第7話 暗礁

 気がつくと、内藤は小さな工場の倉庫跡らしき建物の中にいた。

 広さは、ざっと二十畳程度だろうか。倉庫の隅には、もう使われていないらしいダンボールやプラスチックの容器などが雑然と積み重ねられている。周囲にはだれもいない。

 床は冷たいコンクリートで、内藤はその上にじかに転がされている。後ろ手にされた腕や足、口には粘着テープがべたべた貼られて、自分が拉致されてきたらしいのは明らかだった。


 少し気を失っていたのは、あの時、駅の構内で目の前に現れた鶏冠頭とさかあたまの男に、ひと目につかないように鳩尾を殴られたためらしい。そこが、今もまだ残った鈍痛を訴えている。その後の記憶が一切なかった。


(ここ、どこ……?)


 きょろきょろと周囲を見回すが、見たこともない建物だ。古ぼけたトタン屋根の隙間から、秋の夜風が吹き込んでいるようである。

 やがてどやどやと建物の外から男たちの声が聞こえ始めて、内藤は背筋が寒くなるのを覚えた。


(そうだ。俺、捕まったんだ……。) 


 どうしよう。

 どうすればいい?

 というか、彼らの目的は何なのだろう。


 ぐるぐる思い巡らす間もないうちに、見覚えのある男ら数名と、さらにもう五名ばかりの男たちが倉庫に入ってくるのが見えた。

 それぞれ、いずれ劣らぬ「そっちの側」らしき風情の男たちだった。銘々が、なにか態度や雰囲気で荒んだものを放散させているようだ。内藤は、ただもう真っ青になるぐらいのことしかできない。


「こいつかあ? なんか変な技使いやがったってぇ兄ちゃんは――」

 中でもひときわ体格のいい男が、じろりと内藤を見下ろしてそう言った。

 真っ赤なノースリーブの柄入りシャツから筋肉の盛り上がった肩が覗いている。下は迷彩柄のだぶついたカーゴパンツにミリタリーブーツという出で立ちだ。髪はごく短く刈り込んでおり、ひどく酷薄な目つきをしていた。年の頃は、他の男たちとそう変わらない。

「そうなんスよ、リュウジさん。なんか俺ら、あっという間にこいつに気を失わされて――」

「気ィつけてくださいね!」


「…………」

 彼らの言葉の端々から、大体の状況を読み取って、内藤は呆れ果てた。


(なんだよ、つまり――。)


 彼らは、あの時まったく、佐竹の姿を目にしていなかったということか。だから、あの時自分たちを昏倒させたのは、内藤に違いないと思いこんでいるのだ。


(うああ、最悪……。)


 内藤はもう、泣きそうだ。

 リュウジと呼ばれた男は、ずいと内藤の近くに歩み寄って、ブーツの先で内藤の肩のあたりをぐいと押した。

 そのまま呆気なく仰向けに転がされて、目を閉じていようと思ったのに、つい相手の男とばっちり目が合ってしまう。男の細い目には、酷薄なだけでない、明らかな嗜虐の色が見えていた。

「……なんだ。ただの細っこい兄ちゃんじゃねえの」

「ま、見たとこ、そうなんスけどねえ……」 

 腕に毒蛇のタトゥーを入れた男――確かリョータとか言った筈だ――は、ちょっと困った顔になって頭を掻いている。

 と、不意にリュウジが内藤の脇にしゃがみこみ、太い腕を伸ばして、内藤の口に張り付いていた粘着テープを無造作にひっぺがした。べりべりっと音をたてて剥がされると、それだけでも結構な痛みだった。

「なあ、お兄ちゃん」

 気持ち悪いほどの優しげな声で、リュウジが内藤を見下ろして訊ねた。

「まあ、別によ。こいつらぁ怪我したってんでもねえし、警察のお世話になったつっても、捕まったってえ訳でもねえしよ。これで恨むっつうのも、まあ変な話っちゃあ話なわけだけどよ――」

 リュウジの声は穏やかだ。が、その根底にあるものが決してそうでないことは、彼の蛇のような瞳が雄弁に物語っていた。

「けど……なんつうの? 分かんだろ? なあ、兄ちゃん」


(……いや、全然、わかんないッス。)


 もう心の中で盛大に涙を流したい気分で、内藤はそう思った。


「まあ、あれよ。いい大人の男がよ。五人も揃って目ェ剥いて、ケーサツのお世話になるなんざ、ちょ〜っと情けねえもんがあるわけよ――」

 言いながら、リュウジはじろりと背後の男たちをめつけた。「う」と小さく声を飲み込むようにして、男たちがちょっと居住まいを正す風になる。どうやらあのあと、彼らはこのリュウジから、痛い「粛清」でもされたのに違いない。よく見れば、男らは目の横や唇のあたりに緑や赤紫色の痣を作っている。


(いや……待ってよ。)


 本当に「いい大人の男」は、こんな人数でつるんだりも、一般の高校生男子を拉致してこんなところに転がした上、怖い顔で凄んだりもしないはずだが。

 勿論内藤は、心中そんなことを思いつつも、ただ蛇に睨まれた蛙よろしく、微動だにせずに男の視線に射すくめられているばかりだった。

 リュウジはまさしく、猛禽類が餌である小動物を見るような目をして、手の甲でぴたぴたと内藤の頬を軽く叩いた。

「ま、あんたにどんな技があんだか知らねえが。この落とし前だきゃあ、一応、つけさえてもらいてえのよ。あんたみてえな細っこいのにゃあ、ちいっとかわいそうだが、付き合ってもらうぜ? お兄ちゃん」

「………!」

 内藤はもう、声も出せないで震えているばかりだ。


 リュウジは一度立ち上がり、傍に居た男に、くいと顎を上げただけで指示をしたらしかった。男は慌てて、さっと煙草を取り出してリュウジに渡し、彼がそれを咥えたところにライターで火をつけた。

 リュウジは一度、それをさもうまそうに吸い込んでから、すぱあ、と宙に紫煙を吐き出した。

「さあって、と……」

 そしてまた、煙草を手にしたまま内藤のそばに座り込む。

「っつうわけで、楽しいお仕置きタイムな訳なんだがよ――」


(………!)


