第4話 翔平
翌日の日曜日。
文化祭、二日目。
内藤は学校に来なかった。
予想の範囲内ではあったものの、佐竹は「やはりな」と、思いが翳るのを禁じえない。メールをしてみようかとも思ったが、何度かスマホを見た挙げ句、結局やめてしまった。
そもそも、何を訊ねるのか。
今日は、十一月の朔日だ。
つまりかの王、サーティークから、定期連絡の入る日である。
こんな状況であの王と話すこと自体、佐竹としてもあまり気が進まなかったが、二日前のあの事件に関して、ナイト王にしたようにまた内藤の救援を要請する必要もあり、話さないという訳にも行かなかった。
だからと言って、今のあの内藤に会い、部屋で二人になるというのも問題がありすぎるような気がする。本当に体調が悪いのなら、なおのことそうだろう。
佐竹は判断のつきかねるまま、自分のクラスの店の「厨房」に入り、お仕着せの黒いエプロンをつけさせられてクレープを焼いていた。手際がいいのかどうかは分からないが、クラスメートたちはその手元を見て、意外そうな目をしているようだった。
「へ〜! 大したもんだね〜、お前」
気軽な調子で話しかけてきたのは、今日もウエイターの格好をしてふらふらと近づいてきた今井翔平だ。銀色のアルミ製の丸盆を、自分の顔を
「いや。この程度のこと、普通だろう」
佐竹の静かな返しを、翔平はさらっと聞き流した。
「んなっ。ユーヤはどしたの? なんで今日、休みなのよ?」
見返すと、意外にもその瞳のなかに、こちらを難じる色が見え隠れしているようだった。翔平は内藤とさほど身長も変わらないため、佐竹よりは十センチばかり目の高さが低くなる。
「……さあな。本人に訊いてくれ」
佐竹は憮然と、そう答えるしかない。
「ふ〜ん。お前のせいじゃねえってわけ? ……ほんとかねえ?」
へっ、とせせら笑うような素振りを見せて、ツンツン頭のクラスメートがじろりと佐竹の目を下から睨み上げるように凝視した。
「…………」
こういう今井は初めて見る。佐竹は、少し意外な思いでそのクラスメートを見返した。
「どういう意味だ」
「『心当たりはねえ』ってか? ……涼しい顔しやがってよ」
多少、声音も苦々しいものを含んでいるようだ。佐竹はやや、視線を落とした。
「いや……。そういうことでもないんだが――」
やや眉間に皺を刻んだ佐竹を見て、翔平は「お?」と眉を上げたようだった。
佐竹は少し考えていたが、仕上がったクレープを今井に渡しながら、こう言った。
「今井。放課後、時間があるか? ……少し、頼みたいことがある」
◇
「は〜。なんなんだろ〜ね〜、あいつら……」
いつも通り、ぺたんこのスクールバッグを肩に引っ掛けて、翔平は夕刻の街を歩いている。
あの強面で長身で、ちょっと話しかけるのを躊躇ってしまうクラスメートから、思わぬ頼まれごとをして、翔平は内藤の家に向かっていた。
実は先に、当のクラスメートと彼の自宅であるというマンションまで一緒に戻り、そこで預かりものをしてきたのだ。何か重い紙袋で、それは書類のようだった。封がしてあるために、中身が何であるかは分からない。
ともかくも、見舞いがてら、これを内藤に今日中に届けて貰いたいと、あのクラスメートに頼まれてしまったのだ。
「こんなに家、
ぶつくさ言いつつも、実は翔平にも何となく分かっている。
あのクラスメート、どうやら内藤と顔を合わせづらいと思っているのだ。
それにしても、と翔平は思う。
夏休み前、それほど話もしたことのなかったはずの内藤と佐竹は、夏休みが明けた途端、なぜか物凄く仲良くなっていたようだった。
自分にはあまり目に付かないようにしているようだったが、帰りもほとんど一緒に行動しているらしい。
勿論、あの佐竹のほうで、教室の中ではあまり話をしないようにしているらしかったが、その程度でこの自分の目を欺けると思ってもらっては困るのだ。
(それによ……。)
