第6話 マグカップ

 翌日の月曜日、高校は代休となっていた。

 週末の二日間が文化祭だったため、月曜、火曜が連休になっている。

 とは言え実際は、火曜が国民の祝日に当たるため、内藤らは翌水曜日も休みということになり、結果的に三連休ということになっていた。

 朝、内藤は目を覚まして、見慣れない寝具や部屋の様子に一瞬びっくりしたものの、すぐに昨夜の顛末と、ここが佐竹宅の客用の寝室であることを思い出した。

 そして、ベッドの上で一人、しばらく赤面していた。


「起きたか。顔でも洗って来い」

 佐竹がやってきて、タオルと着替えを渡してそう言った。

 着替えは佐竹のものらしく、どれも内藤には少し大きかったが、有難く使わせてもらうことにした。シンプルなTシャツとスウェットパンツだ。

 着替えて顔を洗い、リビングへ出て行くと、テーブルにはすでに朝食の準備がされていた。アイランド型のキッチンの傍にあるダイニングテーブルの天板はガラス製で、その上に「これぞ日本の朝食です」と言わんばかりのメニューが並んでいた。

 焼き魚に卵焼き、豆腐の味噌汁にほうれん草の御浸し、漬物に勿論、白いご飯。

 手早く作っているのだろうに、やっぱり卒がない。内藤の家に来ている時もそうなのだが、佐竹の手際のよさといったら半端ないのだ。作りながら洗いものもこなしていくため、出来上がったときによくありがちな、「シンクの中が洗いものだらけ」という惨状には決してならない。


(なんっか佐竹、お母さんみたいだな〜……。)


 半ば呆れつつ、とてもそうは見えない強面の友達の横顔を盗み見る。

 今日の佐竹はVネックのニットに綿パンで、その上に紺のシンプルなエプロンを着けている。きっと彼はいつも通り、朝早くから起きだして、一連の稽古をした後にシャワーなんかも浴びた上で朝食を作り始めたのに違いない。

「温かいうちに喰えよ」

 こちらを見ていないようで見ている友達は、茶碗に自分のご飯をつぎながら横顔でそう言った。

「あ、うん……。い、いただきます……」

 なんだか自分は、この家に来ると、どうもこの台詞しか言ってないような気がする。

 そんなことを思いつつ、目の前で手を合わせて、内藤は箸を持った。

「あ、うま〜い……」

 味噌汁は、なんともほっとする味だ。他のものも、ひどく懐かしい気持ちになる味付けばかりだった。

「口に合ったなら、何よりだ」

 佐竹は言葉少なにそう言って、自分も席について食事を始めた。

 さすが剣士、手を合わせて箸をとり、茶碗を持つ仕草までが、きりりとして美しい。内藤は、この友達を見ているとつい、「やっぱり作法って大事だな」と思ってしまう。

「そういえば、あっちでさあ……」

 内藤は、ふとある事を思い出して言った。「あっち」というのは、勿論、この夏放り込まれていた異世界のことである。

「なんか突然、『ポテチ食いて〜!』とか『ハンバーガー食いて〜!』とか、思わなかった?」

 そんなものは勿論、向こうの世界にありはしなかった。

「……いや。そもそも、普段からあまりそういうものを食べないからな」

 佐竹の返事は、素っ気なかった。内藤は目を丸くする。

「え? そーなの? 俺なんかもう、大変だったよ〜? 白いご飯も味噌汁も、卵焼きもから揚げも、刺身もカレーもうどんも、とにかくな〜んもないんだもん。肉系だけはいっぱいあったけどさ〜。あと、豆と芋と雑穀ぐらい? んでも、調味料とか香辛料なんかも種類そんなにないみたいで、基本、塩味だけだったし――」

 佐竹はそんな内藤の話を聞きながら、黙って味噌汁を飲んでいる。

「夜なんか、もうどーしよーもなく、アイスとか、しょうゆ味のもんとか食べたくなっちゃったりしてさ――」

 「本当に、こっちに帰れてよかったよ〜」、と言いながら嬉しそうにまた食事に戻った内藤を、佐竹は黙って見返した。

 その瞳の色はまるで、目の前でにこにこ笑っている内藤の笑顔を値踏みするかのようだった。


(あ〜〜……。)


 内藤は、心密かに冷や汗をかく。


(きっと、ばれっばれなんだろうなあ……。)


 だがまあ、今は仕方がない。

 ただひたすらに、「明るく楽しく朝食してます」という顔をする以外、内藤にできることなど何もなかった。



                 ◇



 「師範の道場に行く前に、少し買いたいものがある」と佐竹が言うので、内藤は午前中、それに付き合うことにした。

 出かけるにあたり、佐竹は内藤の格好を見て、「ちょっと来い」と彼を自分の部屋へ呼んだ。


 内藤が見ていると、佐竹は再びクローゼットの中から、ぽいぽいと無造作にベッドの上に衣類を取り出しては置いていく。

「なに? どしたの……?」

「気に入った物があれば、着て帰ってくれ。そのまま貰ってくれればいい」

「え……?」

 内藤は驚いた。ベッドの上に出されている衣類は、どれも多分新品で、どこも傷んでいる風ではなかった。その上、どうも何か、非常に高価なもののように思われたのだ。

 恐る恐るタグを覗いてみたら、内藤ですらよく知っている高級ブランドの名前が入っている物もある。

「え、え……! 駄目だろ、こんな高いもの……!」

 内藤が慌てて断ると、佐竹は何故かとても嫌そうな顔でこちらを向いた。

「いや、むしろ頼む。どれも馨子さんの趣味なんだが――」


(……あ。)