 内藤は、その台詞を聞いて体じゅうを強張らせた。

 男は怯える獲物を舐め回すような視線で内藤の体を眺めて、にやにや笑っている。

「なあ。せっかくだしよ。どっちか選ばせてやるよ。『オトナバージョン』と『コドモバージョン』。……あんた、どっちがいい?」


(え……。)


 内藤は、何を言われているのか皆目わからず、ただ目を見開いて男を見上げるしか出来ない。ただ、そのどちらの「バージョン」にしても、どうせろくなことでないのだけは明らかだった。

 勿論、そのどちらも心からお断りしたかったのだが、恐怖のために引きつった喉は、もう声など僅かも絞り出すことができない。歯の根はさっきから、ずっと合わないでいる。かちかちと、奥歯が音を立てていた。


「……ん? へえ。よく見たら、結構可愛い顔してんじゃん? お兄ちゃん」

 ふと、内藤の怯えきった顔に目をあてて、リュウジがそんな事を言った。

「こりゃあ、大サービスかな? なあ? お前ら――」

 控えめでははあったが、その時「きひひ」、と男たちの中から下卑た笑声が聞こえた。

「両方、楽しんでってもらっちまうかあ?」

 男が楽しげにそう言って周囲を見回すと、男らが明らかににやにやした。リュウジがそれを見て、男らに向かって言い放つ。

「おっし。おい、下ァ脱がせな!」


(………!)


 内藤は、さらに顔色を失った。

 後ろに居た男たちのうち三名ばかりが、ぱっと内藤の傍に駆け寄ってきた。

 その手が、内藤の制服のベルトに掛かる。かちゃかちゃと、乱暴にそのバックルを外す音がした。

「や……、やめ――」



 しかし。

 突然、倉庫の中で聞き覚えのある声がした。

「……おっと。『それ』に手を掛けるのはやめて頂こう」


 張りのある、低い声。

 はっとして、内藤は目を上げた。

 さらに、同じ声がこう続けた。

「こういう事は、本来すべきではないんだが。まあ、止むを得ん――」


(佐竹!? ……あ、いや……違う?)


 それは確かに、佐竹によく似た声だったが。

 喋っているその言葉が、日本の、いや地球上のどこの言語でもなかった。

「な、なんだ……?」

 内藤を取り囲んでいた男たちも、不審な顔で周囲を見回す。

 と、中の一人が、「あっ」と声を上げて跳び退った。

 皆の視線が、そこへ集中する。


 男らの背後に、彼はいた。

 長い黒髪。不敵な笑顔。精悍な立ち姿。

 多少年上には見えるものの、その相貌はあの佐竹に酷似している。

 黒き鎧に、黒いマント。手にする愛刀の名は「ほむら」。

 それを、さも無造作に肩に担いで、男は楽しげな目でこちらを見ている。


「へ、陛下――!?」

 内藤は、変な声で思わずそう叫んでいた。

 どうしてだ。

 なぜあの世界の住人が、平気な顔をしてこんな所に立っている……!


「おお、ユウヤ。久方ぶりに会ったと思えば、随分と楽しそうなことになっておるではないか?」

 にこにこ笑って、しれっとそんな事を言う。


 あちらの世界の黒の王。

 「狂王サーティーク」、その人だった。


 一方、それを取り囲む男たちは、驚きとともに、侮るような、蔑むような様子を隠そうともしていない。

「なんだあ? この野郎は……」

「変な格好してやがんな。どっかのオタク野郎かよ――?」


(いや、皆さん、ちょっと離れて……!)


 内藤はもう、むしろ彼らの心配をし始めている。

 サーティークは、その手にした刀で、ここにいる人数など瞬きするほどの間にただの肉塊にしてしまえる男なのだ。

 ぎらぎらと敵意を纏わりつかせて彼を取り囲んだ男たちを、サーティークはさも面倒臭そうにちらりと眺めやった。

「てめえ、何だぁ!?」

「何しにきやがった、変態野郎……!」


(ああ、ちょっと……!)


 変な刺激をしないで欲しい。言葉が通じないからいいようなものの。

 相手は王である上に、非常な剣の使い手なのだ。とてものこと、この男たちが太刀打ちできる相手ではない。

 しかし、いくら言葉が通じないとはいっても、場の雰囲気からして、浴びせられたのがろくな言葉でないことぐらい、サーティークも十分理解している様子だった。

 黙ってはいるものの、ちょっと不快げに目を細め、口角に貼り付けた笑みが、くいっと深いものになる。


(うあ……。駄目だ。)


 内藤は、早くも諦めた。

 こういう顔になったサーティークは、恐らく誰の言う事も聞かないだろう。

 佐竹と同じ顔をしていながら、この王は、こういうところが全く違う。


「どうやら言葉も通じぬようだし。面倒臭いな」

 とんとんと、肩を叩くようにしていた「焔」の動きが、そこでぴたりと止まった。

「……と、いうことで」


 次の瞬間。

 ごうっと、男たちの中を一陣の風が駆け抜けたようだった。

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