目は結局、ほとんど元と変わらない状態に戻してもらえて、ほんとラッキーだったんだけどさ。
俺はふと、少し伸ばし気味にしている耳元の髪の毛を指で触った。
この下に、もう殆ど見えないけど、ある手術痕が残っている。
この耳は、もともとは先がもっと尖っていたのだ。
夏休み、この手術をしてくれた整形外科の先生は、さっき教室を出て行った強面野郎のお母さんの知り合いだったんだけど、診察しながら、ちょっと変な顔をしてたっけ。
勿論、あのおっそろしいお母様の目が光っていたから、何も言われはしなかったけどさ。
(……なんか、いま考えると、みんな夢だったみたいな気がするなあ。)
夜空に浮かぶ、巨大な惑星。
ぼんやりとした、赤い太陽。
緑やピンクの髪色をした、どこか牧歌的な人々。
北の国と、南の国。
その王家と、王宮と。
蒼き愛馬を駆る、精悍な黒髪の王。
その愛刀は、「
まだつい最近のことなのに、なんだか物凄く昔のことのようにも思える。
それもこれも、この夏休みを返上して、高校の勉強内容をいちから叩き込まれたせいじゃないかと思う。そう、さっきのあいつにだ。
佐竹煌之は、二年になってから初めて同じクラスになった、俺のクラスメートだ。
長身で、強面で、ちょっと古風な二枚目で、女の子にもすごくもてる。
もてるけど、少なくとも一学期までは、告白なんかはとんでもない冷たさで速攻断るというもっぱらの噂だった。あまりにも近寄り難い雰囲気があるもんだから、なかなか告白そのものも、されないっちゃあされないらしいんだけど。
(けど……。)
なんか最近は、そこまで
前だったら、「俺とあんたが付き合うことの意義を五百字以内で説明してくれ」とかなんとか、もうとんでもない断り方をしてたはずなんだけど。
噂によれば、つい最近、また勇気を振り絞った猛者の女の子がいたらしいんだけど、佐竹はちゃんとその子の話を最後まで聞いて、
「すまない。申し訳ないが、付き合えない」
そう言って、きちっと頭を下げたんだそうだ。
それがまた、めちゃくちゃ綺麗な礼だったそうで、その子はむしろ、逆に惚れ直したとかいう話だった。
ほんとかよ。信じらんねー。
あの佐竹だよ?
(きっと、なんかあったんだよなあ……。)
あいつはあいつなりに、「あっちの世界」で。
そうだとしか考えられないよ。
それで多分、それは「女の子関連」の何かだ。
しかも、きっと「恋愛関連」だ。
俺はなんとなく、相手の
『マール』ちゃん。
(……そうなんだろ? なあ、佐竹――。)
俺は生憎と、「あっちの世界」でその
いや、分かってたら分かってたで、なんかまた悶々としそうだからいいんだけど。
でも多分、絶対、可愛い子だよ。
いや別に、だからどうってことでもないけど。
ぼーっと、窓の外を見上げて考える。
九月の空は、まだ夏の余韻が満載だ。
秋の深まりには、まだまだ早い。
と、手に持ったままだったスマホがぶぶぶ、と揺れた。
勿論、佐竹からのメールだった。
『 いい加減帰るぞ 』
「……あ! いけね」
眉間に縦皺を寄せたあいつの顔が目に浮かぶ。
俺は慌てて、スマホをシャツの胸ポケットに放り込み、机をがたつかせて立ち上がった。スクバを肩に引っ掛ける。テスト中だから軽いもんだ。
そして、急ぎ足で廊下に出ると、図書室に向かって歩き出した。
うっかり、ぼーっとしすぎたな。ちょっと急ごう。
怒らせると、あいつ以上に怖い奴なんてこの世にいない。
あ、まあ、例外はいるか。
あいつのお母さんだけは、きっとあいつの上を行くよな。
◇
図書室に向かう廊下をちょっと歩いたところで、俺は前からやってくる佐竹と合流した。「機嫌が悪いかな?」とさりげなく顔色を窺ったけど、特にいつもと表情は変わらない。というか、こいつはいつも大体、こんな顔だ。
笑ったとこなんて、滅多に見たことないし。
……いやまあ、あるには、あるんだけど。
「…………」
(あれ?)
なんだろう。
なんか今、ちょっと顔が熱くなった気がするぞ。
と、俺がいつまでも黙り込んでるのを不審に思ったのか、佐竹の方が先に口を開いた。
「……どうした」
ちょっと怪訝な顔になってる。
「え? あ、いや、別に……」
俺はこほん、と空咳をした。
「顔が少し赤いようだが。体調でも――」
言って、ぐいとその手がこちらの額に伸びてきたのに気付いて、俺は慌てて跳び退った。
「え!? いやいや! 大丈夫だって!」
なんだなんだ。何しようとしてんだ、こいつ! ここは学校の廊下だぞ!