 言われてみて、内藤は初めて気がついた。

 そういえば、ベッドに並べられた衣服はどれも、絶対に佐竹が着そうにもないデザインだ。妙にてかてかした布地が使われていたり、色目やロゴが随分可愛い系だったり、逆に完全に大人の男が着るような、かっこよすぎるスーツだったり。

 スーツのデザインは、色合いも落ち着いていて十分品があるけれども、例えばハリウッド俳優がレッドカーペットを歩く時に着ている様なイメージのものだったりする。

 ジーンズも、それ自体あまり佐竹が履いているのを見たことがないのに、いかにも「ヴィンテージです」という感じの、高そうなものが置いてあった。


(いや、でも馨子さん。どんな高くっても、やっぱり佐竹がダメージジーンズとか、履かないでしょ〜……。)


 内藤は、横を向いて腕組みをし、溜め息をついている佐竹の気持ちが心底わかった。


 なるほど。

 愛されてんなあ、佐竹。

 でも、これは佐竹にしてみれば、ただただ困るだけに違いない。

 と言うかもう、ここまできたら嫌がらせに近いと思う。


 内藤は何度も断ったのだが、「是非とも」と佐竹に乞われてしまい、仕方なく、佐竹なら絶対に着そうにもないものを数点、選ぶことにした。

 甘めのピンク地のパーカーに、比較的落ち着いたデザインのジーンズ、それに、ちょっとポップなワンポイントの入っているジャケットを合わせる。

 佐竹は一旦内藤を客間に戻らせてそれに着替えさせると、素早くそれを着た内藤の姿をスマホで写真に収めて「これを譲ったから」という旨のメールを馨子に送信したようだった。

 本人曰く、

「あとであれこれ言われても面倒だからな」

 ということらしかった。


 しかし。

 送信したと思ったら、すぐさまそのスマホが鳴った。そして、返信されてきたメールの内容を見た途端、佐竹の眉間に盛大に皺が寄った。

 内藤が隣からそっと覗きこむと、その文面たるや、こうだった。


『 きゃ―――っっ!! 

  いや〜ん、似合うじゃないの祐哉きゅん!

  かわいいわ! もう、ものすっっごく可愛いわよ〜!

  次はあきちゃんとおそろで買って帰るわっ!

  待っててね〜〜〜!                』


「…………」

 案の定というべきか。

 さらに、文面のあちこちにハートマークが飛び交っていた。


(わ〜……。なんか、更に地雷踏んだって感じ? これ……。)


「は、はは……」

 もう、内藤も笑うしかない。

 佐竹は不機嫌そうに速攻「お断り」メールをしたらしかったが、おそらくあのつわもののお母さんだ、絶対に無視するに違いない。


 ともあれその格好で、内藤は佐竹と買い物に出た。

 もちろん、靴もなかったので、やっぱり馨子さんからのお仕着せだという新品の上等なスニーカーをそのまま頂くことになる。結果的に、全身が今までしたこともないような、高価でお洒落ないでたちになってしまって、内藤はちょっと恥ずかしい気持ちになった。

 佐竹はといえば、ごくシンプルなニットとジャケットに、今日は学校のローファーではない、焦げ茶色の革靴を履いている。服のデザインそのものはシンプルだとは言え、どうやらそれなりのお値段の、品質のいいものではあるらしい。少なくともそのへんの「一枚千円」とかいうような物とは違うようだ。

 そしてやっぱり、佐竹はどこからどう見ても、ただのびしっとした大人の男にしか見えなかった。自分は差し詰め、やっぱりその弟ぐらいなところだろう。


 佐竹は剣道の稽古着などが入った稽古袋を担いで駅前まで歩き、そこの商業施設内にある、とある雑貨店に入っていった。

 全体がパステルカラー系の、どちらかといえば女性好みのしつらえの店で、内藤はちょっと気恥ずかしくなる。佐竹は特に何の感慨もない様子で、まっすぐ食器のコーナーへ歩いていった。


(何か、食器でも選ぶのかな……?)


 首をかしげながら後からついてゆくと、マグカップの並んでいる棚の前で足を止め、佐竹がこちらを振り向いた。

「どれでも選んでくれ。気に入ったのがあれば、お前用にうちに置いておく」

「…………」

 一瞬、何を言われたのか分からなくて、内藤は固まった。

「え……?」

 「うちに置いておく」と聞こえたような気がするが。いや、聞き間違いか?

