第3話 嫉妬

「佐竹! 佐竹っ……!」

 文化祭の一日目が終わり、駅へと向かう帰路の途上で、内藤は佐竹の背中を追いかけている。

 街は週末の夕刻であり、すでに空は夕焼け色に染まっている。


「なんで、あんなこと言ったの……? 真綾さん、真っ青になってたじゃんか!」

 そうなのだ。

 あの後、真綾は殆ど誰のいう事も耳に入らないぐらいにショックを受けているように見えた。兄の慶吾は苦笑しつつも、ただ「気にしないでくれ」と言って、妹を連れて早々に帰っていった。


「どうしてだ。仕合いは飽くまでも、俺と兄貴のものだろう」

 佐竹は大股に道をゆきながら、前を向いたままそう言った。

「いや、だって……! あれは可哀想だよっ! いくらなんでも――」

「可哀想……? なぜだ」

 佐竹の片眉がぴくりと上がる。

「言い方の問題だと思うけどっ、あれじゃまるで、『真綾さんは邪魔だ』とか、『嫌いだ』って言ってるみたいに聞こえるじゃん! それじゃ、あんまり――」

 そこで、佐竹はぴたりと足を止めた。

 彼のすぐ後ろから追いかけていた内藤は、その背中に突き当たりそうになってつんのめった。

「う、わ……」

「……確かに、俺が彼女に冷たいのは本当だ。意識的にそうしているわけだしな」

「え……?」 

 内藤は絶句した。


(意識的……? 今こいつ、そう言った??)


 どういうことだ。

 言われてみれば、確かに佐竹は最初から、真綾には必要以上に冷たかったような気はしていたけれど。


 驚いて佐竹を見上げると、その黒い瞳が、厳しい光を湛えて内藤を見下ろしていた。

「お前も言ったろう。『あの子はマールに似ているんじゃないか』とな。……実際、その通りだ」

「……!」

 内藤は、思わず息を呑んだ。

 やっぱりあの時、佐竹が「マール」と口の中で言ったのは、自分の聞き間違いではなかったのだ。

「彼女は、あのマールに酷似している。容姿だけでなく、どうやら内面もな。今日、話してみて確信した」

「……だ、だから……? だから、冷たくしていいのかよ?」

 内藤は食い下がった。

 そんなの、もっと可哀想だ。似ているとはいったって、そのマールと真綾はそもそも別人ではないか。そのマールという娘と佐竹に何があったかは知らないが、それと真綾とは関係ないはずだ。あの真綾に、なんの罪があるのだろう。


「そういうことじゃない」

 佐竹は、内藤の思いを見透かしたような顔で言って、また前を向き、歩き始めた。内藤もそれについてゆく。

「彼女が本当にマールとそっくりなんだとすれば、初めから、俺とはあまり関わらない方がいいんだ」

「え……?」

「むしろ俺はこのまま、彼女が俺を嫌って、憎んでくれればいいとさえ思っている。第一印象そのままの、『いやな男』のままでいいんだ」

 佐竹の声は、静かだった。

「ど、どうして……?」

 内藤は愕然として、佐竹の精悍ないつもの横顔を見つめた。


 どうしてそこまで。

 いや、逆に佐竹がそこまで女の子のことを考えること自体が珍しいことだ。

 普段の彼なら、相手を眼中にも入れていないとばかりに、ほとんど無視する方向で話が進むところではないか。要するに、「スルー」というやつだ。

 でも、今の佐竹はそれをしていない。

 それは、とりもなおさず――。


(佐竹だって、実はあの子のことが気になってる……ってことなんじゃ……?)


