[2] オデッサの放棄

 オデッサに対するルーマニア第4軍の包囲攻撃は8月10日に開始されたが、ソ連軍は独立沿海軍を中心とする守備隊を編成して粘り強い抵抗を続けていた。

 9月4日、第4軍司令官チュペルカ中将は麾下の部隊がオデッサ攻撃の失敗で大きな損害を被ったとルーマニア軍総司令官アントネスク元帥に報告した。

 オデッサへの総攻撃に固執していたアントネスクはチュペルカを同月九日に罷免してしまう。アントネスクは第4軍の新司令官に任命したイァコビッチ中将に対して引き続き攻撃を命じたが、部隊の消耗は相変わらず激しくかった。ルーマニア第4軍の攻撃は同月12日に再び中止に追い込まれてしまう。

 アントネスクはルーマニア軍総参謀長イォアニチウ准将と共に戦況を確認するため、第4軍の前線指揮所を視察した。その際にイォアニチウ総参謀長が事故で死亡するという事態が発生し、ルーマニア軍の前線に動揺が広がった。

 黒海艦隊司令官オクチャブリスキー中将は9月24日に、クリミア半島でペレコプ地峡に対する第11軍の総攻撃が開始されたことを受けて、オデッサは戦略的価値を失くしたと判断していた。オデッサの防衛に独立沿海軍の貴重な兵力を全滅させるより、黒海最大の要塞港セヴァストポリの防備に回した方が得策である。オクチャブリスキーは自身の提案をモスクワの「最高司令部」に伝えた。

 9月29日、スターリンはオクチャブリスキーの提案に同意を示した。その際にオクチャブリスキーに対し、オデッサを防衛する独立沿海軍(ソフロノフ中将)の撤退作業を10月1日に開始するよう命じた。

 10月2日、ルーマニア第4軍はオデッサに対する新たな総攻撃を開始した。独立沿海軍は遅滞戦術で防衛線を縮小しながら、大量の船舶を用いて人員の脱出作戦に着手した。

 10月15日から16日にかけての夜、独立沿海軍の将兵を載せた最後の船がオデッサの港から脱出した。黒海艦隊はこの日までに、軍人および軍属8万6000人と民間人1万6000人をオデッサからセヴァストポリおよび黒海東部の諸港に運び出すことに成功した。

 セヴァストポリには3個狙撃師団(第25・第95・第421)と1個騎兵師団、火砲462門、戦車24両、航空機23機、弾薬1万9000トンが海上輸送され、独立沿海軍司令部も移設された。

 クリミア半島全域を防衛する第51軍は独立沿海軍の指揮下に入った。独立沿海軍司令官には第25狙撃師団長ペトロフ少将が昇格し、セヴァストポリ要塞の防御力は飛躍的に強化されたのである。

 10月16日午前10時30分ごろ、ルーマニア第7歩兵師団の偵察部隊がオデッサ市内に入った。悪鬼のように抵抗を続けていた独立沿海軍はすでに市街地から姿を消していた。オデッサの港湾施設はルーマニア軍が占領し、ルーマニア軍とソ連軍が死闘を繰り広げたオデッサ包囲戦は終了した。

 ルーマニア第四軍はオデッサ陥落までに34万223人の兵力を投じたが、オデッサ占領と引き換えに戦死者1万7729人を含む9万2545人(投入兵力の約27%)の損害を代償として支払ったのである。精鋭のドイツ軍に対しては苦戦を強いられたソ連軍は、ルーマニア軍ならば互角以上の戦いを演じることが出来たのである。

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