第12章:包囲

[1] 偉大なる都市

 中央軍集団がモスクワへの攻勢を準備していた頃、南方軍集団では全く方向の異なった2つの攻勢が並行して行われていた。1つ目はドネツ地方からドン河下流の制圧を目的とする第1装甲集団と第17軍の主攻勢、2つ目は第11軍による黒海に突き出たクリミア半島の占領であった。

 ソ連南部から黒海に突き出たクリミア半島は、その昔から戦略目標として重要視され、幾度も戦乱の舞台となっていた。半島の先端には、皇帝エカチェリーナⅡ世がロシア領に併合した1783年に「偉大なる都市」と命名されたセヴァストポリがある。帝政ロシア海軍の指定軍港に指定されたセヴァストポリには1825年に当時、「世界最強」と謳われた難攻不落の要塞が建造されていた。

 ヒトラーはクリミア半島がルーマニアの油田地帯に対するソ連長距離爆撃機の出撃地点になると考えていた。8月12日付けの「総統指令第34号」の補則において、第11軍に一刻も早くクリミア半島全域と要塞を占領するよう要求していた。しかし9月12日に第11軍司令官ショーベルト上級大将が飛行機事故で死亡してしまう。

 9月12日、第56装甲軍団司令官マンシュタイン大将は上官である第16軍司令官ブッシュ上級大将から緊急連絡を受け取った。その内容は次のようなものだった。

「南方軍集団に出頭して、第11軍の指揮権を継承せよ」

 9月17日、北方戦線から離れたマンシュタインは第11軍司令部が置かれたニコラーエフに到着した。正式に第11軍司令官に就任したマンシュタインはさっそく現場を視察した。マンシュタインは攻撃の困難さをひそかにかみ締めていた。

 クリミア半島と大陸を繋ぐのは、幅わずか7キロのペレコプ地峡と、東部にある「シュヴァシュ(砂州や沼地のような海岸)」に架けられた鉄道橋だけだった。

 そこで、マンシュタインは次のような作戦を麾下の軍団を率いる指揮官にたち示した。ドン河の河口に位置する要衝ロストフ・ナ・ドヌー(ロストフ)の正面に広がるノガイ草原には第30軍団とルーマニア第3軍を配置し、第49軍団と第54軍団でペレコプ地峡に突入させる。そして数少ない自動車化部隊の機動力を活かし、半島に潜むソ連軍を要塞に逃げ込む前に殲滅するという内容である。

 9月24日、第54軍団はペレコプ地峡に向けて攻撃を開始した。しかし、クリミア半島を防衛する第51軍(クズネツォーフ中将)はタタール人が築いた壕を利用した奥行き数キロの陣地帯に立てこもっていた。

 第156狙撃師団(チェルニャーエフ少将)が必死の防戦を展開したことで、陣地の攻略は困難を極めた。3日間に渡る激戦の末、第156狙撃師団は南へ後退した。ところが、マンシュタインの計画を大きく狂わせる事態が出来した。

 9月27日、南部正面軍(リャブイシェフ中将)は第9軍(ハリトノフ少将)と第18軍(スミルノフ中将)に対して反撃を命じ、ルーマニア第3軍の薄い防衛線を迅速に突破していた。マンシュタインは急きょ第49軍団の2個師団を前線から割き、SS自動車化歩兵旅団「LAH」も支援につけてノガイ草原に派遣させた。この迎撃に呼応するように、第1装甲集団がドネツ地方に対する攻勢を開始した。

 10月4日、サポロジェからドニエプル河を押し渡った第1装甲集団は南東へと進撃し、同月7日にはアゾフ海沿岸のオシペンコに到達した。

 第11軍は南部正面軍の反撃を退けることに成功したが、南方軍集団司令部からノガイ草原に派遣した部隊を第1装甲軍に譲渡するよう命じられてしまう。マンシュタインはセヴァストポリ要塞へ突進させる兵力を半減させられた状態で、要塞の攻略を進めざるを得なくなった。

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