(……いや、待て、俺。そーじゃなくて。)
一旦落ち着いて、自分の思考を改めなおす。
『学校の廊下じゃなくてもやめてくれよな』。
うん、これが正しいよな。うん。
「……本当か」
佐竹の目が細められて、声がまた一段と低くなった。俺はぱたぱたと、手のひらで自分の首辺りを扇ぐ仕草をして見せる。
「ほんと、ほんと! いや〜、九月も終わりだってーのに、いつまでも暑いよなあ?」
「…………」
佐竹の目は更に不審げになったけど、伸ばした手を引いただけで、特に何も言わなかった。
俺たちはそのまま、下駄箱のところで革靴に履き替えて校舎を出、校門へ向かった。
靴っていえば、このローファー、俺も佐竹もこの夏に二人とも失くしてしまった。勿論、「あっちの世界」でだ。
だから今は、二人とも新品の革靴だ。
本当のことを言えば二人とも、夏の制服一式も買いなおした。
まあ、靴や制服のことなんて、クラスの誰も気付いてなかったから問題はなかったけどね。
佐竹は幸い持ち帰れたけど、俺はスマホも失くしてきたから、いちから新調しなくちゃならなかったし。友達の連絡先とかも、全部いちから聞きなおしの入れ直しだよ。それでもって、家族の次に強制的に、最初に入れさせられたのは佐竹の連絡先だった。
まったく、色々散々だったよなあ。
父さんに悪いことしちゃったよ。
制服って、結構高いもんね。
そんな事を考えながら、ちらっと隣を見ると、佐竹はいつもの精悍な横顔で、やっぱり何を考えてるのか分からなかった。いや、多分、この夏の間に、前よりもまた数段、男前になっちゃったんじゃないかと思う。
「あっちの世界」でのこいつの苦労、並大抵のもんじゃなかったはずだから。
(それにしても……。)
なんでこいつ、教室では俺と話をしたがらないんだろう。
確かに一学期の期末テスト前ぐらいまでは、殆ど話もしたことのない奴だったんだけど。でも、それからこっちの色んなあれこれのことを考えたら、もう普通に、教室でも話してよさそうなもんなのになあ。
それなのに、新学期になって学校に戻ってから、ずっとこいつはこんな調子で、教室内ではスマホでしか、俺と連絡を取り合わない。
勿論、クラスメートなんだから、プリントの受け渡しだとか日直だとか、自然に関わりを持てる場合はその限りじゃないみたいだけど。そういう時でも、やりとりはごく事務的だし、殆ど目も合わそうとしない。
じーっと佐竹の顔を見てそんなことを考えてたら、佐竹の片眉がぴくりと上がった。
「……いつも言ってると思うが。言いたいことがあるならはっきり言え」
長身で強面の男が、この程度のことで殺気を発するなよ。怖いんだよ。
こっちの世界に戻ってきて、こいつが剣道を再開したのは知ってるけど、「あっち」で自分の意思とは関係なく培う羽目になったその殺気、普通の高校生が発するものとは全然違う。違いすぎる。
ほんっとこいつ、高校生には見えないよなあ。
「ん〜〜。いや、やっぱり、いい……」
ちょっと聞いてみようかと思ったけど、俺はやっぱり、やめておいた。
まあなんとなく、わかんないでもないし。
こいつがあの翔平みたいなのと、普通に会話できるとは思えないもんな。
俺と翔平が喋ってるとこへこいつが参加するのは、どうやっても想像つかないし。
大体、何を喋るんだ。
どうやっても、話題を思いつかないよ。
そんでもって、全く話の噛み合わない二人の間で苦労するのは、多分俺だし。
(……そうか。)
だからこいつ、教室では俺と話さないのか……?
そう思って、そうっと隣の友達の顔をまた覗き込んだら、すかさず低い声で突っ込まれた。
「……前にも言ったような気がするが。人の顔を見て百面相をするのはやめろ」
あ、うん。確かに言われたことあるな。
もう七年も前だけどね、俺にとっては。
と、周囲の雰囲気がいつもとちょっと違うことに気付いて、俺は周りを見回した。
もうすぐ校門なんだけど、その近くにいるうちの学校の生徒たちが、なにかこそこそ話をしてる。
「誰あれ?」
「可愛い〜!」
「顔、ちっさ……!」
「あの制服、白桜女子だよね?」
なんでそんな学校の生徒が、こんな所にいるんだろう。
俺は、うちの学校の校門脇で、なにか人待ち顔に佇んでいる、話題の中心人物に目をやった。
「…………!」
ちょっと、目を奪われる。
白桜女子の、濃緑色の上品なセーラー服に、華やかな薄茶色の、ウェーブの掛かった長い髪。それをこめかみのところで小さく三つ編みにして、後ろでレースの白リボンで結んでる。
そんな、もう見るからに「お嬢様です!」って雰囲気の、美少女がそこに立っていた。
と、その子がこちらをぱっと見て、急に姿勢を正したようだった。
もともと大きな目を、更に見開いてこちらを見ている。
いや、ほんと綺麗な子だよ。おばーちゃんとかだったらきっと、「まあ、お人形さんみたいねえ!」とか言うんだろうな、きっと。
……というか。
(あの子、佐竹を見てる……?)
俺は、不意にそのことに気がついた。
間違いない。あの子は、佐竹を待ってたんだ。
で、思わす佐竹の方を見た。
「え……」
一瞬、言葉をなくしてしまう。
いつもあまり表情の変わらない、佐竹のその黒い瞳が、今はちょっと驚いたように、じっと彼女のことを見つめていた。
でもって俺は、はっきり聞いた。
佐竹がごく小さな声で、
「マール……?」
って口の中で呟いたのを。
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