 きりっという胸の痛みとともに、一番考えたくない結論に至ってしまって、内藤は言葉をなくした。

 「気になっている」、というのは、決して嫌悪でそうなのではないはずだ。


 そうして、嫌悪でないのだとすれば、

 それは、……その感情は――。


「…………」

 黙りこんで、立ち止まってしまった内藤を、今度は佐竹が足を止め、不思議そうな目で見返っていた。

「お前こそ、一体なにがしたいんだ」

「……え」

 聞かれて、少し顔を上げる。佐竹の瞳は、何故かとても機嫌が悪そうだった。

「あの妹と俺が、どうなって欲しいんだ、一体」

「ど、どうなって……って、いや、別に――!」

 内藤は、しどろもどろになる。

 正直なところを言えば、別にどうともなって欲しくない。

 でも、ただ、あれではかわいそうだと、酷いと思っただけのことで。


「だったら四の五の言うな。俺を嫌って、離れてくれれば御の字なんだ」

 佐竹の言いようは、これ以上ないほどにばっさりと、一切合財を斬って捨てるかのようだった。

「代わりに、お前が気遣ってやればいいだろう」

 その声音は、ちょっと怖いほどに低かった。

 佐竹が何を考えているのか、内藤にはまったく分からなかった。


(ど、どういう意味なんだよっ……!)


「だっ、から、……俺はっ!」

 思わず飛び出た声は、道行く人がちょっと驚いて振り向くほどには大きかった。

 佐竹も少し驚いたように、内藤を見返した。

「そんなこと、言ってない……! そんな、事……、言ってないんだよっ……!」

 頭の中が、かあっと熱くなって、自分でも何を言っているのかよく分からない。

「あの子のことなんてっ、なんとも思ってないっ……!」

「…………」

 佐竹が、目を見開いた。

 その表情かおを見て、内藤はますます激昂した。


 なに驚いてるんだ。

 バカ。

 大バカ……!

 賢いくせに、こういうことだけには、めっちゃくちゃ鈍いんだから。


 もう、ほんっと、鈍すぎる……!


「だから、だから……そうじゃなくてっ……」

 ぎゅっと、拳を握り締めた。

「………!」


 だが、そこまでだった。

 内藤は、次に自分の口から飛び出そうになった台詞を、頭の中に描いただけで、もう何も言えなくなってしまったから。

「…………」

 そうして、ただ耳まで真っ赤になって黙り込み、両の拳を握り締めて、ただそこに立ち尽くした。

 そんな内藤をしばし見つめていた佐竹が、とうとう訊ねた。

「『そうじゃなくて』、……何なんだ」

「………!」

 ぱっと目を上げると、ばちっと佐竹の瞳とまともに目が合った。


 もう、駄目だった。

 内藤はもう、次の瞬間には全力でダッシュして、佐竹のもとから逃げ出していた。



                 ◇



 夜闇のなかに、秋の涼風が忍び入る頃合になっている。


 佐竹は自宅マンションの広いベランダで、静かに竹刀を振っていた。

 このマンションは、父、宗之も剣道を志す人だったこともあって、その稽古をするためにと、専用の広いベランダのあるものになっている。そこは周囲からは壁に隔てられ、ちょっと見えにくくなっている。物干しなどに使う場所とはまた別で、特別にそのための仕様になっているのだ。

 文化祭の後片付けの後、帰宅途中、内藤がいきなり逃げ去ってから、すでに数時間が経過している。内藤の父、隆から特段の連絡がないところを見ると、彼は無事に自宅に戻っているということなのだろう。

 先日の不埒な輩は、あのサーティークがわざわざ顔を晒して脅しつけてくれたお陰で、あの後は一切のなりを潜めている。これに関してだけは、不本意ながらも、あの「黒き青年王」様さまといったところだろうか。

 サーティーク本人も、当然そのつもりで相手に自分の姿を拝ませたに違いないのだ。


(……それにしても。)


 夕刻の、あの内藤の一連の態度と言葉が、何度も胸の中に去来しては消えてゆく。


『あの子のことなんてっ、なんとも思ってないっ……!』


 あの台詞は、本当に彼の本心なのだろうか?