あまりうまく言えないのだが、内藤も佐竹も、夏休みの間に随分と雰囲気が変わったような気がしていた。
佐竹の方は男っぽさというか、精悍な感じが以前の五割り増しぐらいになったみたいだったし、内藤は内藤で、どこか大人びた雰囲気を身に着けたようだった。
(あれは……、なんっつうのか――)
どういえばいいのか、それはつまり、一種の「色気」のようなものではないかと翔平は思っている。相変わらず、どこか呑気で粗忽な友達なのだが、どうかすると、ただの友達である翔平でさえ思わずどきりとするような、大人の男の発する色気があの内藤から仄見えるのだ。
(なんっか、信じられねえけど――)
もっとずっと、子供っぽい奴だと思っていたのに。
最近の内藤は、時折、なにかとても自分と同年代の少年なのだとは信じられない時がある。「色気」といっても、佐竹のような男っぽいそれではなくて、むしろ柔らかくて優しい、穏やかな何かであるように思われた。
昨日、校舎の踊り場でしゃがみこんでべそをかきかかっていた内藤は、特にそういう雰囲気に満ちていた。ただ、それは穏やかではなくて、なにか壊れそうで危うい、ひどく辛そうなものだったけれども。
そういう風に人を変えるものがなんであるのか、翔平はもう知っている。
だから、色々と心配でもある。
そうして、内藤をそんな風に変えてしまったのは、一体だれなのかと思うのだ。
昨日まで、てっきりそれは、あの他校の美少女なのだと思い込んでいたのだが。
どうも、昨日うちの学校へ訪ねて来たあの少女を見る内藤を見ていて、翔平はもうほとんど直感的に、「あ、違うな」と思ったのだ。あれはどう考えても、普通の男子高校生が自分の好きな子を見つめる目ではなかった。
(んじゃ、一体なんなのよ……?)
てくてくと歩道を行きながら、翔平は頭を捻る。
「ん〜〜。わっかんねえ……。あ、ここか」
と、内藤の家を見つけて、翔平は足を止めた。一学期に一度、訪ねたことがあるので、場所は知っているのだ。
翔平は、ちょっとぽりぽりと頬のあたりを掻いてから、思い切ったようにそのインターホンのボタンを押した。
◇
「祐哉。今井君、帰ったぞ。……これを渡してくれと言ってた」
部屋に入ってきた父が、ベッドに潜り込んでいる内藤にそう言って、勉強机の上になにか紙製の手提げ袋を置いた。
「あと、これは文化祭で作ったクレープだそうだ。……佐竹君が焼いたそうだ」
「え? ……あ、うん。ありがと……」
驚いて、少しだけ布団から顔を出す。
父は何も言わず、そのまま部屋から出て行った。
階下のリビングからは、弟の洋介が見ているらしい、日曜夕方のテレビアニメの派手な音が聞こえてきている。
(ごめん、ショーヘー……。)
ぽすっと枕に頭を沈み込ませて、内藤は心の中で謝った。
本当は、単なるずる休みだというのに。
内藤はあの翔平にですら、どうしても顔を合わせたくなかったのだ。だから、父に頼んで代わりに出てもらった。
大体、今のこの酷い顔、家族にも見せたくないような顔を、どうして翔平に見せられるだろう。勿論、あの佐竹には、もっと見せることはできない。
きっと今、自分の顔は、「たった今まで泣いていました」と大声で吹聴しているのと同じぐらいに、物凄くひどいことになっているのだから。
「…………」
内藤は、少しの間、机の上に置かれたものをじっとベッドの中から見つめていたが、やがてのそのそと起きだすと、その紙袋の中を覗いてみた。
思ったとおり、それは佐竹が、今日かの南の王に渡すつもりのはずの書類のファイルだった。
今日は、十一月の
「…………」
それに思い至って、内藤は暗澹たる気持ちになる。
ファイルを取り出してみると、ぱさりと軽い音をたてて落ちたものがある。内藤はそれを床から拾い上げた。それは簡素なデザインの洋形の封筒で、ただ「内藤へ」と表書きがしてあるだけのものだった。
(………!)
