[4] 強権

 9月13日の早朝、ジューコフは腹心の部下であるホジン少将とフェデュニンスキー少将を引き連れて、モスクワ・ヴヌコヴォ空港から輸送機で飛び立った。市共産党本部内に置かれたレニングラード正面軍司令部を訪れたジューコフは、前任者のヴォロシーロフにスターリンからの命令書を突きつけた。

「レニングラード正面軍の指揮権を新司令官ジューコフに譲渡した上で、貴官は即座にモスクワへ出頭せよ」

 レニングラード正面軍司令官に着任したジューコフはさっそく、正面軍司令部の人事刷新と将兵の士気高揚を目的とした「強権」を発動した。まず参謀長にホジン、副司令官にフェデュニンスキーをそれぞれ任命した。

 レニングラード正面軍に所属する指揮官たちの中にも市民と同じように、度重なる撤退から士気が低下し消極的な態度を取る将校が少なからず存在した。第42軍司令官イワノフ中将もその一人で、その事実を第42軍司令部に派遣したフェデュニンスキーから聞かされたジューコフは即座にイワノフを罷免し、後任の同軍司令官にフェデュニンスキーを任命した。

 さらにジューコフは9月17日付の命令で、断固とした方針に基づく防衛線の死守を全将兵に命じた。戦意に欠けると見なされた将兵は容赦なく銃殺刑に処された。そして漫然と防衛していただけでは敵のレニングラードへの突入は防げないと考えたジューコフは積極的な反撃を実施してドイツ軍を停止させるという方針を打ち出した。

 ジューコフが立案した反撃計画の内容は、第42軍(フェデュニンスキー少将)がドイツ軍の主攻勢をひきつけている間に、第8軍(シチェルバコフ少将)がオラニエンバウム方面から敵の北翼を叩くというものだった。 

 この反撃は9月14日に実施される予定だったが、第8軍司令官シチェルバコフ少将は部隊の消耗と弾薬不足を理由に、予定期日の反撃実施は不可能と報告した。この報告を聞いて激怒したジューコフはシチェルバコフを罷免し、第8軍司令官をシェヴァルディン中将と交代させた。

 9月15日、歴代ロシア皇帝の保養地であったクラスノエ・セロから出撃した第41装甲軍団の第1装甲師団と第36自動車化歩兵師団はプルコヴォの高地帯に到達し、市を守る最後の防衛線を突破することに成功した。

 市街地までわずか5キロ地点に到達したことにより、第4装甲集団の将兵たちは占領を目前にして士気を高揚させた。その一方で第3装甲集団を転進させてからわずか2週間あまりの間に、ヒトラーは再び北方での作戦方針の変更を行っていたのである。

 9月6日、ヒトラーは「総統指令第35号」を発令した。それは「バルバロッサ」作戦の発令時にレニングラードを「早期の占領を前提とする重要戦略目標」としていた方針を明確な説明も無いまま、突如として捨て去るような内容だった。

「北方軍集団戦区では、フィンランド軍と連携してレニングラード包囲陣を完成させ、遅くとも9月15日までに、第4装甲集団と第1航空艦隊、とりわけ第8航空軍団の大部分を、中央(モスクワ攻勢)の正面で使用できるようにすること」

 9月10日、陸軍総司令部は北方軍集団司令部に「第41装甲集団を良好な状態で中央軍集団に転属させよ」との命令を下達した。その2日後には第41装甲軍団の将兵に対して、攻勢を中止する旨の命令が下された。

「レニングラードは占領せず、単に包囲するに留める」

 第41装甲軍団長ラインハルト大将は陸軍総司令部に対してレニングラードへの攻勢を継続させてくれるよう訴えたが、「赤い首都」モスクワへの攻勢を最優先すべきと考えるハルダーとブラウヒッチュはヒトラーの方針を支持した。第4装甲集団に所属する各装甲師団は9月15日以降、段階的に戦線を離脱して後方で再編成を行い、モスクワ攻勢に向けた準備を開始した。

 9月19日の夜、レニングラード正面軍情報部長エヴスティグネーエフ准将はジューコフに対して前線の情勢を報告した。その報告では、ドイツ軍の装甲部隊が前線を離脱して他の戦域に転出した模様であるという。

 ジューコフはこの報告を敵の欺瞞情報ではないかと疑い、積極的な反撃を行うとする防衛の基本方針を変えなかった。この日、第8軍(シェヴァルディン中将)による反撃を予定通り実施させ、第18軍の第38軍団は防御へと転じざるを得なくなった。

 レニングラードはヒトラーの方針転換によって占領されぬまま、以後「900日」に及ぶ悲惨な包囲戦を繰り広げることになったのである。

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巨人たちの戦争 第2部:対立編 伊藤 薫 @tayki

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