 文化祭の準備をしていたあの日、彼が今井翔平としていた会話から、どうやら内藤が彼女に好意を持ったものだと思っていたのだが。

 だからこそ自分は、あの真綾に、それまで以上に冷ややかに応対したのだし、なおかつそれに乗じて彼が真綾と仲良くなれるならとも考えていたというのに。


 勿論、真綾については、あの世界の少女マールとの顛末があり、そのこともあって必要以上にきつい態度で接してきたのは事実だ。

 マールには、自分は様々な意味でかわいそうなことをしてしまった。

 決してそのような事を望んでいた訳ではなかったけれども、その場その場で、彼女の危機を救ったり、ちょっとした礼のつもりで物語を写本してやったりといった些細な行為のすべてが、結果的に彼女の純粋な気持ちを翻弄してしまったのだ。

 最終的には、こちらの世界に戻らねばならなくなったその時に、自分は彼女の気持ちに応えられず、恐らくは、その小さな心をひどく傷つけもしたことだろう。

 気丈なあの少女は、最後は一粒の涙も自分に見せはしなかったけれども。


「…………」

 佐竹はぐっと、目をつぶった。


 それは、決して、優しさではない。

 いずれ傷つけることがわかっていながら、その場だけの中途半場な親切心から甘い態度に出ることは、結局のところ、相手を傷つける、非道な行為でしかないだろう。

 その轍を踏まないために、あの科戸瀬真綾を初めて目にした時から、自分は彼女に対して、一切の甘さを見せることを避けてきたのだ。


 無論、真綾については、あの内藤がどうやら好意をもっているらしいと思ったからこそ、ということもある。


(それを……。)


 内藤は、しかし、ひどくそれがお気に召さなかったようだった。

 あれほど自分に対して憤慨し、激昂する彼を見たのは、実際、初めてのことかも知れない。顔を耳まで真っ赤にして、まるで小さな子供が癇癪を起こしている顔、そのもののようだった。


 一体何が気に喰わないのか、自分にはとんと分からない。

 とはいえ、あちらの世界で散々「朴念仁」呼ばわりされたこの自分だ。

 今更、急に器用な人間になるのは難しいということなのだろう。


(……駄目だな。)


 稽古をするには、どうも雑念が多くなりすぎている。

 佐竹は蹲踞そんきょして、そこまでで本日の稽古を終わらせた。


 シャワーを浴びて部屋に戻ると、壁際に設えられた刀台には、あちらの世界の刀匠、ロトの手による愛刀「氷壺ひょうこ」が、静かにその身を横たえている。

 あのままこちらへ持って帰ってきてしまったが、本来ならこうしたものを手許に置く場合に必要な刀剣所持の許可を取ろうにも、「どこのだれの手による一品か」の説明が不可能であるために、やむなく「不法所持」状態のままである。

 かの世界の南の国、ノエリオールの兵たちが好んで使う刀剣は、形と言いこしらえといい、まさに日本刀のそれと酷似していたのだった。

 佐竹は刀匠である偏屈な老人ロトに何故かその腕を見込まれて、彼の手になるこの刀剣を託されることになったのである。

 日本刀の手入れや保存はかなり難しいものなので、その後、佐竹は刀剣の歴史資料館や文書館等々の資料を調べ、定期的にこの刀剣の手入れも行なっている。


 目線を動かして窓の外を見れば、満月から少しその身を削りはじめた秋の月が、またぼかりと大きな姿で地上を見下ろしている。


(いま、何を考えている……?)


 その月をふと見上げて、佐竹は声を立てないまま、

 そっと相手の名を口でなぞった。


 わからない。

 あいつの考えていることが。


 ……では、それなら、知りたいか……?


(いや……わからない。)


 ましてや、無理にも彼に、答えさせることもできない。


 それを知れば、恐らく、なにかが壊れるだろう。

 何故なのかは分からないが、

 そんな予感だけが確かにあった。

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