その字を見て、内藤の心臓が跳ね上がる。その筆跡は、間違いなく佐竹のものだった。
内藤は、しばらくその封筒を手に持って逡巡したが、やがて意を決して封を切った。
内容は、ごく事務的なものだった。内藤はほっとすると共に、どこかで気持ちがまた沈んだのを覚えた。
それは、今夜のことに関するものだった。
『 体のほうは大丈夫か。
今日のサーティーク公との定期連絡、
申し訳ないがお前だけでやって欲しい。
二日前の件をお話しして、その書類を渡してくれればいい。
あとのことは、公のほうでうまくやって下さるはずだ。
諸々、どうかよろしく頼む。
佐竹 』
文面は、たったそれだけだった。
内藤は溜め息をついて、その手紙を元通りに片付けた。
素っ気無いにもほどがある内容だ。
昨日のことを思えば、こんな文面だとしても、佐竹も色々と考えた上で書いた文章ではあるのだろうけれど。
内藤は、紙袋の脇に置いてある、アルミホイルに包まれたものをそっと開いてみた。佐竹が持っていくように手配したのか、クラスの女子がそうしてやれと言ったのかはわからないが、ともかくも、佐竹の手によるものらしい。
(さっすが、上手いなあ……。)
形も焼き加減も完璧だ。
クラスの女子は、これでまた佐竹に一目置くのだろう。
あんな強面で、そんなことは一切しそうもないのに、実は家事全般、どれを取っても隙がない。頭のいい奴というのは、どうやら家事すらシステマティックにこなしてしまえるものらしい。
(『一家に一台』、ってか? ほんと、器用な奴――。)
ぱく、と端からかぶりつくと、安物のクリームとチョコソースがもう、ただひたすらに甘かった。
なんだかまた、泣きたくなる。
自分たちは今、とても「甘い」どころではないのに。
齧りかけのクレープをそのまま机の上に戻して、内藤はまたベッドに潜り込んだ。
こんなことなら、「自覚」なんてしたくなかった。
実のところ、思い出す限り、内藤も一応小学校のころに、クラスのちょっと可愛い女の子が気になっていたことはある。でもそれは、本当にただちょっと「気になっていた」という程度の、ごく淡い感情だった。勿論、本人になにか言ったりもしなかった。
「初恋」と言うのなら、多分あれがそうだったのではないかと思う。とはいえ、相当いい加減な経験値でしかないのは確かだ。なにしろ、彼女があの忌々しいバレンタインデーで、クラスの他の男子に本命チョコを渡したことが噂になってあっさり玉砕したという、大変苦い結末までついてくるのだ。
だから、これがもし女の子相手だったとしても、内藤は相当悩んでいたはずのところだった。
それを、こんな普通の恋愛経験さえお粗末な自分が、しかもあんな強面の野郎を相手に、一体何をどうすればいいと言うのだろう。
それも、相手は他の女の子と自分をくっつけるべく、「応援」さえしようとしている節まである。
そんな事は耐えられないのに、それを断ろうと思ったら、きっと「何故だ」と訊かれてしまって、その理由をちゃんと言えない自分は、またしても昨日のように、彼の前から逃げ出すしかなくなるだけだ。
(『八方塞がり』って、こういう事を言うんだろうな……。)
思ったらまた、もう枯れたかと思っていたものが湧き上がった。
内藤はまた布団を引きかぶって、その中で体を丸めた。
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