「ここに気に入る物が無ければ、また他所よそで探せばいい」

 佐竹の声は淡々としていて、特にいつもと変わりはなかった。その瞳も、いつも同様、ごく静かだ。

「え? え……? お、俺の……?」

 思わず自分の鼻先に人差し指を向けてしまう。佐竹は少し変な顔になって、内藤を見返した。

「ほかに誰がいる」

「………!」

 その瞬間、なんとなく、内藤は分かった気がした。


 これは多分、昨夜ゆうべ、内藤が佐竹にした問いへの答えなのだろう。

 「ずっと『友達』でいてくれる」という、ある種の意思表示なのではないか。

「…………」

 かああ、と自分の顔に血が上ってくるのを自覚しながら、内藤はちょっと言葉を失っていた。そのままじっと佐竹の目を見つめ返していたら、向こうでふい、とその視線を逸らした。

「別に、慌てたことじゃない。お前の方で、適当に見繕って持ってきてくれたのでも構わん」

「あ! いやいや! ちょっと待って――」

 踵を返して店を出てゆきそうにする佐竹を引き止めて、内藤は改めて棚の方へと目をやった。基本的に、なんだかやっぱりパステル調の可愛い品が多いのは仕方がないのだろうけれども、隅にはごくシンプルなデザインのものもあるようだった。

「あ。これ――」

 と、ふと棚の片隅に、厚手でやや大きめのマグカップを見つけて、内藤は目を輝かせた。

 それは同じ形をした、白と、黒のカップだった。サイドは緩やかなラインになってはいるものの、側面に小さなワンポイントがあるだけの、ごくシンプルなものだった。

「これ、良くない? 白いのが俺で、黒いのが佐竹――」

「…………」

 それを見つめて、佐竹が沈黙した。

「黒いの、俺んちに置いとけばいいじゃん? それで、丁度おあいこだし」 

 にこにこ笑ってそう言うと、佐竹は内藤の顔をちょっと見つめて、やがて頷き返した。

「……お前がそうしたいなら、そうすればいい」

「やったあ!」

 内藤は本当に嬉しくて、ちょっと小躍りしそうだった。

 互いの家に、お互いに専用の、お揃いのマグカップを置く。

 なんだか、「ただの友達」とはちょっと違うような気がして、とても心が浮き立った。


 佐竹が共に支払いを済ませて、二つに分けてもらった紙袋をそれぞれ手に持ち、二人は駅の入り口まで歩いた。

 佐竹の手には内藤の白いカップ。

 内藤の手には佐竹の黒いカップ。


(……駄目だ、俺。ちょっとニヤニヤしすぎかも。)


 袋を手にして、ついつい、どうしても緩んでくる頬を叱咤していた内藤に、佐竹はいつもと変わらぬ声でこう言った。

「代休とはいえ、実力テスト一週間前だ。稽古のあとでそっちに寄るから、もう勉強は始めておけよ」

 途端、内藤がうんざりした顔になる。

「うあ……。いっきなり、やなこと思い出しちゃったよ……」 

 案の定、佐竹の目が半眼になった。

「貴様。そんな暢気のんきにしていていい身分だと思ってるのか」

「いえ、思ってません。ごめんなさい……」

 ちょっとしゅんとして項垂れる。

 そうなのだ。高校二年生として、七年ものブランクがある内藤は、テスト前には一応その範囲だけはきちんと佐竹に網羅してもらえているが、その範囲外となるとまだまだ穴も多い。来年受験生であるにも関わらず、いまこの状態というのは、実は相当きついものがあるのだった。


(いや、わかってるんだけどさ……。)


 持っていた紙袋を抱きしめるようにして俯いていると、その頭を、また佐竹の手が、がしがしとかき回した。

「ともかく、分からない所だけでも洗い出しておけ。三時までには戻る」

 それだけ言うと、佐竹はもう、大股に駅の改札に向かって歩き出していた。山本師範の道場へは、ここから電車で十分ほどなのだ。

「あ、佐竹っ……!」

 その背中を、内藤は思わず呼び止めた。

 長身の背中が、立ち止まってこちらに振り向く。

「あ、えっと……、カップ! ありがとな……!」

 持った紙袋を少し上げて見せ、そう叫ぶと、佐竹も少し頷き返し、また向こうを向いて歩き出した。

 内藤は、エスカレーターに乗ったその背中を、隠れて見えなくなるまで見送った。

「…………」

 彼の姿が完全に見えなくなった途端、それまでずっと絶やさなかった笑顔が、ふと曇る。


 『嬉しい』。

 それは、嘘じゃなかった。


 ……でも。

 胸の中には、『穴』がある。


 それはきっと、今が秋で、

 吹いてゆく風がみんな、その穴を吹き抜けてゆくように思うからだ。

 ……きっと、そうだ。


 内藤は、また知らず、目元に溢れそうになったものをごしごし袖口で擦った。

 そして、くるりと振り向いて、殊更に上を見上げるようにしながら、自分の家に向かって歩き出した。

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